本日から一緒に討伐の旅へ出ます

錦鏡花

第一章 


 微かに響いた草木を分ける音。ふと振り返ると他人の動きを制するような、鋭い視線がこちらに向いていた。

 一瞬、身体が止まった。だからだ。

 既に目の前の川へ向かって前屈みになっていたのだから、そのまま倒れてゆく。

 視界の端で、白い髪が揺れる。先程の鋭い視線を向けていた目元は、まだ若かったはずだ。だから、きっともう少しでこの世から居なくなってしまうのだろう。

 先に行っております。

 柳沢華夜は、名も知らぬ、目元と髪色しか知らない人物へそう心の中で伝えた。

 息が苦しい。これで終わりだ。

 ──ごめんなさい。



一章


 江戸城からおおよそで東の方面へ進むと霊岸島がある。幕府が埋め立てた人工の島だ。日本橋通りと比べると賑やかさは少ない。

 ここは「能力者」としての身分を持つ人々が集まる場所。ただし、全能力者が集まっているわけでは無い。

 この国の能力者の歴史は古い。はるか昔の天皇によって、異端と言われる力を持ちながら生きる事を認められた。今も昔も、天皇に仕える身分である。

 天皇がいらっしゃるのは、この江戸では無い。もっと西へ進んだ都に住まわれている。

 現在にかけて、皇族の力は弱まっていた。それにより、能力者を各地へと分散させ、皇族の力を全国的に広げる。こう言った事が数百年前に行われ、元々天皇のおられる地域でしか暮らしていなかった能力者が全国へ散らばる事となった。ただし、一般の人にとっては危険な力ともいえるため、能力者は特定の場所に纏められ、そこに住まう事となった。

 本来、天皇のもとで暮らす身分。天皇の元から離れるという事は、実質左遷ともいえる。

 だから、霊岸島の中でも、広い敷地を持つ柳沢家も、左遷されたことに変わりはない。



「華夜さま、こんにちは」

 物心着いたころから何も変わらない場所。あの人が亡くなった、あの家で子供が生まれた、のようなことがあっても、家系は変わらない。

「茅、こんにちは」

 柳沢華夜は夕飯の買い出しの帰り、いつもの笑みで挨拶をしてきた向かいに住む杣山家の次女、杣山茅へ返事をする。

 この霊岸島の長は柳沢家だ。皆「さま」を付けて柳沢家の者たちを呼ぶ。

 偉大な柳沢家が何故江戸へ。そう言った声が住居を移す際上がった程の家なのだ、とよく父親は言う。きっと、それは本当なのだろう。

「今から、日本橋の方にある妖茶屋という所に行ってみようと思うのです。華夜さまも一緒にどうですか?」

 年も近く、名前の音がどちらも「かや」であることから、茅はよく華夜と一緒に出掛けようと誘う。

 能力者特有の、老いるだけでは白髪とならない漆黒の髪。真っ赤に燃える瞳を揺らし、茅は訴えかける。

「ごめんなさい、茅。今日も、やらなければいけないことが溜まっていて」

「そ、そうなんですね……。流石、柳沢家の次期当主様です。また、またいつか行きましょうね……?」

「ええ」

 優しく相づちを打てば、彼女は笑顔で足を進め始めた。

 ふと、華夜からは余所行きの表情が消える。

「ただいま戻りました」

 やらなければならないことが溜まっているのは事実だ。しかし、茅が想像するような類では無い。

 この家は、とっくの昔に腐りきっている。



「遅かったですね、華夜」

 台所へと食材を置きに行き、まだ夕飯の準備まで時間があるため自室へ戻ろうとした時、母親の初が華夜へ声をかける。

 黒目の中に、わずかに青色が散りばめられた瞳が華夜を刺す。後ろで結んだ髪は灰色で、能力者としてはもうほぼ終わりを示している。

「晩ご飯の材料を集めるのに少し苦労してしまいまして」

「華夜。昨日言った着物のほつれ、まだ直っていないようなのだけれど」

「それは……」

 昨日だって、普段の家事全てに加えて他の面倒事を押し付けてきた。そんな中でほつれを今日までに修繕するのはほぼ不可能だ。

「っう」

 どこからか現れた水の糸が華夜の首を絞める。唇を噛みしめた初の顔を見て、初によって苦しめられていると華夜は認識する。

 解こうとして指を水の糸と首の間に通そうとしても、指はすり抜けるだけだ。

 本当に、厄介な親である。

「も、もうしわけ……ありません……、」

 一度目を閉じる。自分の血液の流れを感じ取る。指先に来た。そう思った時に指先で初の水の糸を触れれば、バチッと音を立てて糸が消えた。

「この……っ!」

 やりすぎてしまった。しかし、こうでもしなければあのまま死んでいたかもしれない。今日は何を父親に言われて、八つ当たりをしようとしたのだろう。

 しかし華夜に反撃され、初の顔はさらに険しくなる。手を上げ、その手が華夜の頬へと勢いよく近づいた。

「何をしている!」

 怒号と共に、叩かれる音がシンとした台所に響く。しかし、華夜の頬に痛みは無かった。

「道繁様っ」

「むやみやたらに人に能力を使うなと言っているだろう! 華夜もだ。我々の能力は人に使うものでは無い」

「お、お許しください、道繫様。もう致しません。お願いします……」

 頭を下げる初の灰色の髪を持って引きずり、道繁は台所を後にする。

 こんなことになるのであれば、茅とともに茶屋へ行くべきだったのだろうか。

 母親の叫び声が部屋中に響き渡る。家中に張っている結界から、外へへは漏れていない。それを良い事に、父親、道繁の暴力は止まらない。

 人に対して使ってはいけない。言われた言葉はただそれだけ。

 父親からの心配の声はない。きっとこのあと、初から八つ当たりをされる。能力を使わない限り、父親は止めない。

 名門柳沢家など、ここには存在しない。ただ、醜い暴力だけが存在する。



 能力者の特徴は二つある。漆黒の髪色。黒以外の目の色。この二つが能力者の特徴であり、且つこの特徴は能力者の家系にのみ表れる。

 漆黒の髪色は年を取っても白髪とはならない。

 能力を使う。それが、髪が白くなる条件だ。

 能力を使うための力の源。天雨(あまあめ)と呼ばれるものが体内に宿っている。これは単に昔、天からの雨の恵のような力だ、と言われたから天雨と呼ばれるだけであり、実際に体内に水が入っているわけでは無い。

 しかし、体内に宿る天雨の量は個人差が出る。そして、一度能力を使い、消費した天雨は回復しない。

 よって、体内に宿る天雨の量が少なければ、たった一度少しの能力を使うだけで髪色は白髪へと近づく。そのため白髪の能力者は、一般人と同じであり、もはや能力者では無いのだ。

 母親の初は、一度大きな力を使い、その時に髪が灰色へと変化したと華夜は聞いていた。何に対してその力を使ったのか、まだお腹の中にいた華夜は知らないままでいる。

 対して父親の道繁は漆黒の髪色を持つ。記録された書物を見るに、幼少期から能力はよく使っている。そのため、体内に宿す天雨の量が多いのだ。

 加え、澄んだ雌黄色の目をしている。

 初のような黒目の中に他の色が散りばめられている程度であると能力は弱い。しかし、道繁のような黒目全体が黒以外の色をしている能力者は力が強い。

 そして、目の色によって使える能力は決まっている。

 ほぼ黒色だが、青色を散りばめた初は水を操る能力。黄色を宿す道繁は雷を使う能力。

 力の弱い初は器に溜まっているような水を自在に操るだけだ。しかし、力の強い水の能力者は、何もない場所から水を作れるとも言う。

 力の強い道繁は雲さへあればどんな時でも雷を作ることが出来る。さらに、その雷を刀などに一時的に宿し、雷剣として使用することもある。

 日課である刀の手入れをしている華夜は、刃に映る自分の顔を見た。

 あまり能力を使わないため、漆黒の髪色は保たれている。重めの前髪から覗く瞳は、濃色。黒目の中に黒色は残っていない。あの父親の血を引いている証拠だ。自身の地位の事しか考えていない父親の血を引いていると考えると嫌気がさす。

 紫系統の色。闇の力。

 この力をちゃんと使うのは博打と言われている。一度能力を使う際の、天雨の消費量が分からないでいる。そのため、たった一度使うだけで生命にも影響を与える可能性がある。

 だからだ。一族の再興を願う道繁にとって、華夜は期待外れの存在であった。得体の知れない能力を持つ子より、強力な他の力を持つ子の方が使いやすい。

 最初からいらない子なのだ。

 華夜は刃に映る自分の瞳をキッと睨み、鞘へ納める。

 今日もまた、雑用と母と父の八つ当たりを受けるだけだ。



 柳沢家の一員であることに変わりはなく、柳沢家としての行動を示さなければならない。

 紅を筆で溶かす。二度塗れば鮮やかな赤色となる。水を含んだ筆を頬に置き、その上にもう一度筆で掬った紅を軽く置く。指で伸ばせば白い頬が、血が通ったように色付く。

 長羽織に袖を通し、先程手入れをした刀を身に付ける。能力者の身分の者は帯刀が認められている。しかし、人に刃を向ければそのたった一度で能力者としての身分を失う。これは、もしもの時のための物。

 良家の娘として恥の無い姿になったことを、鏡台に映る顔を見て判断する。

 今日の夕飯の材料。そして母親の化粧道具、簪。父親の下駄の修理。日本橋の大通りまで出るのが一番であろう。行先を決め、華夜は屋敷を出た。

「あら?」

 海人がいる。青色の見た目に、手足には水かきがある、妖怪の一種だ。本来海に居るべき妖怪であり、陸に数日居るだけで死んでしまう、陸の上では弱い妖怪だ。

「どうしたの?」

 華夜はしゃがんで海人と目線を合わせた。彼らはまともな言葉を発さないが、心の中では色々な事を思っている。

 妖怪、妖。

 本来、能力者が相手をする存在。はるか昔のこの国では妖が驚異的な存在であり、何度も国を滅ぼされかけていた記録が残っている。そんな中活躍したのが能力者である。

 今も人に害を与える妖は居る。しかし、国が滅ぼされるレベルの出来事は、ここ数百年起きていない。そのため、能力者に身分を与える必要は無いとの声も上がり始めている。

 目の前の海人は食べ物が無くなったため、陸まで出てきたと言っている。平和な世の中となり、人間同士の大きな争いも無い。様々な文化や娯楽が咲き乱れ、庶民の食の質も上がった。ほぼ全てが人間のための食糧となっている今、妖怪は生きづらい世の中となってしまったのだろう。

 この海人も、好きで妖怪として生を持った訳では無いのだ。人間と妖怪。この二つが共存する世界なのだから、人間として生を持つ可能性もあったのだ。

「じゃあ一緒に行こうか」

 水かきがあるから手は繋ぎにくい。けれど、手を差し伸べひんやりとした手に触れる。

 ありがとう、と感謝をされた。久しぶりに貰った感謝の言葉に、華夜は胸をキュッと痛める。

 妖怪と共に歩く姿を見て、ギョッとする通行人もいる。しかし、帯刀した姿、美しい黒髪、紫の瞳を見て納得する者たちばかりであった。

 賑やかな大通りへと出る。先に食材を買ってしまうと痛む可能性もある。そのため、先に初や道繁の用事を済ませようと華夜は決める。隣に居る海人にもう少し待ってね、と声をかけ、足を進める。

 町を廻る下駄歯入れが運良くすぐ見つかり、まずは道繁の用事を済ませる事とする。腰を下ろし他の者の下駄の修理をしていたため、彼が顔を上げた時、視界に映ったのは華夜の顔ではなく、青色の気味の悪い妖怪の身体であったのだろう。一度喉からとんでもない音を出したが、華夜の姿を確認して深く息を吐いた。

「もし、よろしいですか」

「ええ。どうぞどうぞ。江戸一の修理人。お任せ有れ」

 能力者たちは裕福な層と言える。お代をしっかりと貰えると察した下駄歯入れは、商売人の顔となり先程の恐怖心は一切ない。

「しかし、今は別のお方の修理をしておりまして。少し時間がかかってしまうのであるが……」

「良いですよ。他に用もあります。済ませてまいりますので、ここに居てくださいますか?」

「ええ、ええ。その通りにいたしいます」

 ではまた。

 軽く約束を交わし、華夜は行きつけの紅屋へ足を運ぶ。初は小皿ではなく貝殻に紅を塗ったものを好む。良い貝殻の紅はどれか、と聞けば形の良い紅が一つ差し出される。

「お高いですよ?」

「良いのです」

「それなら、少し御負けでございます」

 紅屋の娘の薬指がそっと唇へ伸ばされる。紅差し指。するりと唇を撫ぜられ、下唇と上唇を使い指が往復する。

「あなた様は、きっともうひと塗りした方が魅力的ですよ?」

「ふふ、ありがとう。もしよろしかったら、ここ最近で話題になっている飾職人をお教えくださいませんか?」

 お代を払い、紅を受け取る。初は評判の良いものを好む。せっかく綺麗に塗ってくれた紅を、母親の機嫌で落とされるのは嫌だ。そう思った華夜は娘へそう聞く。

「ここを出て右へ歩いて。三十歩ほど歩いたところへ最近評判の飾職人がおります」

「ありがとう」

 一度頭を下げ、店を出ようとする。

「そちらの妖怪さん。紅、塗ります?」

 ふと、そんな声をかけられた。こうやって、妖怪に好意的な人も増えている。



 紅屋の娘に言われた通りに進めば、賑わう飾屋が見えた。初の良く付けている簪と似た系統の物を一つ購入し、早速下駄歯屋のもとへ戻る。

「お、お嬢さん。今終わりましたよ」

「丁度いい時間でしたね」

 父親の下駄を受け取り、お代を払う。期待をされてしまっていたため、少しだけ多く支払いをする。ニッと彼は笑って手を振ってくれた。

 あとは夕飯の材料を買い揃えるだけだ。今日は鰯を準備しよう。そう思い、帰る方向へ足を進めながら渡り歩く鰯売りを探す。

 鰯売りは直ぐに見つかり、夕飯の材料の準備は終わりだ。一匹、海人のために多く買い、それを海人へ渡す。久しぶりの食糧であったのだろう。海人の色々な思いが華夜の中に流れてくる。

 こういった善良な妖怪が増えている。というより、人間の方が強くなってしまったため、妖怪が下に出なければいけなくなっているのかもしれない。

能力者の力が不要となる日も近いだろう。

本格的に帰路に着く。

 家のある方向へ進めば進むほど、賑わいが薄れていく。

 能力者がいらなくなる。そうなった時、あの家はどうなってしまうのか。

 気分が沈んでゆく。あの父親は、きっと壊れてしまうだろう。終わらない暴力が続く。考えるだけで背筋が凍る。

 能力者が不必要となってしまえば困る。けれど本当は、能力者ともなにも関係ない、普通の家で普通に愛されたい。



「あら……? 付いて来てしまったの?」

 玄関の扉に触れた時、妖怪の気配を感じた。振り返ると先程の海人が立っており、あのまま後ろを付いて来てしまっていたようだ。

「ごめんね。この辺りに居るのは少し危ないわ。この鰯、もう一匹上げるから、海へお帰り」

 鰯を海人の手へ持たせようとした時、轟音が鳴り響いた。辺りの空気が物理的にピリつく。目の前に海人はいない。灰が砂と混じるだけだ。

「我が娘に危害を加えようとした妖怪を討伐した!」

 轟音に驚き、家を飛び出してきた人々全員に聞こえるよう、道繁は声を上げる。

 ──なぜ? さっきの海人は、危害を加える妖怪では無い。どうしても、食料が必要なだけで、それだけで。

「お、とう、さま……」

「驚かせて悪かった。華夜よ。もう安心しなさい」

 ワッと住民たちから声が上がる。流石、柳沢家だ、と。

 ふざけている。たった、それだけのために。

 道繁の顔からは、上辺だけの心配の表情は消えている。連れてきてくれてありがとう、と、気味の悪い笑みが浮かぶ。

 こんなことで、感謝などされたくない。

 海人から流れてきた暖かい心を思い出す。けれども、涙を流せるほど華夜の心は豊かではない。

 ──ああ、本当に、ごめんなさい。

 風が吹く。地面に落ちた鰯が、灰によって覆われた。

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