12/20(水) 口紅

「これ知ってる!」


 わたしはそう声を上げて、店員に笑顔を向けた。


 ハマグリだろうか。留め金のついた二枚貝を開けると、中に輝く玉虫色。


「笹紅でしょ、これ。塗ると赤くなるけど、重ね塗りするとこんなふうにメタリックグリーンになるの。『陰翳礼讃』に載ってた」

「……ずいぶん渋い本を読んでるんですね」

「文庫のやつじゃなくて、写真つきの方だけどね」

「へえ、写真つきの……」

「貸してあげよっか」

「ぜひ」

「明日持ってくる」


 ありがとうございます、と微笑む店員に頷きを返し、わたしは手の中の貝を見下ろした。本当に綺麗な玉虫色だ。試し塗りしてみたい、と少し思うが、このムラのない完璧な状態に筆を入れるのは流石にダメだろう。


「こんなのが江戸時代に流行ってたって、面白いよね。うちのクラスになら好きそうな子何人もいるけど、美大志望の変人じゃなくて、普通のお姉さん達が塗ってたわけでしょ?」

「それは現代作家のものですけどね」

「そうなんだ……口紅の作家さん? 珍しいね」

「ええ。なんて言うんですかね、香水を作る人は調香師ですから、紅を調ととのえると書いて調紅師ちょうこうし? その色の名前は『クレイジールミナスビートル』」

「……なんて?」

「クレイジールミナスビートル。暗いところで光りますよ。薄く塗れば蛍光オレンジ、厚く塗れば蛍光緑に」

「嘘でしょ」


 こんな古風な貝の容れ物に入っているのに?


 そう思って蓋を閉じれば、よく見ると貝の表側の絵。タマムシの絵の上に、実に繊細な日本画風のタッチでミラーボールが描いてある。


「……谷崎潤一郎は嫌いそうだね、これ」

「そうですね」


 面白いし、この店の商品でなければ友達へのプレゼント用に買ったかもしれないが、人生にひとつきりの一箱にはちょっと。


 ミラーボール模様の貝を古風な木箱に戻すと、よく見れば蓋には流麗な草書でクレイジールミナスなんちゃらと書いてあった。

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