12/05(火) 筆

 部活帰りに友達とハンバーガーを食べに行ったら、遅くなった。もう閉まっているかと思ったが、窓に明かりが見えてホッとする。


「まだ開いてますか」

「君が帰るまでは」


 もしかして、待っていてくれたのだろうか?

 そう思って、わたしが「風邪とか引いて行けない日とか、連絡した方がいい……?」と尋ねると、「はい?」と心底不思議そうな返答があった。違うっぽい。


「ならいいんだけど」

「今日はどれにするんです?」


 そう訊かれて、箱の群れに目を向ける。日が落ちてから来ると、夕方までとはかなり違った雰囲気に見えた。黒くなった窓の内側に光が反射して、この空間に閉じ込められたような、箱からなにかやばいものが出てきても逃げ場がないような、そんな感覚になる。


「……これ、かな」


 手に取った一箱は、とても細長かった。日焼けで色褪せた、蜂蜜色の紙箱である。


 箸とかペンとか、そういうものだろうか? そう予想しながら蓋を取る。


「あ、筆」


 面相筆だ。日本画用の筆である。わたしが専攻している油彩にはあまり向かないが、水彩で細かいところを描き込みたい時には重宝する。


「いいな、これ……毛先が整ってて、いい筆っぽい。何の毛だろう、イタチ?」

「キツネです」

「キツネ? へえ、描き味どんななの?」

「それも、九尾の妖狐の尻尾の毛です」

「……ん?」


 それって妖怪じゃなかったっけ、と半笑いで顔を上げれば、店主は上段のかけらもない真面目くさった顔で続けた。


「感じませんか、この妖気を」

「いや全然」

「鈍感なんですね」

「おい」


 にらみつけると、店主は「失礼、本音が」と言って肩をすくめた。


「それはそれは美しい、胴体は純白、尾は金色の狐だったそうです。そのあふれんばかりの妖気で一切の汚れを寄せ付けず、泥の中を歩いても毛皮には一点の曇りもなかったと」

「いやそれ、ダメじゃね?」

「はい?」

「それ、絵の具もつかないんじゃないの?」


 磨き上げられた竹の軸は飴色で、外箱ももしかすると、日に焼ける前はこういう色だったのかもしれない。先端の毛は確かに、淡い金色をしていた。ランプの光でキラキラして、赤や黄色の絵の具にひたしてしまうのがもったいない、ずっと見ていたいような綺麗な色だ。


「……そうかもしれません」


 たっぷり時間をとって、店主が言った。わたしは「まあ、赤ちゃんが初めて切った髪の毛で筆作ったりするもんね。記念品みたいなもんなのかも」と雑にフォローを入れると、箱に蓋をした。


 いくら見かけが綺麗でも、絵の具が一滴もつかない筆は不良品である。

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