第145話 退いた彼の情熱は強く燃え盛る
※登場する人物や学校やクラブなどは全て架空であり実在とは一切関係ありません。
落ち着いた雰囲気ある喫茶店、午後の昼下がりという時間帯の店内は静かに紅茶やコーヒーを飲む客や軽食を取る客と居て店に流れるジャズのBGMと共に楽しむ。
カウンターの席で紅茶を飲む西久保寺の監督を務める高坂学もその一人だ。
「学さん」
「ああ、待ってたよ太一」
高坂の前に現れた人物が右隣に座る、その人物は神山太一。
「同じものを」
太一はマスターへと高坂の飲む紅茶と同じものを注文、やがて紅茶が太一の前に運ばれて来ると注がれた明るい色から沸き立つ湯気と同時に鼻に伝わって来る香りの良さが心地良く感じる。
「西久保寺の決勝進出おめでとうございます」
「まだ予選だけどね、後1回で全国だ」
紅茶を一口飲んだ後に太一は高坂の方を見て決勝進出を祝し、高坂は母校が決勝進出を決めた事を喜ばしく思っているがまだこれからと気を緩めはしない。
あまりピリピリしすぎるのも良くないので高坂は自分の好きな紅茶で気分をリラックスさせていた。
この喫茶店は東京都内にある高坂の行きつけであり現役の頃も通っていた隠れ家的な馴染みの店、太一もかつては高坂に此処へ連れてきてもらっており以来彼もまたこの喫茶店が行きつけとなっていく。
「キミとしては複雑じゃないかな、立見は太一の弟が作ったんだろう?」
「ええ、そうですね…」
高坂の西久保寺は決勝戦で立見と試合をする、太一にとっては世話になった先輩の母校と弟の高校の激突でありどちらか一方を応援しづらい複雑な立場だ。
「春と夏の立見、その試合を僕も見させてもらった。彼らの快進撃は凄いと思ったよ。真島に桜王と東京を代表する2大チームに勝利し、インターハイで八重葉ともPK戦までもつれ込んだ」
「八重葉戦に関しては立見が連戦で八重葉が初戦と体力の消耗差があり、更にアクシデントで立見の攻守を支える田村君が負傷し色々苦しい展開でしたからね」
互いの頭に浮かぶ立見のこれまでの戦い、予選では真島や桜王といった東京の強豪達相手に無失点のまま優勝し全国では1回戦の泉神に勝利、その翌日に王者八重葉戦と厳しい戦いを強いられ試合の中で攻守を支えるサイドバックの田村が負傷退場。
元々戦力差ある相手に0-0のPK戦までもつれ、最後は八重葉が勝利したが高校の絶対王者相手にも立見は失点せず今回の選手権でも決勝まで無失点で来ている。
「北村のように極端にリトリート守備を敷いている訳じゃない、彼らの場合は撃たれる前に止める事がほとんどだ。立見の間宮、田村、影山とレベルの高い守備の選手は揃ってて川田や水島と1年の彼らも成長を見せて持ち味を見せている。GKの大門も1年ながら長身でリーチが広く高いジャンプ力を誇り良い選手だよ」
立見の選手については既に調べており無失点を支える立見の守備陣は元プロである高坂から見て優秀な選手揃い、それぞれを高く評価しつつ高坂は手に持つ紅茶の入ったカップを置くと難しい表情を見せる。
「ただ、それだけじゃ彼らの築き上げた記録の説明がつかない。どんなに優秀な選手が何人揃おうがいずれ何処かで失点するものだ」
プロとして日々戦った経験を持つ高坂、その中で鉄壁の守備を誇るDF陣と試合をするというのも当然あった。最高クラスの選手を揃え何者も通さぬ難攻不落の要塞を築いてもそれはずっと完封が続く訳ではない。
同じ最高クラスの攻撃陣が守りを崩したり下位のチーム相手にやられる事もある、プロの世界だとそれが日常茶飯事だ。
「普通ならそうですが、その普通で彼らは収まらなかった。八重葉に続いて彼らもそこに到達するかもしれない…」
普通や常識では収まらない、それが天才という存在。
八重葉に照皇や龍尾といった天才2人が居るように立見にも天才がいる、常識では収まらない天才。太一の頭の中には小さな選手の姿を思い浮かべていた。
「立見でそれを可能とさせているのが東京MVPに輝いたDF、神明寺弥一という訳だね」
太一の頭を見透かすように高坂はその選手の名を口にする。
「彼にはただただ脱帽するしかないよ、一見体が小さくてどう見てもCB向きじゃない。だがその常識を叩き壊すかのように体格差のある相手とのデュエルに負けず見事なポジショニングに体捌き、更にずば抜けた読みから繰り出されるインターセプト。あれはもう小さな体格をカバーして余りあるぐらいだ」
「やっぱり高坂さんから見てもそう思いますか、僕も彼の海外留学前から見てきてますが小学生の時から既に頭角を現していたのがイタリアで更に開花してきましたからね。あれはプロでも通じると思います」
現役のプロと元プロの視点から見ても弥一のレベルは高校では収まらない程であり、本人には断られてしまったが彼ならプロでもやっていけると思い太一は以前声をかけていた。
「プロ?いいや」
高坂は一呼吸置いてから口元に笑みを浮かべつつ言う。
「日本代表として世界を相手に戦っても行けるんじゃないかな」
「世界…」
日本代表として世界と戦うトップレベルの戦い、自らも栄光あるその舞台に憧れを抱き続ける太一。
かつては代表を目指し必死にプレーしてきた高坂。
共に世界各地で国を代表して戦う強豪達によるハイレベルなサッカーが行われる光景を思い浮かべる。
「本当だったら学さんは今も…」
高坂と太一はかつて同じプロのチームに所属していた、当時24歳でプロとしては全盛期を迎える高坂。その彼から色々学び21歳の太一は背中を追いかける立場だった。
レギュラーとして活躍する高坂は日本代表入りが近いとされており彼が選ばれるのは時間の問題かと思われたがある試合で高坂は相手選手のスライディングを足に受けて負傷。
その怪我が原因で選手から退く事になってしまう、24歳で早過ぎる引退。
そこから指導者としての道を歩き母校の西久保寺高校でサッカー部を作り出していた。
怪我さえ無ければ高坂は今も現役だったはずだと太一は今もあの時の光景が忘れられない、フィールドを駆け回っていた頃の彼の姿を。
「…もうあれから6年だ、あの頃あのまま代表入り出来たら僕は本当に世界に通じたのか?何度も自分に数え切れない程に問いかけたもんだよ」
怪我で引退した高坂自身もその日の事を当然忘れた事は無い、全てを断たれた悪夢のような1日は忘れたくても忘れる事は出来ないだろう。
高坂はその瞬間まで日本代表を目指しフィールドを懸命に走り続けた。
「ただ、今もあの時と思いは変わらない。日本のサッカーが世界一になる、世界の頂点に輝く日本代表を見たい」
自身は引退したが高坂の思い描く未来は色褪せる事は無い。
世界の頂点に輝いた証である金のトロフィー、それを日本の選手が堂々と上げる姿を。
「まあ僕の方はまず目の前にある決勝戦だ、将来の日本代表になるかもしれないイタリア帰りの天才を迎え撃たないとね」
再び紅茶に高坂が口にする頃には紅茶は時間が経過し若干冷めていた。
だが彼のサッカーへの情熱は引退した今も冷める事はない、その高坂の頭の中には八咫烏を蒼きユニフォームの胸に宿す弥一の姿がある。
「ビーフカレーパン美味~♡」
一方の立見高校にて弥一は購買部で買った目玉商品であるベーカリーショップのビーフカレーパンを購入する事が出来てご機嫌の様子。
部活帰りに立ち寄った時にはメロンクリームパンだけしか無くて食べ損ねたパンを昼食に味わう事が出来て弥一は幸せそうにパンと共にジューシーな牛肉カレーを堪能している。
対戦校の監督が将来の日本代表となる天才だと警戒している事を弥一は知らない。
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