第18章:賽は投げられた

 夜。予備校を終えて自宅に戻った和哉は、ようやくひとりの時間を持つことができた。

 夕飯を済ませた後、自発的に学習机に向かい、教科書とノートを広げて勉強に取りかかる。


 ―――今まで通りの日常も、足を踏み入れた非日常も、どちらも取りこぼさずに生きていく。


 そう決めたのは、自分自身。弱音なんて吐いていられない。


(やりたいことも、やらなきゃいけないことも、いっぱいある。

 すべてを効率よくこなせるようにならなくちゃ……)


 ペンを握る手をふいに休め、スマートフォンへと視線を向けた。

 すると、狙い澄ましたかのように、着信を告げるメロディが流れ出した。


(ああ、やっぱり)


 ペンを机に転がして、代わりにスマートフォンを取り上げる。

 そしてそのまま、ディスプレイの表示を確かめることもなく電話に出た。


「僕に監視でもつけてるのかな」


 挨拶もなしにそう問いかけると、電波の向こう側にいる相手は苦笑したようだった。


『あたしを誰だと思っているのかしら? これくらい、かんで分かるわよ』


「やれやれ、君は怖いな」


 こんなタイミングで連絡をよこしてくる相手など、ひとりしか浮かばない。

 人目ひとめを引く赤い瞳を思い出し、和哉は大きくため息をついた。


『あら。あたしがコンタクトを取ってくるのは、カズヤの想定内だったでしょ?』


「吸血鬼ともあろうものが、電話なんていう文明の利器を頼るなんてね。

 君のことだから、強引にでも押しかけてくるかと思ってたよ。ねえ、マリナ?」


野暮やぼなこと言わないで。

 あたしはね、傷だらけで弱ってる姿なんて、いとしい人に見せたくないの』


 和哉がその名を呼ぶと、電話の向こう側からはスネたような声がかえってきた。


『好きな人の前では、とびきりカワイイ姿でいたいの。

 少しくらいは乙女心を理解しなさい』


 もう手遅れなのでは、と思わなくもない。

 返り血を浴びた姿をみせておいて、今更そんなこと言うのか、と。

 ただ、それを口に出して指摘するほど、和哉も命知らずではなかった。


「説教されるとは思わなかった。それで、僕にどんな用かな?」


『あたしはただ、あなたとちゃんと話をしたかっただけよ』


「僕をそちら側に引き抜く交渉? でも、それならとっくに決裂したよね?」


 マリナの言葉に嘘いつわりはないのだろう。だからこそ、余計に厄介だ。

 何度も話したのに、こちらの意志が伝わっていない。軽い苛立いらだちを感じて、和哉は眉をひそめる。


「僕の帰るべき場所は、光志郎と瑠璃ちゃんの隣だ。君の隣じゃない。

 ……僕はそう言ったよね?

 君は僕のことを殺そうとしたし、種族も立場も倫理観も何もかもが違う。

 一緒にいることはできないよ」


 吸血鬼と人間。喰う者と喰われる者。狩られる者と狩る者。

 何もかもが違うふたりなのだ。あいれることはない。


「君は、吸血鬼きみなりの親切心で、人間ぼく吸血鬼そちら側に招き入れようとしたんだよね?

 でも、僕にも意志がある、プライドだってある。

 気をつかってくれたのは嬉しいけど、君の憐憫れんびん……いや、厚意を、受け取るつもりはない」


 和哉がそう言うと、マリナは電波越しでも分かるほど大きなため息をついてみせた。


『カズヤは、あたしの手を取るつもりはない……って話でしょ?

 ちゃんと憶えてるわよ。あなたが出した答えだもの。

 あたしは諦めが悪いように、あなたがけっこうな頑固者だってこともね』


「僕のことを頑固者って言ったのは、君が初めてかもしれない」


『あら、そう? カズヤの初めてを奪ったのなら、ちょっと気分が良いわね。

 でもね、あなたにはあなたの事情があるように、あたしにはあたしの事情がある』


 マリナの声が、すっと冷たいものに変わった。


れたれたを……個人的な感情を抜きにしても、あたしにはカズヤを看過かんかできない理由がある。

 敵のままでは厄介なのよ、あなた』


「僕は吸血鬼の敵対者になる道を選んだ。

 敵が増えるわけだから、そりゃあ厄介だろうね。

 それで? 僕を殺すって言いたいのかな?」


 妙なところで義理ぎりがたい彼女のことだ。自分へ宣戦布告くらいするだろう。

 それは、和哉とて想定していた流れだった。

 マリナの手を振り払い、光志郎や瑠璃の手を取ったあの瞬間から、和哉とマリナは明確に敵同士になったのだから。


『カズヤのにぶさって、どこまでが天然で、どこからが意図的なのかしらね?

 まあ、いいわ。つれないカズヤにも分かるように言ってあげる。

 敵のままでは厄介。それなら、わ』


「僕は、君の味方にはならないよ」


 和哉はハッキリと言ってのける。

 マリナが理解してくれるまで、根気よく、何度でも。


「何度も言わせないでくれ。

 君は、諦めは悪くても、物わかりが悪いわけではないだろう?」


『そうね。誘って断られたのは理解してる。

 だから、ちゃんと別の話を持ってきたわよ。

 ねぇ、カズヤ。あなたとあたしで、賭けをしない?』


 マリナの声が楽しげなものに変わった。

 嫌な予感がする。その先を聞きたくない。

 しかし、電話を切って耳を塞いだところで、彼女は見逃してくれないだろう。


「……どんな賭け?

 君と違って、僕は初心者ウブなんだ。お手柔らかにお願いしたいんだけど」


『そんなに身構えなくてもいいわよ。別に難しい話じゃないから』


 腹をくくった和哉が先をうながすと、マリナは楽しげに語った。




『あなたとあたしは敵同士。なら、互いの命を賭けて、殺し合いましょ。

 あたしは、何としてもカズヤを打ち負かしてみせる。そうして、あたしの血を分け与えて、の。

 それが嫌なら、そうなる前にあたしを殺して賭けを終わらせなさい。そのための資質を、あなたは持っているのだから』




「!」


 和哉は思わず息を呑んだ。

 しかし、マリナは気にした素振りもなく、一気に畳みかけてくる。


『カズヤは人間だから、吸血鬼であるあたしの味方になってくれないんでしょ?

 それなら、あなたを吸血鬼なかまにすればいいだけのこと。

 カズヤも同じ立場吸血鬼になれば、あたしの気持ちが分かるようになるはず。

 ……ああ、心配しないで。

 カズヤは痛いのがきらいだってことは憶えたから、苦痛が少なくて済む転化の方法を探しておくわ』


「ちょっ、ちょっと待って」


 突拍子もないマリナの提案に、和哉は目眩めまいを起こした。


(光志郎の言うとおりだ。

 人間の気持ちなんて、吸血鬼は歯牙にもかけないんだな……)


 ひたいに手を当てて目眩をやり過ごし、和哉は細々ほそぼそと言葉をつむぐ。


「僕は、受けて立つとは言ってないけど?」


『そうよ。るもりるもカズヤの自由。

 でも、あなたはハンターとして戦っていく道を選んだ。

 それなら、あたしという吸血鬼を野放しになんてできないんじゃない?』


「それは、その通りなんだけど」


 敵であるはずのマリナからさとされ、思わず和哉は口ごもる。


『勿論、カズヤが無条件であたしのモノになってくれるなら、おとなしく吸血鬼になってくれるなら、最初からこんな賭けことしなくて済むんだけど』


「……嫌だ。僕は人間ひとでありたい。吸血鬼にはなりたくない」


 和哉の脳裏を、光志郎や瑠璃、高橋や山本クラスメイトたち、そして、家族の姿が過った。

 彼ら人間を害し、喰らう化け物になど、なりたくない。


『ほらね。結局のところ、あなたとあたしは殺し合うしかないのよ』


「……」


『あなたは甘……もとい、優しい人だから、一度は「友達になる」と言ったあたしに対してやいばを向けるのは躊躇ためらいがある?

 それなら、この提案はなかったことにしてもいいわ』


「もし僕がらなかったら、どうするんだ?」


『どうもこうも。

 カズヤが何がなんでも逃げるというなら、さすがに手を引くしかないでしょ。

 あたしにとってあなたは特別だったから、何を差し置いてもあなたを優先していたけど……そこまでいやがられたのなら、もうどうしようもないじゃない?』


 悲しそうな空気を隠すこともなく、マリナは吐息を漏らす。


『そうねぇ……あいにく、あなたの存在ことは看過できないから、他の誰かに対応を任せることにはなるけど。

 そんなにあたしと関わることをいやがるなら、あたしは本来のに戻るしかないかしら』


 和哉には和哉の役割があるように、マリナにだって責務があるのだと、彼女は語った。


『取りあえずは、あのコウシロウとかいう雷少年を排除するところから再開かしら?

 どうせ向こうもあたしのことを放っておかないでしょうし。

 あのコ、気概きがいと殺意だけは満点だから、成長したら強敵になりかねないわ。

 吸血鬼なかまを守るためにも、今のうちに芽を摘んで……』


「―――マリナ」


 和哉はマリナの言葉を遮った。


「よそ見は禁止」


『え?』


「僕を傷つけるのはいい、命を狙うのもいい。好きにしろ。

 でも、他の人は駄目だ。

 ―――よそ見をするなんて、絶対に許さない」


 和哉の口からこぼれたのは、凄みのある声。

 決して大きくはない。だが、相手を萎縮させるような、迫力のある声。


『……っ』


 電話の向こう側で、マリナが一瞬息を呑んだのが伝わってきた。


『あ、あなたは、あたしを兵糧ひょうろう攻めにするつもり?

 あたしは吸血鬼なのよ? 人間を襲……』


 マリナは何事か言いかけて、直ぐに言葉を飲み込む。


『……いえ、何でもない。

 あたしが狙うのはカズヤだけ。

 もちろん、あたしの命を狙う者は容赦しないけど、それ以外の人間には手を出さない。

 そう約束すれば、あなたはってくれるのかしら?』


「ああ」


 電波の先にいるであろうマリナを頭の中に思い描き、和哉はめつけるように眼鏡の奥の瞳を細めた。


「マリナが僕だけを狙うと誓うなら、その賭けゲームを受けてやる」


『約束するわ。じゃあ、賭けを始めましょゲーム・スタート

 ……やっぱりあなたは最高よ、カズヤ。

 あたしが見初みそめただけのことはあるわ』


「惚れ直したかい? それなら、よかったよ。

 ―――つけいる隙がある方が、殺しやすいからね」


 一瞬、胸のどこかが痛んだ気がしたが、和哉はその事実から目を逸らす。


『優しくて甘いあなたもいけれど、強気で怖いあなたも素敵ね。

 でも、身も心も吸血鬼あたしに狙われ続けて、いつまで無事でいられるのかしら?』


窮鼠きゅうそは猫をむし、男子は三日会わざれば刮目して見よって言うよね?

 今の僕は無力かもしれないけど、いつまでもそうだとは限らないさ」


『そう、それでいいの。

 カズヤはあたしが選んだ人なのだから、もっと自信を持ちなさい』


 和哉の気持ちを知ってか知らずか、マリナは嬉しそうな声を上げた。


『あたしはしばらくの間、怪我を早く治すためにおとなしくしてるわ。

 だから、あなたはその間に、雷少年と竜の巫女にきたえてもらうといいんじゃない?

 どうせあいし合うなら、お互いが全力で挑める状況じゃないと楽しくないし』


「その余裕が命取りになってもしらないよ?」


『そうそう、その意気。その気概、忘れないようにしなさいね。

 ―――じゃあ、またね』


「……ああ、また」


 プツンと通話が切れ、室内に静寂が戻ってくる。

 和哉は手のひらの中にあるスマートフォンを、しばらくの間見つめ続けたのであった。

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