第17章:これからのために

「ごめんなさいね。忙しいでしょうに、時間をもらっちゃって」


 放課後。和哉の顔を見るなり、瑠璃はそう言って頭を下げた。

 この後に予備校の講義が待ち受けているのは確かだが、そうかしこまられては居心地が悪い。


「いや、こちらこそ。僕としても、君に助けてもらったお礼を言いたかったんだ。

 君が守ってくれなかったら、僕はどうなっていたか……。

 本当に、ありがとう」


 光志郎を介して瑠璃が指定してきたのは、和哉がマリナと再会したあの公園だった。


 もし、光志郎の到着が遅れていたら。

 もし、自分に妙な力が宿っていなかったら。

 もし、マリナがもっと早く動いていたら……。

 少しでも何かが違っていれば、今こうして瑠璃と話していることもなかったかもしれない。

 そう考えると、不思議な感じがした。


「僕はここで一度死にかけたのかと思うと、変な感じがする」


 夕方のぬるい風に髪をもてあそばれながら、和哉はポツリと呟いた。

 あの時、派手に血を流した気がする。しかし、今見てみても、その痕跡はどこにも残っていなかった。


「死にかけて、変な力に目覚めたおかげで助かった。

 そんなこと、全くなかったみたいに見えてさ」


「あの事件が起きる前と変わらない?」


「うん」


 瑠璃の問いかけに和哉が頷くと、彼女は表情を和らげた。


「助かるわ、確認してもらえて。私はこの辺あまり詳しくないから」


「確認?」


「事件の痕跡が残ってないかの確認。

 基本的には修正力が働いて、戦いの跡は残らないものだけど……万が一残っていたら大変じゃない?

 だから、確認しておくのよ」


 事後処理の一環いっかんだとでも思って頂戴、と瑠璃は言った。


「そういうものなの?」


「通念結界による修正って、強力ではあるけど、完璧ってわけでもなくてね。

 ほら、「化け物なんて存在しない」ことになっているのに、都市伝説とか怪談とかなくならないでしょ?

 大概は与太話よたばなしだけど、まれにそうじゃないのもあるのよ。

 実際、あなたにとって、光志郎は一時的に怪談めいた存在になってたでしょ?」


「ああ……」


 なるほど、と和哉は呟く。


「僕だけが憶えているクラスメイト、か」


 確かに、怪談めいている。

 自分だけが憶えていて、他のみんなは忘れてしまったクラスメイト、なんて。


「とっても非現実的でしょう?」


 濡れ羽色の長い髪をサラリと揺らし、瑠璃は和哉の方へと向き直った。


「改めて、ごめんなさいね。私たちのせいで、あなたをこちら側に呼び込んでしまった」


 瑠璃は奇麗な仕草で頭を下げる。


「あたなを死にそうな目に遭わせた。

 これからも続いていくはずだった「当たり前の日常」を取り上げてしまった。

 謝っても謝りきれないわ」


「……昨日も同じようなことを言った気がするけど。

 僕が死にかけたのは、僕が浅はかだったからだよ。

 気が動転して、愚かな行動を取ったから、あんな目に遭っただけの話。

 だから、瑠璃ちゃんが謝る必要はないと思うよ」


「いいえ。あなたには、怒る権利があった。

 何でこんな目に遭わなきゃいけないんだって、こんな痛い思いなんてしたくなかったって、よくも騙してくれたなって、自分を巻き込まないでくれって、私たちを責めてよかったの。

 もっと動じたり、逃げようとしたり、拒絶したり、嫌悪したりしてよかったのよ」


 瑠璃は顔を上げると、いたましいものを見るような目で和哉を見た。


「だって、あの瞬間まで、のだから」


「そりゃあ、思うところがまったくないって言ったら嘘になる。

 でも、光志郎との友情を失わずに済んだし、瑠璃ちゃんとも巡り会えたんだ。

 結果として収支がプラスなんだから、それで充分じゃんか」


 例え平穏な暮らしができるのだとしても、瑠璃たちと出会えない人生なんて嫌だ。

 和哉が言外にそう言うと、瑠璃は目を見張った。


「和哉くんって、けっこうポジティブ思考なのね。

 でも、きっとこの先、痛い目や大変な目、嫌な目にいっぱいあうことになるわよ?

 私たちハンターに関わるということは、否応なしに戦いに巻き込まれるということなのだから」


「君が助けてくれなかったら、僕はとっくに死んでた。

 不確定な未来を恐れるより、現在まで生き延びられたことを素直に喜びたいよ。

 それに、そもそも……」


 少しだけ躊躇ためらってから、和哉は言葉を続ける。


「そもそも、謝らなきゃいけないのは僕の方だ」


 和哉がわずかに視線を逸らすと、瑠璃は不思議そうに首を傾げた。


「どうして? あなたは巻き込まれただけでしょ」


「そんなことはない。僕は、自分の変化にきちんと向き合うべきだった」


 超常の力を行使する瑠璃を目撃してしまったから、吸血鬼とハンターの戦いに巻き込まれた?

 いや、きっとそうではない。


 瑠璃がしてくれた説明の通りなら、そもそも「普通は超常現象を知覚できない」はず。

 あの戦いを視認できた時点で、自分は既に「普通」ではなくなっていたのだろう。

 一体いつから逸脱いつだつしていたのかなんて、今はもう確認のしようもないが……。


「僕は多分、瑠璃ちゃんの戦いを見かけるよりも前に、君たちが身を置く世界に足を踏み入れてたんだろう。

 自分に変わったところはないって、ずっと目をそらしてたせいで、君たちに迷惑をかけた。

 本当に、ごめん」


「和哉くん……」


 怪我を押して和哉を捜し回ってくれた光志郎。

 凶行から守るために盾になってくれた瑠璃。

 自分の変化を認めたくなくて、事実から目をそらしていたばかりに、ふたりを大変な目に遭わせてしまった。


(僕はただのお荷物でしかないのに、ふたりは命を賭けて守ってくれた)


 光志郎と瑠璃が流した血の色を、熱さを、決して忘れてはならない。


(僕はこれから、ふたりが流した血の分を、あがなわなくちゃ)


 今回は幸いにして命を落とすことはなかったが、いつまでもそうだとは限らない。

 戦うための力は、自分の中に宿っている。ならば、自分が変わらなくては。

 だって、自分のせいで誰かが傷つくところなんて、二度と見たくない。


 ―――もっと強くなりたい。いや、絶対に強くならねば。


 和哉は心の底からそう思った。


「光志郎は「吸血鬼退治の手伝いを頼まれたと思え」みたいなこと言ってた。

 僕はこれから、瑠璃ちゃんたちのお手伝いをしていけばいいのかな?

 ただ、僕は誰かを回復させることしかできないようだから、あんまり役に立てそうにないんだけど……」


 和哉がそう言うと、瑠璃は微妙な顔になった。


「こちら側の要望だけを言わせてもらうなら、協力してくれた方がありがたいわね。

 特別な力を得たのだから、それにともなう責務をはたして欲しい。

 あなたのその力は、なかったことにしてしまうには勿体もったいなさ過ぎるから」


 瑠璃は己の手を背に回し、軽くなでてみせた。

 マリナによって切り裂かれ、和哉によって治されたその部位を。


「今回がそうだったように、吸血鬼と戦うことは結構けっこうなリスクをともなうわ。

 だから、どんな怪我であろうとも瞬時に治してみせた、あなたのその力は貴重。

 特に、敵に肉薄にくはくするハンター……光志郎みたいなタイプにとっては、かなり重宝ちょうほうするはず」


 瑠璃には瑠璃なりの思いがあるだろう。

 本当は、他に言いたいことがあるのかもしれない。逆に、言いたくないことだってあったかもしれない。

 それでも、それを横に置いて、こちらの求め通りに、事務的に話してくれるその姿勢は素直に好ましいと思った。


「瑠璃ちゃんのビジネスライクなところ、けっこう好きだよ」


「ありがとう。

 吸血鬼は人間を喰らうだけじゃない。

 いくら狩っても、いつの間にか新しい吸血鬼が生まれてる。

 吸血鬼退治に果てなんてないけど、かといって、狩るのをやめれば……」


「被害が増えるだけ、か」


「そう。果てがないとはいえ、やめるわけにもいかないのよ。

 昔いろいろあったせいもあって、ハンターは常に人手不足。

 だから、和哉くんが協力してくれるなら、こちらは大助かりよ」


 そこまで言うと、瑠璃は大きくため息をついた。


「でも、強制はしないわ。嫌なら嫌と断ってくれていいの。

 ハンターとして生きていくのは、茨の道、修羅の道。

 望まずに進んだところで、当人の寿命を縮めるだけ、味方の足を引っ張るだけだから」


「断ったとしても、吸血鬼が僕のことを放っておいてくれるわけでもないよね?」


 和哉の胸をよぎったのは、マリナのこと。

 執着心の強い彼女のことだ。あの程度のことで、和哉のことを諦めてはくれないだろう。


「それはその通り。

 まあ、それとなく監視がつくことにはなるでしょうけど、極力あなたの目の届かないところで処理するわ。

 この事件が起きる前までこれまでと同じようにね」


「……」


 もはや和哉は答えを出している。

 マリナの誘いを振り払ったあの時に、ハンターとして生きると決めたのだ。

 そして、その選択は、瑠璃たちにとって望ましいもののはず。


 それなのに、瑠璃は今、逃げ別の道を提示してみせた。

 和哉の未来はまだ決まってないと、もう一度考え直していいのだと、もっと自分の好きにしていいのだと言わんばかりに。


(どうしてなんだろう)


 最初に言葉を交わした時から思っていた。

 瑠璃はどうして、こんなにも和哉自分に親切にしてくれるのだろうかと。


 光志郎はまだ分かる。短かろうと、作り物であろうと、友として過ごした時間があるから。

 だが、瑠璃はそうではない。

 巻き込んでしまったという負い目のせい? ハンターしての使命感? それとも、別の何かが……?


「僕は言ったよね?

 僕の帰るべき場所は、君たちの隣だって。

 その思いは変わらないし、変えるつもりもない」


 瑠璃が親切にしてくれる理由。それが分かる日は来るのだろうか。

 頭の片隅でそんなことを思いながら、和哉はじっと瑠璃を見つめる。


「見てしまった事実から、知ってしまった真実から、目を逸らすことなんでできないよ。

 ましてや、僕にもできることがあるなら、なおのこと」


「それは、今までの穏やかな生活を……日常を捨ててまで、やるべきことなのかしら?」


「捨てないよ」


 瑠璃の問いかけに、和哉は即答した。


「日常も、非日常も、どっちも取る。取ってみせるさ」


 今まで通りの日常日々も、知ってしまった非日常真実も、どちらも取りこぼさずに生きていく。

 それはきっと簡単なことではない。

 今の和哉では想像もできないほどの苦労が、困難が、きっと待ち受けていることだろう。

 もしかすると、早々にを上げてしまうかもしれない。

 それでも、今は啖呵を切るしかなかった。


(どちらも捨てては駄目なんだ。例え、どれほど傲岸ごうがんだろうとも、茨の道だろうとも)


 新米の自分は、詳しい事情なんて教えてもらえない。

 それでも、分かることがある。感じ取ることもある。


 光志郎や瑠璃はきっと、和哉をもう一度日常へと戻すために、相当骨を折ったはずだ。

 その厚意こうい無下むげにするわけにはいかない。

 例え、和哉には和哉なりの譲れない思いがあるとしても……。


「ただ、吸血鬼たちがどんな存在なのか、どうやって戦えばいいのか、それから、一般には伏せられている真実について……瑠璃ちゃんたちからすれば基礎的あたりまえなことすら、僕は知らないんだ」


 悔しいけれど、今の自分は未熟者ひよっこすぎて、何の役にも立ちやしない。

 知らねばならないこと、覚えなければいけないことが山ほどある。

 だから。

 和哉は決意を胸に、瑠璃に対して頭を下げた。


「だから、これから僕に教えていってくれ。吸血鬼と戦っていくために必要なことを、いちからじゅうまで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る