第16章:変わらないモノと、変わったモノと

「おはよう、和哉! 今日も良い朝だな!」


 和哉が玄関のドアを開けると、親友が悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて立っていた。


「……」


 和哉はバタンとドアを閉める。

 今のこの気分で目にしたら、ぐにでも殴り飛ばしたくなってしまうものを見てしまった気がする。

 深呼吸して気を取り直し、もう一度ドアを開けた。


「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」


「光志郎」


 玄関先に立っていたのは、間違いなく光志郎だった。

 学校指定の制服を着て、いつもと何ら変わらぬ様子で、そこにいた。


「―――歯を食いしばれ」


「え」


 低い声でことわりを入れてから、和哉は渾身こんしんの力をもって光志郎のみぞおちに拳をたたき込む。

 和哉からの一撃をまともに喰らった光志郎は、短くうめくと和哉の足下にズルリと崩れ落ちた。


「っ、ず、ずいぶんなご挨拶じゃん?」


「だから先に言っただろ、歯を食いしばれって」


 想定外の一撃だったらしく、光志郎はうずくまったまま立ち上がれずに居る。

 そんな彼を、和哉は冷たい目で見下ろした。


「何よりも先に、僕に言うべきことがあったよね?」


「……ゴメンナサイ」


 いつもは自分よりも高い位置にある光志郎の頭が、今この瞬間だけは自分よりも低い位置にある。


 光志郎の旋毛つむじを見ろしながら、これですべてチャラにしようと和哉は思った。

 和哉のことをだまして、隠し事もして、利用までしておきながら、勝手に離れていこうとしたことも。

 ちゃんとした説明もせず、なし崩し的に日常生活へと放り出そうとしたことも。


「こちらこそ、痛い思いさせて悪かった」


 光志郎が悪いことをしたから、和哉は本気で反発はんぱつした。

 最終的に光志郎は謝罪したし、和哉もそれを受け入れた。

 これでいさかいは終わり。

 光志郎が負い目を感じる必要はなくなったし、和哉だってわだかまりはない。


「僕をずっと騙してたお前も悪いが、お前を今いきなりぶん殴った僕も悪い。

 お互いがお互いに悪いことして、謝りあったんだから、これでチャラだよ」


 でも今後こういうドッキリはやめてくれと呟いてから、和哉は光志郎に手を貸して立ち上がらせた。


「言いたくないことだってあるだろうから、すべてを正直に話せとまでは言わないけどさ。

 僕に関わることなら、できるだけ教えておいてくれよ。

 当事者なのに何も知らされないのは、寂しいし、つらいよ」


「だって、少しでも早く元の生活に戻した方がいいと思って」


「まだ何か?」


「イエ、ナニモ」


 言い訳をしようとした光志郎を、和哉は眼力ひとつでやり込めた。


「それで、結局あの後どうなったんだよ」


 せっかくいつも通りの時間に家をでれたのだ。遅刻はしたくない。

 通学路へと歩み出しながら、光志郎に問いかける。


「マリナのことはどうなった。

 それに、お前の説明通りなら、僕は元の生活になんて戻れないはずだろ。ついでにお前も、だけどさ。

 それから、任務が終われば街を離れるとかなんとか言ってなかったか?」


「その説明が必要だと思って、朝一番に来たんだよ」


 和哉と肩を並べて歩きながら、光志郎は少しだけ真面目な顔になった。


「まず、ひとつ目の質問に対する答えから。

 あのお嬢サンの足取りは、今のところ不明。

 一応探しちゃいるけど、表に出てくるタイプじゃないから、そう簡単に足取りは掴めないだろうな」


「そう、か」


 マリナがまだ狩られていないという事実に、和哉はため息をこぼした。


マリナ吸血鬼を倒せなかった自分を、いて恥じる気持ちはちゃんとある。

 なのに、彼女がまだ健在なことに、ちょっとだけホッとしてしまう僕もいる……)


 あまりに甘く、未熟で、身勝手なこの思い。自分で自分が嫌になる。


「人間には興味を示さない。ただ、自分を狙う者には容赦をしない。触れることでこちらの力を吸収して糧にしてしまうから要注意。

 あのお嬢サンに対する情報は、そんなところ。

 和哉を狙ってきた理由が分からないし、お前がピンピンしてるのも謎なんだけど?」


 チラリと光志郎が横目で見てくるが、和哉は露骨に視線を逸らした。

 聞かれても困る。

 出会ったばかりのマリナが、自分にここまで執着する理由。

 彼女の異能力に触れても、自分が無事でいられる理由。

 そんなものは、和哉自身が聞きたいくらいなのだから。


「取りあえず、この件に関しては保留にしておいてやるよ。

 お前を困らせたいわけじゃないし、学校に着く前に話しておくべきこともまだ残ってるし」


 和哉が黙り込んでしまったのを見て、光志郎は頭をかく。


「次は、ふたつ目の質問への答え。

 異能力は別に戦うものばかりじゃない。そう説明したのは憶えているか?」


「ああ、記憶に干渉したり、情報を改竄かいざんしたり……とか言ってたヤツか。

 僕がお前のことを友人だと認識したのも、その異能力でそう思わされてたからだとか何とか」


 和哉は昨日受けた説明を思い出し、できるだけソフトな言い回しで答えてみた。


「そう。情報や記憶に干渉する能力を持ってるヤツに頼んで、友人でしたって全体にすり込んだからな」


 光志郎の表情に罪悪感が滲んだが、和哉は気にするなとその肩を叩いた。

 騙されていたことに関しては、さっきの一撃で水に流したのだ。今更言及する必要などない。


「つまりは、そういう系統の異能力で、お前と俺の存在を世界に書き込み直した。

 だから、表向きはすべて「今まで通り」さ」


「できるの? そんなこと」


「できてなかったら、お前と一緒に仲良く登校なんてするわけないだろ。

 そう何度もできることでもないから、今回は特例だけど」


「特例……?」


 踏み込んで聞いていいものかどうか。

 結果的に元の生活に戻れたのだから、余計なことは知らない方がいいのだろうか。

 和哉がためらいを見せると、光志郎は苦笑して頭を小突いた。


「そのうち教えるけど、色々と面倒くさい事情があるんだよ。

 今のところは、「できる限り今まで通りの生活を送れるよう配慮するから、吸血鬼退治を手伝ってくれ」と言われたと思っておけ」


 こっちは人手不足なんで協力者は随時ずいじ募集中なんだ、と光志郎は付け加えた。


「俺もお前も、昨日は体調不良で学校を休んだことになってる。

 出席日数減らしちまって悪いけど、出席してたフリを通すのも大変だろうと思ってさ」


「僕だって、無遅刻無欠席ってわけじゃない。

 病院に寄ってから学校行くこともある。

 出席日数が一日減ったくらいじゃ問題はない」


 和哉がそう言うと、光志郎は「じゃあ、これが最後」と話を切り替える。


「最後に、みっつ目の質問に対する答え。

 新しい任務を受けたから、俺はここにいる」


「……は?」


 顔に「お前は何を言っているんだ」と書いて、和哉は光志郎を見る。


「当面の間、和哉の護衛と教育が俺の任務」


「教育はまあ分かるとして……僕の護衛ってのは、何で?」


「何でも何も。お前、自分が啖呵たんかを切ったこと、忘れたのか?」


「もしかして、マリナとのこと?」


「そうだよ。

 今回は手を引くけど、和哉のことを諦めるつもりはない……そんな感じのことを言ってただろ?

 お前は狙われてる自覚を持つべきだ」


 納得いかないという顔をする和哉に、光志郎は苦笑してみせた。


「狙われてるかもしれないけどさ。

 触れた相手から力を奪うとかいうマリナの異能力、どういうわけか僕には効いてないみたいだし。

 それに僕、そう簡単には死なないみたいじゃん?」


 和哉は己の腹部に手を滑らせる。

 深く切り裂かれたというのに、それでも瞬時に治ってしまった。

 こんな体質になってしまった和哉相手に、どうやって命を狙うというのか。


「確かに、和哉の回復力というか、治癒能力は、俺らから見ても異常。

 でも、万能って訳でもない」


 光志郎は右手の指先で、自身の目尻を叩いてみせる。


「何でもかんでも治せるなら、お前の視力だって回復してなきゃおかしいだろ」


「あ」


 和哉は自分がかけている眼鏡のテンプルに手を添えた。

 当たり前になっていて気づけずにいたが、何でも回復できるのならば、この近視だって治っていていいはずだ。


「だから、お前の力にも制限なり条件なりがあるはずなんだよ。

 和哉が自分の異能力を把握して、自衛手段もそれなりに覚えるまでは、護衛はいた方がいい」


一理いちりある。でも、過保護過ぎない?」


 人手不足なら、和哉のために人員を割いている場合ではないのでは?

 和哉が疑問を口にすると、光志郎は何とも言えない表情になった。


「大雑把に言うと、吸血鬼からみたハンターって、命を狙ってくる邪魔者ってだけじゃなくて、栄養価の高いメシでもあるんだよ。

 だから、向こうからすると、戦い方を知らないお前は「とっても食べやすくて美味しそうな飯」なわけ。

 こっちから探しに行かなくても、向こうがお前に釣られてやってくるだろうから、そこを返り討ちに……って感じで、充分に任務として成立してるよ」


「僕のこと、生き餌みたいに言わないで欲しいんだけど」


 口ではそう言いつつも、自分にも役割があるととらえれば、少しだけ気が楽になるのも事実だった。


「まあ、詳しい説明は、時間がたっぷり取れる時に。

 それと、瑠璃がお前と話したがってたから、会ってやってくれ」


「瑠璃ちゃんか。そうだね、僕も話がしたい。……放課後とかでいい?」


 マリナの凶行から守ってもらったというのに、瑠璃にはロクにお礼も言えてないことを思い出す。

 直接会って、謝意を伝えねばならないだろう。


「分かった。そう伝えておく。

 俺は別件があるから同席はできないけど、問題はないよな?」


「もう知らない仲じゃないから大丈夫だけど……光志郎はどこに?」


「たいしたことじゃない。今回の顛末を、きちんと上司に報告してくるだけ」


 一番事情を把握してるのが俺だから、と光志郎は肩をすくめた。


「俺がいない間は、瑠璃がお前のことをガードする。

 ちゃんとここに戻ってくるから、心配しなくていい。

 ……あっ、これ、死亡フラグとかじゃないからな!」


「戻ってこなかったら、また学校サボって探し回るだけだよ」


「あれ、藤沢じゃないか」


 交差点で赤信号に捕まり、足を止めたところで、ふいに背後から声をかけられた。

 振り返ると、自転車に乗った高橋がそこにいた。


「ああ、高橋か。おはよう」


「おはよう。藤沢は今日も早いな。さすがは優等生」


「……」


 ほんの一瞬。よく見ていなければ気づかないほどわずかに、それでも確実に、光志郎が肩をふるわせた。


(ああ、そうか)


 自身たちの存在記録は、一度抹消されてしまったのだ。


 ―――もしかしたら、本当に忘れられてしまったのではないか。


 例え仲間の力を信じていようとも、そんな恐怖は消えないのだろう。

 和哉自身も同じき目に遭ったわけだが、さいわいにしてそれを実感するタイミングはないままに終わった。

 だがきっと、光志郎はそうではない。


(光志郎は何度味わってきたんだろう)


 ほんの数時間前まで親しくしていた人々から、その存在を忘れられてしまう。

 どれほど仲良くなろうとも、そのえんはたやすくちきられてしまう。

 繋がりを失う悲しみを、光志郎は何度繰り返してきたのだろうか。

 これは仕方のないことなのだと、何度諦めてきたのだろうか。


(でもさ)


 表情が幾分いくぶん硬くなった光志郎を、和哉はひじで軽くつつく。

 はっとしたように、光志郎が和哉に視線を向けた。


(お前のことを憶えている親友ものなら、ここにいる)


 お前はもう、ひとりじゃない。

 和哉がそう目配せすると、そこでようやく光志郎はいつも通りの表情に戻った。


「なんだ、遅刻魔の橋本も一緒か。この時間帯にここで見るとは思わなかった。

 珍しいこともあるもんだな。明日は雨か?」


 和哉たちに足並みを揃えるためか、高橋は乗っていた自転車から降りる。


「高橋君てば酷い人だなぁ。俺だって、たまには早く登校することだってありますぅ」


「……橋本は平常運転いつもどおりなのに、今なら一発ぶん殴っても許される気がする」


 何でだろうな、と高橋は首を傾げた。


「やだ! 高橋君てばバイオレンス!」


「よし、やっぱり殴ろう。そうしよう」


 ワイワイと騒ぐ光志郎と高橋を見て、和哉は「もしかして」と思う。


 光志郎は「リセットされる」という言い方をしていたけど、実はそんなことはないのではないか。

 現実が改変されて記憶が消されてしまったとしても、抱いた感情だけは魂の奥底に刻まれているのではないか。


(友情を消されそうになったこと、高橋は本能的に分かってるんじゃないか?)


 だから、高橋は光志郎に対して―――高橋本人から見れば理不尽だが、和哉から見れば妥当な―――怒りを覚えたのではないだろうか。

 それが良いことなのか悪いことなのか、今の和哉には判断できないが……。


「藤沢! こいつ殴っても許されるよな?」


「今は駄目。自転車を駐輪場に停めて、両手が自由になってからにしなよ」


「ちょっと和哉! 理不尽な暴力から俺を守ってくれないの!?」


 光志郎が悲鳴を上げたところで、歩行者用信号機が青に変わった。


喧嘩けんかはあとで好きなだけすればいい。今は学校に行くのが先。いいね?」


 和哉の言葉に、ふたりは「はーい」とばつが悪そうに返事したのであった。

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