幕間:~任務の終わり~
スマートフォンのディスプレイを、無骨な指先が
リダイヤルですぐに呼び出せるその番号。見つめる眼差しはとても苦々しげだった。
「もしもし、俺、俺。光志郎だけど」
光志郎は不機嫌そうに唇を歪め、電話の向こう側にいる相手に―――上司であり、師匠であり、同居人でもある人物に話しかける。
「
『思ったよりは早い連絡だな、光志郎』
電波に乗って届いたのは、
自分の名前を呼ぶ上司―――慧悟の声に、光志郎は不機嫌さを隠さずに応じる。
「とりあえず、ひと段落ついたよ。
ただ、和哉が倒れちまったんだけど。本当に寝かせときゃ治るのか?」
『ただのオーバーヒートだろう。時間を取って冷ませば、また動くようになるさ』
「和哉はパソコンか何かかよ」
『初めてづくしのことで、藤沢君は心身ともにキャパシティがオーバーしたんだろう。
今はゆっくり休ませてあげなさい。充分に休息が取れれば、元気を取り戻すはずだから。
……こう言えば満足か?』
「最初からそう言えよ。お前ってホント性格悪いな」
光志郎が疲れを隠さずにそう言えば、電話の向こうの声がいくらか真面目なものに変わった。
『藤沢君は自己治癒力が異様に高い。それこそ、オレらよりもはるかに。
そう報告したのはお前たちだろう?
それなら、休ませてあげることが一番の薬になるはずだ』
「理論上は、そうなんだけどさ」
『そんなに心配か? それなら、あのキャンディを分けてあげるといい。
もうストックがないなら、オレの部屋から袋ごと持っていけ』
「……キャンディ? もしかして、俺に押しつけてきた、あのバター味の?」
すさまじく嫌な予感がする。光志郎は冷や汗をかきながら問いかけた。
『そう、それ』
「和哉の回復とあの飴、どこに関係性があるんだよ」
『
効果自体は微弱だが、
服用したところで爆発的に良くなるというものでもないが、使わないよりはマシだろう』
「……」
自分は和哉に何てものを渡していたのだ。
慧悟が告げてきた事実に、光志郎は言葉を失い呆然と立ち尽くした。
(そりゃ、修正力が効かないわけだ)
あの飴が最初から「通念結界の修正力が効かない物」だったのなら、自分の存在が消されかけた後も、和哉の手元に残っていたのも納得がいく。
「お前さぁ……そんな大事なこと、何で渡すときに言わないわけ?」
『効果自体は微弱だと言っただろう?
日々任務に
呪薬だと見抜けなかったお前も悪いよ、と慧悟は電話の向こうで苦笑したようだった。
『ただ、そんなものを渡さずとも、藤沢君自身の力で回復できるはずだ。
お前は彼のことをもう少し信じてやれ』
「はいはい、分かりましたよ。
和哉の身体が問題ないのなら、それでいいよ」
一番の
「女吸血鬼は手負いにしたけど、逃げられちまった。
お前が深追いすんなって言うから、追っかけはしなかったけど……和哉のことを諦めてなさそうで、そのうちまた出てきそうな気がする。
まあ、今後どうするかの判断は、お偉いサンのお前に任せるさ」
『手負いにしたのなら上々。しばらくは引っ込んでるだろうさ』
「とりあえず、お前の指示通りにケリをつけたんだから、今は俺のことを存分に褒めろ!」
『手に負えないものは深追いせず、しかるべき相手に任せる。
そのことをようやく学習したようだな。偉いぞ、光志郎』
慧悟の返答を聞いた瞬間、光志郎の表情がより苦いものになる。
「全然褒められてる気がしねぇんだけど」
『心外だな。オマエの言ったとおりにしたのに』
電波越しの声に
「ほんとムカつく……けど、お前の性格の悪さについては、一旦置いておいてやる。
それよりも、あの女吸血鬼のチートじみた力は何なんだよ!
俺の攻撃がほとんど通じなくて、ガチめに死ぬかと思ったんだけど!?」
『常日頃から、予想外の敵は深追いするなと言っているだろう?
オマエの戦闘スタイルと相性がよくない敵だっているさ』
表情こそ見えないが、電話の向こう側で慧悟は笑ったようだった。
『気になっているようだから、教えてやる。
あの女吸血鬼は、触れた者から超常的なエネルギーを……『マナ』を吸収する異能力を持っている。
そして、お前はマナを雷に変換して、拳にまとわせて攻撃しているだろう?
そりゃあ、アレに攻撃しようとしても、触れた端から吸収されて、弱体化させられるだけ。ダメージなんて通るわけがない。
アレと戦うつもりなら、手が届かないくらいに距離を取らないとダメだ』
「最初に言えよ、そういう大事なことはっ!」
周囲のことなど意に介さず、光志郎は慧悟を力の限り怒鳴りつけた。
「じゃあ、和哉が押さえ込んだ時、ダメージが通ったのは」
『和哉くんの
オレは現場を直接見てたわけじゃないから、あくまで推測の域を出ないが』
「マジかよ……」
そりゃあ倒れもするわ、と光志郎はひとりごちた。
「和哉が死ななくて良かった。
そもそも、そんな危険な敵なら、何でもっと早く情報
『そもそも、今回のターゲットはアレではなかっただろうが。
本来、吸血鬼は縄張り意識が強い。ひとつのエリアに何体もいるなんて思わなかったのさ』
元々、光志郎たちが探していた吸血鬼はマリナではない。
別の吸血鬼を探していた結果、不意打ちで遭遇してしまったのがマリナである。
だから、光志郎たちがマリナの情報を渡されていなくても当然のこと。想定外の敵のデータまで渡していたら、キリがないのだから。
そんなの光志郎だって分かっている。
だが、腹は立つ。
本当は全部知っていたのではないかと、分かっていたのではないかと邪推してしまう。
(和哉のことだって、そうだ。
ハンターの素質があると見抜いていて、覚醒させるために、敢えてこんな目に遭わせたんじゃないのか?)
電話の向こう側のいるのは、そう思わせるだけの前科がある相手なのだ。
「じゃあ、情報が出
『彼女がどうして藤沢君に興味を持ったのか、オレが聞きたいくらいだね。
今までのデータを考慮するに、あの女吸血鬼は一般人には興味を示さない。
藤沢君が襲われた時点では、彼は未覚醒だったんだろう?
さすがにレアケースすぎる』
「お前、微妙に役に立たないな」
『オレは神様じゃない。できないことや分からないことだってあるさ。
……何のために
こうやって想定外のことが起きたとしても、オマエか瑠璃、どちらかが対処できればいいと思ったからに決まってるだろう』
「うっ」
『オマエが遠距離戦を苦手……いや、接近戦を得意としているのは分かっている。
でも、少しくらいはバリエーションを増やせ。
手札は多い方が良いに決まってるだろう?』
「それは……」
『もう一度あの吸血鬼と交戦することがあったとして、その時はどうするつもりなのかな?
また、藤沢君に敵の妨害を頼むつもりか?』
「それは嫌だ」
スマートフォンを持つ手に力を込め、光志郎はきっぱりと即答する。
「
『そうか。それなら、自分で対処できるようになれ』
いつまでも子供のままじゃいられないんだよ、と慧悟は付け足した。
『お前はまだ高校生、じゃあない。もう高校生、なんだよ。
進学は希望していないんだろう? ならば、再来年には社会人だ。
その時までには、単独で任務を任されるくらいになっておきたいだろう?』
「……」
痛いところを突かれたように、光志郎はぐっと言葉を詰まらせる。
『オレとしては、光志郎のやる気は高く買ってるつもりだ。
何しろ、他でもないこのオレが直々に指導してるんだから。
だから―――もっと強くなれ。
今のままじゃ、また、大切なものを失うことになるぞ?』
「この外道が」
光志郎が苛立ちを隠さずにそう言うと、慧悟は声のトーンを和らげた。
『褒め言葉として受け取っておくよ。
話を戻そう。今回の事後処理に関しては、お前たちの要望通りに手配をしておいた』
「俺としては願ったり叶ったりだが、本当にいいのか?」
想定外の答えをもらったと言わんばかりに、光志郎は目を見開く。
「本当に、和哉を日常に戻してもいいのか?」
『こちらとしても、
彼が異能力を発動するトリガーは、理性的なものではなく、本能的なものではないか。そう報告したのはお前だろう?』
「それは、そうだけど」
光志郎は目を閉じた。眼裏に浮かぶのは、力を発動させる直前の、和哉の姿。
―――何もなかったことなんかにさせてたまるか!
その声を、表情を、鮮明に憶えている。強く掴まれた肩の痛みさえも。
教室にいる時の、優等生顔とは違う。街で遊ぶ時の、無邪気な顔とも違う。
普段の温和さが嘘のように、激しく、熱く、荒々しくて。
「一度目はその瞬間を見てないから分からんが……。
二度目は激怒、三度目は義憤。
和哉は多分、強い感情をトリガーにして、異能力を発動させてる」
和哉が異能力を行使するのに、感情を爆発させることが前提条件であるならば。
彼の精神がすり減れば、異能力を行使できなくなってしまう。
『環境の急激な変化が藤沢君に負担となるならば、避けておきたい。
こちらとしても、彼の力について興味があるし、利用価値があると思ってる。
できるだけ多くのデータを取りたいし、力が弱まるようなことがあっては困る。
今まで通りの生活を送ってもらった方が、こちらとしても好都合というわけさ』
「お前にも情があるんだな……なんて、一瞬でも思った自分が恥ずかしい」
結局は利用するためかよ、と光志郎は吐き捨てる。
「吸血鬼から人間を守るためとか、おキレイな
まだ何も知らされてないお人好しの少年は、良いように利用するのかよ」
『それが嫌なら、藤沢君が利用されないよう、光志郎が目を光らせろ。
こっち側の事情なら、お前は
慧悟は悪びれもせずにそう言ってのけた。
『とはいえ、今回の任務に関して、お前の仕事はここまでだ。
さっそく、次の任務に取りかかってもらおうか』
「……はいよ」
人を食らう化け物を野放しにするわけにはいかない。
和哉は死ぬことこそ免れたが、それでも人生を狂わされてしまった。
彼みたいな被害者を増やさないためにも、吸血鬼は狩り続けねばならない。
(今度は、上手くやってやる)
―――終わりだと勝手に決めつけて、諦めて、黙って離れていこうとするな!
脳裏を過った言葉を、光志郎は頭を振って無理矢理消した。
(いつだって、任務が終われば関係はリセットされてきた。
でも、今回はそうでもない)
和哉は自分のことを憶えていてくれる。
例え遠く離れることになろうとも、関係が途切れるわけではない。
連絡だって、取ろうと思えばいつでも取れる。
それだけで、充分じゃないか。
自分にそう言い聞かせて、光志郎は電話の向こうに問いかける。
「それで、任務内容は? 俺はどこで何をすればいい?」
『話が早くて助かるよ』
光志郎の切り替えの早さに、慧悟は少しだけ笑ったようだった。
『では、光志郎。次の任務だが……』
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