第13章:譲れない思い
長い
「私はさっきの客間で待ってるわね。
光志郎に聞きたいこと、言いたいこと、たくさんあるでしょう?
気が済むまでふたりで話すといいわ」
遠慮しなくていいからね、と
「……」
改めて、室内を眺めてみる。
畳敷きのだだっ広い部屋。鞄や服は畳の上に乱雑に放られていて、持ち主の性格がうかがえるようだった。
壁には備え付けの棚があり、その中にはアウトドアに関する本や小物が申し訳程度に置かれている。
そして、床の間には、専用のケースに入れられたフィギュアが飾られていた。
数週間前に和哉がゲームセンターで取って、光志郎にプレゼントしたフィギュアが。
(本当に飾ってたんだな)
ここが光志郎の自室なのだろう。
部屋の中央には布団が敷いてあり、人の形に
もしや「合わせる顔がない」という言葉を体現してるつもりなんだろうか。
そんなことを思いつつ、和哉は布団に近づく。
「なぁ、光志郎。一度は顔を見せたんだから、今更かくれんぼしても遅いだろ」
名前を呼べば、布団の膨らみがピクリと動いた。
和哉がその
「……お前、何で俺のことを憶えてるんだよ」
ややあって、布団から光志郎の声がしてきた。
いつもと違い、重く沈んだ、固い声。
和哉と距離を置きたがっている、そんな雰囲気を漂わせる声が。
「俺のことなんて、とっくに忘れてるはずなのに」
和哉が瑠璃の話を聞いている間に、光志郎は光志郎なりに考えをまとめていたらしい。
しかし、光志郎が何を言いたいのか、聞きたいのか、いまいち要領を得ない。
(さて、どうしたものかな)
なぜそこまで
ただ、かける言葉を間違えれば、きっと光志郎は完全に心を閉ざしてしまうだろう。それだけは理解できた。
どう答えようかと悩む和哉の脳裏に、クラスメイトから―――山本と高橋から、かけられた言葉が浮かぶ。
『コウシロウ? 誰だ、それ』
『オレらにドッキリをしかけようとしたんだな?
藤沢にしちゃ珍しいことするじゃないか!』
つい数日前まで、光志郎のことを友人として扱っていたクラスメイトたち。
その彼らが、光志郎のことを知らない人だと話していた。
その上、下駄箱も、教室の席も、ロッカーも、光志郎のものは何ひとつなくて。
学校から、いや、この街から、光志郎の痕跡は消えてしまっていた。
(通念結界とやらの影響で、僕の記憶が改変されてないとおかしい……って言いたいのか?)
「親友のこと、そう簡単に忘れたりしないだろ」
お前からもらった飴だってまだ持ってるし、と和哉は付け加える。
「俺とお前の間に友情なんて存在しない」
決めつけるような光志郎の言葉。
一瞬カチンときたものの、和哉は苛立ちをグッと飲み込んだ。
「根拠は?」
「俺の仲間が、お前をそういう風に『設定』しただけだから。
この街に、俺が違和感なく留まり続けるための
「設定……」
「瑠璃から
外見上、吸血鬼と人間の区別をつけるのは難しい。しかも、あいつらは
そんなヤツらをあぶり出すのは容易じゃない。何ヶ月もかかることなんてザラだ。
そうなれば、その場所に留まり続けるのに違和感のない身分が必要だろ」
その地で暮らす人々に、そして、どこかに潜んでいる吸血鬼に、不審がられないだけの、表向きの身分。
それが必要だったのだ、と光志郎は語る。
「異能力ってのは、千差万別。戦闘に向いてるモノもあれば、そうじゃないモノもある。
記憶に干渉したり、情報を
そういうヤツらの力を借りて、俺は街に溶け込んでいるわけだ」
この街は、いくつもの学校を有している。
高校生という身分は、溶け込むのに都合が良かった、と光志郎は説明する。
「吸血鬼を狩るという任務を果たすためだけの、
だから……どの学校の、どのクラスに潜り込んでも良かったんだ。
ただ、未成年の俺が、この街をぶらついても違和感のない『設定』が得られるところならば」
昼間は年齢相応に高校生として街に溶け込むこと。
それが、所属する組織からの指示。
あとはクラスで浮かない程度の「友人」がいれば『設定』としては上出来だった。
ある程度は教師からの信頼を得ていて、ひとりくらい「友人」が増えても違和感がない、交友関係がそれなりの人間がいれば。
「明け方まで調査をすることもある。新しい情報が入ったって、事件が起きたって、呼び出しをくらうことだってある。
どうしても学校をサボりがちになるから、それをフォローできるだけの「友人」がいれば上等で」
「白羽の矢が立ったのが、僕なのか」
「そうだよ。
お前は成績もいいし、面倒見もいいし、人当たりもいい。教師の中でも評判は上々。
仲の良い藤沢が橋本の面倒をみてるから大丈夫―――周りは勝手にそう思ってくれる。
実際、お前の本当の友達である山本君と高橋君も、俺のことを受け入れてたわけで」
光志郎の属する組織は、条件に合致する人物として、藤沢和哉という人間を選び。
そうして、異能力によって、和哉に、周囲に、偽りの記憶と記録を埋め込んだ。
―――和哉と光志郎は友人であり、優等生の和哉が、だらしない光志郎の面倒をよく見ている、と。
和哉と光志郎の間にあったのは、異能力を使って無理矢理ねじ込まれた『設定』。ハリボテの記憶と友情だ。
「実際、俺といつ出会ったのかっていう記憶はないだろうし、そこに違和感もなかっただろ?
通念結界によって、超常的なものは全部隠される。
つまり、「異能力が使われた」と気づけないように世界が作られてるんだからな」
違和感に気づいちまったら日常とはオサラバなんだよ、と光志郎はつぶやく。
「俺とお前が一緒に過ごした時間なんて、たったの二ヶ月かそこいら。
だから、友情なんてなかった。ただの作り物、偽物の感情だったんだよ」
布団の中から聞こえる光志郎の声が、どんどんトーンダウンしていく。
「俺は夕べ、吸血鬼という化け物と交戦して、死にかけた。
でも、この世界に「吸血鬼なんて存在しない」ことになってるだろ?
だから、常識とのつじつまを合わせるために、
光志郎は、吸血鬼との戦いで重傷を負い、死にかけた。
化け物なんていない。ならば、それによって死ぬ人間もいない。ましてや、ハンターという名の異能力者なんて……。
通念結界はその都合の悪い事実をもみ消そうと、光志郎の存在した証を消去しようとしたのだ。
「俺に関する記録も記憶も、ぜんぶリセットされるはずだった。
無論、和哉の記憶も改変されるはずだった。
しかし、そうはならなかった。
存在がリセットされる以前も、それ以降も、和哉は変わらず、光志郎のことを認識し続けている。
「俺との思い出なんて、お前の中にはロクにありゃしない。
こんなことにならなくても、任務が終わってしまえば、全部なかったことになるはずだった。
遠からず、俺とお前は無関係の人間に戻るはずだった。
それがほんの少し早まっただけなんだよ!」
光志郎がハッキリと拒絶の意を示した。
これで分かっただろう、と。
だからもう踏み込んでくるな、近づいてくるな、と。
「そうか。それならさ」
和哉は大きくため息をついてから、足を崩して。
そのまま布団を蹴り飛ばし、転がっている光志郎の胸ぐらを掴み上げた。
「作り物の友情だっていうなら、無関係の人間同士だっていうなら、僕がどうなろうと光志郎にとってはどうでもいい話だろ!」
ぶつかりそうなほど顔を近づけて、和哉は光志郎を怒鳴りつける。
無理矢理引き起こされた光志郎は、傷が痛んだようで一瞬顔を
「こうされただけで痛む傷を抱えてるのに、なんで僕のことを探しに出たんだよ!
お前は「親友が殺されるかもしれない」って思って、いてもたってもいられなかったんだろ!?」
「吸血鬼から人間を守ることが、俺の使命なんだよ」
和哉の視線を真っ向から受け止め、光志郎はきっぱりと言い切った。
「例え相手が誰であろうと、俺は動いていた。
俺が動いたのはお前のためだって? 大層な自信だな?
「人ひとり探すだけなら、
でもお前は、組織とやらの指示さえも無視して飛び出した」
親友だと思っていた男から
「お前が冷静さを失ってる時点で、僕との友情を大事にしてたのが丸わかりなんだよ。
僕に嫌われるくらいならって、自分の方から突き放そうとするなよ!
自分の心を誤魔化そうとするな、このバカ野郎が!」
「植え付けられた感情に惑わされて、和哉は俺の行動を良い方向に解釈してるだけだ。
俺に対して情を感じてるなら、それはまがい物でしかない!」
この
「友達だと思ったきっかけなんて、理由なんて、この際もうどうでもいい!
教室で一緒に過ごした時間は確かに存在した、お前は命を賭けてでも僕のことを守ろうとしてくれた、その事実だけで充分だ!」
「……っ」
言葉に詰まった光志郎が、力任せに和哉の手を振り払う。
それでも和哉は諦めず、光志郎の両肩をがっちりと掴んだ。
「簡単に逃げられると思うなよ? 僕は今、すごく怒ってるんだ。容赦なんてしないからね。
いい? お前が僕のことを守ってくれたんだから、僕だってお前のことを守らなきゃ、釣り合いが取れないよね?
借りを返す前にいなくなるなんて、絶対に許さないからな!」
「戦い方も知らない素人のくせに、偽物の感情に振り回されて、
「ああ、その通りだ。僕は何も分かってない、何もできない、ずぶの素人だ。
でも、今はそうでも、この先もそうだとは限らないだろうが!
僕の親友のくせに、僕のことを見くびるんじゃないよ!」
和哉が強気な言葉を口にした瞬間、光志郎が目を見開いた。
ここまで荒ぶる和哉は見たことがない。そんな顔をしている。
「お前が僕を
でも、だからといって、すべてを捨てることなんてできやしない。
教室でくだらない話をしてたことも、放課後に勉強教えたことも、休みの日に遊びに行ったことも……一緒に過ごした時間を、感じた思いを全部なかったことにして、自分で自分を騙しながら生きていくなんて嫌だ。
そんな人生送るくらいなら、嘘から始まったこの感情に踊らされ続ける方がマシなんだよ!」
言葉をいくら重ねても、思いが相手に伝わらないこともある。
それでも、少しだけでもいいから、この気持ちが届いて欲しい。
そう願いながら、和哉は言葉を
「嘘だらけの友情だったというなら、このままじゃ嫌だというなら、いちからやり直せばいいだろ?
騙してたなら、素直に謝ればいい。
知らないことだらけなら、これから知っていけばいい。
取るに
今この瞬間から、嘘偽りのない時間を一緒に重ねていけばいいだけのことだろ!
良いところも悪いところも全部ひっくるめて、僕は光志郎のことを気に入ってるんだよ!
だから……」
光志郎にかける声に、肩を掴む手に、ありったけの思いを込めて。
「終わりだと勝手に決めつけて、諦めて、黙って離れていこうとするな!
僕のことを「俺の親友」だと言ったのは、他の誰でもないお前だろ?
ちゃんと責任を取れ! 何もなかったことなんかにさせてたまるか!」
感情の赴くままに言葉を叩きつけた、その瞬間、和哉の身体の中で「何か」が湧き上がった。
急速に膨れ上がった「何か」が破裂して、一気に「外」へと流れ出る。
白い光の粒子が和哉の全身から溢れだし、
雪にも似たその光の粒子が降り注ぐ中、血が上っていた和哉の頭が急速に冷えていく。
短距離を全力疾走した直後のような
(な、なんだろ。急に、身体が……)
思わず倒れ込みそうになったが、畳に手をつくことで辛うじて体勢を維持する。
「!」
キラキラと降り注ぐ光の粒子が身体に触れた瞬間、光志郎が息を呑んだ。
「和哉、お前一体を」
「え?」
何かを受け止めようとしているかのように、光志郎は手のひらを上に向ける。
その動きにつられるようにして、和哉は光志郎の手をのぞき込んだ。
宙を舞う白い光の粒子が、光志郎の無骨な手に触れた瞬間、肌になじむようにしてジワリと消えていった。
「何これ」
「聞きたいのはこっちの方なんだが」
光志郎は立ち上がり、Tシャツの
はらりはらりと畳の上に落ちていく包帯。
その包帯にも、肌にも、赤黒く湿った血がついていて、生傷があったという証拠を残している。
だが、その血を出していたであろう傷は、奇麗さっぱりなくなっていた。
「治った」
光志郎は状態を確認するように、己の胸へと手を滑らせた。
「胸、けっこう派手にやられてたんだけど。あの陰険な赤いお嬢サンに」
「どういうこと……?」
和哉は思わず聞き返した。
瑠璃は言っていた。「ハンターの特性をもってしても、完治までにはそれなりの日数が必要だ」と。
(もう治っただって? 話が違うじゃないか)
訝しむ和哉をよそに、光志郎はシャツの裾を戻した後、ほどいた包帯を
「常識じゃ考えられないことが起きたってことは、異能力が使われたってことだろ」
「それは、そうだろうね」
「なんか、ただ治っただけじゃない。
いつもより調子いいというか、身体が軽くなったというか、急に感覚が研ぎ澄まされたというか」
光志郎は視線を己の手に落とすと、握ったり開いたりしている。
どうやら、自身の調子を確かめているようだ。
「こんなこと、初めてだな……」
「これ、光志郎の力じゃないの?」
「俺の力は攻撃系。だから、こんなことはできない。
この部屋にいるのは俺と和哉だけなんだから、お前の
和哉、俺に何をしたんだよ?」
「わ、分からない」
問われても、和哉としても答えようがない。
自発的に何かしたという憶えがない上に、異能力に関する知識だって
「特別な何かをしたつもりはないよ。
そもそも、マリナから負わされた傷だって、どうして治ったのか僕自身よく分かってない」
全身を襲った倦怠感は、光志郎と話をするうちに治まっていった。
異能力を行使するには何らかの代償を伴うと瑠璃は言っていた。
もし今、光志郎の怪我を治したのが和哉の力によるものならば、この倦怠感がその代償とやらなのだろうか……?
「そうか」
和哉が困惑した表情を浮かべると、光志郎は何事か思案するように目を伏せた。
「瑠璃ちゃんは、僕の異能力は「怪我を瞬時に治す力」じゃないかって推測してた。
つまりはそういうこと?」
「俺も最初はそう思ってた。
お前は治癒能力を持っていて、それで怪我を治したんだろうって。
だけど……きっと、それだけじゃない。
もしかすると、お前は」
言葉を続けようとして、しかし光志郎はふいに口をつぐむ。
次の瞬間、ドンと激しく家屋が揺れた。
「地震!?」
「いや、家に張ってあった結界が……目くらましの壁が、壊された」
倒れ込みそうになった和哉に対し、光志郎は立ったまま、障子越しに外をにらむように視線を流した。
「ほんっとーに、しつこいお嬢サンだこと!」
呆れたように声を上げると、片足で障子を
吹き飛んだ障子が縁側を越え、庭に落ちる。
その軌跡の先にいたのは、墨で描かれた巨大な虎にも似た「何か」。
「またかよ!」
和哉は思わず悪態をついてしまった。
多少形は違うようだが、この手の化け物を見るのは三度目。いい加減、腹も立ってくる。
「しょうがないね。こいつら、吸血鬼の手駒だから」
和哉を背にかばうようにして、光志郎は一歩前に出る。
「あのお嬢サン、和哉のことをとってもお気に召したようだから、ちょっかい出したくてしょうがないんじゃない?
ほら、可愛い子ほどいじめたい、みたいな」
「僕としては、痛いのも苦しいのも勘弁してほしいんだけど」
「そうだろうな。
まあ、化け物からしたら、人間の気持ちなんてしったこっちゃない、ってコト」
和哉がため息を漏らすと、光志郎はわずかに苦笑したようだった。
光志郎の手に、黄金色の雷光が宿る。彼の思いを代弁するかのように、激しい音を立てながら。
「さて。
畳を蹴りつけ、光志郎は素足のまま庭に飛び降りる。それを待っていたかのように、化け物が彼の元へと突進してきた。
飛びかかってくる化け物を、雷をまとわせた拳でストレートに殴りつける。
雷に焼かれた化け物は塀まで吹き飛び、その身体を強かに打ちつけると黒い煙と化して消えていった。
しかし、塀を乗り越え、二匹目、三匹目が乱入してくる。
「次から次へとキリがないな……おい、和哉!」
面倒そうに舌打ちをすると、光志郎は声を荒げた。
「走れ、瑠璃のところまで!」
「っ!」
気圧されるようにして、和哉は走り出した。瑠璃がいる、離れに向かって。
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