第11章:目覚め

 感情のおもむくまま、和哉は学校を飛び出した。

 しかし、明確な行く当てがあるわけでもない。


 光志郎と共に下校した道、一緒に立ち寄ったコンビニ、雑談に花を咲かせたファミレス、休日に遊んだゲームセンター、それから……。


 次から次へと記憶の中にある「光志郎と共に訪れた場所」を当たってみたが、彼の姿を見つけられるはずもなく。

 いつの間にか日は傾き、空はあかね色に染まっていた。


「はぁ……」


 とある小さな公園。探し疲れた和哉は、ベンチに腰を下ろして休憩していた。


(この辺のどこかに、光志郎の家がある、はず……なのに)


 この地区あたりに住んでいるのだと、光志郎から聞いたおぼえがある

 けれど、住所そのものを憶えているわけでもなく、訪れたこともなく。

 正直なところ、これ以上、探す場所など浮かばなかった。


(閉まる前に学校に戻った方がいいよな。鞄、置きっぱなしだし)


 現状、光志郎探しに関しては手詰まりだ。

 仕切り直すにしても、諦めるにしても、一旦学校に戻るべきだろう。

 ただ、そう思ってはいても、徒労感と虚無感が和哉の動きを鈍らせていた。


「あら、カズヤじゃない」


 ベンチに座り空を眺めているだけの和哉に、不意に声がかけられた。

 声がした方へノロノロと顔を向けると、そこには赤いワンピースの少女が立っていた。


「マリナか……」


 こんなところで会うなんて思いもしなかった。

 もしかして、彼女もこの辺りに住んでいるのだろうか?

 いや、偶然の再会というには、あまりにも出来過できすぎな気がする。

 頭の中には様々な思いが浮かんだが、疲れすぎていて口に出す気になれなかった。


「ずいぶんと顔色が悪いみたいだけど、どうしたの?」


 マリナは、和哉の隣にちょこんと腰を下ろす。


「気分が悪いの?」


 和哉の反応がにぶいのが気になったのか、マリナが心配そうに顔をのぞき込んできた。


「いや、そういうわけじゃなくて」


「じゃあ、何だっていうの?」


 マリナの目と和哉の目が合った。


(あぁ……)


 マリナは、赤く澄んだ瞳をしていた。

 瞳に宿る強い光が、隠し事など許さないと雄弁に語っている。

 ずっと見ていたくなるような、不思議な魅力があって。

 人を引きつける瞳だな、と和哉はボンヤリと思った。


「―――親友だと思っていたのに」


 重たかったはずの和哉の唇は、自然と動いていた。


「親友だと思っていたヤツがいた、はずなのに。

 なのに……どこにもその痕跡こんせきがないんだ」


 秘めていた言葉が、隠していた思いが、せきを切ったかのようにあふれてくる。


「一緒に過ごした記憶だってあるのに、みんなが「そんなヤツは知らない」って言うんだ。

 あいつがいた証なんて、街にはひとつも残ってなくて」


 光志郎がいたという痕跡は、ちっちゃな飴ひとつだけ。

 和哉の手のひらにちっぽけな証拠をひとつだけ残して、あとはすべて消えてしまった。


「もう、何が何だか、分からない」


 もし親友がいたということ自体が妄想だったというのなら、今この胸にあるわだかまりは何なのだ。

 この、悔しさとも悲しさとも怒りとも言いがたい、筆舌につくしがたい感情はどこから生まれてくるのか。


「僕は夢でも見てたのか? 親友なんて、本当はいなかったのか?

 でも、それなら、この胸の苦しみは一体何なんだ?

 あいつは絶対にこの街で生きていた! そこに嘘はないはずなのに……!」


 すべて話し終えたあと、ハッとした。


 光志郎とは無関係のマリナに、知り合ったばかりの彼女に、こんな話は聞かせるべきじゃない。

 こんなオカルトめいたこと、言うべきじゃないなんて、よく分かってるのに。


 なぜ、話してしまった?


「そうだったのね」


 マリナは得心がいったといったような表情を浮かべた。


「カズヤは苦しいのね? つらいのね? 寂しいのね? 疲れてしまったのね?

 それなら、すべて捨てちゃえばいいんじゃない?」


「え?」


「すべてを投げ出して、あたしのモノになればいいのよ。

 あなたが思うべきこと、やるべきこと、ぜーんぶあたしが決めてあげる」


 和哉に向かって、マリナは無邪気に笑いかける。

 天真爛漫てんしんらんまんなその笑顔は、ぬいぐるみを渡した瞬間に見せた表情と何ら変わりはない。

 それなのに、なぜか底知れぬ恐怖を感じて、和哉は反射的にベンチから立ち上がった。


「カズヤ」


 和哉はマリナから距離を取ろうとする。

 だが、彼女のひと言で、和哉は動きを止めた。


「酷いわ。逃げようとするなんて」


 いや、

 どれほど動けと思っても、自分の手も足も、ピクリとも反応してくれない。

 五感は働いている。まばたきだってできる。呼吸も鼓動も支障はない。

 でも、それ以外の器官は、意志から切り離されたかのように言うことを聞いてくれない。


「心配しないで。血の一滴すらあますところなく、あなたのすべてを、あたしがもらってあげるから」


 ただ、直感的に理解する。マリナが自分に何かをしたのだと。

 何らかの手段で、彼女が自分を縛り上げているのだ、と。


「―――だ……」


 和哉は気力を振り絞り、意志の全てを喉に集中させる。すると、かすれながらも声が絞り出せた。


「い、や、だ!」


 簡素なひと言。しかし、明確な拒絶の意思を、マリナに叩きつける。


(たしかに、光志郎しんゆうが突然消えて、わけ分からなくて、悲しいし苦しいけど。

 でも、苦しさも、つらさも、寂しさも、疲れも、例え絶望であったとしても、僕がうべき僕のもの。

 誰かに渡していいものじゃない!)


 和哉をとどめる不可視ふかしの力は強く、思いの全てを言葉にすることは無理だった。

 それでも和哉の意思は伝わったらしく、マリナがため息をつきながら立ち上がった。


「あたしのモノになれば、あなたは苦しみから解放されるのに。

 それなのに、どうして分かってくれないのかしら?」


 聞き分けのない子供を見るような目で、マリナが和哉を見つめてくる。


「そうだ! たしか人間って、痛い思いをすると学習する生き物なのよね?

 しょうがないから、あたしがこの手で教えてあげる。

 ……どうすれば、あなたが楽になれるのかを、ね」


 和哉が何かを答えるよりも早く、マリナは爪を鋭利えいりやいば状に変化させ、その手を軽く振るった。

 腹部に焼けるような痛みが走ると同時に、和哉の視界が真っ赤に染まる。

 そして、ワンテンポ遅れて、「斬られたのだ」と気づいた。


(どうして、こんなことになってしまったんだろう)


 背中から地面に倒れ込みながら、和哉はここ数日のことを思い返していた。


 青の少女の忠告を、ちゃんと聞かなかったから?

 マリナの誘いに、中途半端にこたえてしまったから?

 謎めいた失踪をした光志郎を、探そうとしてしまったから?


 首を突っ込んではいけないことに首を突っ込んだ。だから、こんなことになってしまった?


「……っ」


 激しい痛みと熱を伴って、腹からこぼれ落ちていくのは、赤い血潮かそれとも……。


 呼吸することすら、いや、呼吸を止めてみてもなお、身体の芯から末端まで広がる苦痛や恐怖が和らぐことなんてない。

 正気なんて、手放してしまいたかった。

 感覚なんて、思考なんて、意識なんて、なくなってしまった方が絶対楽になれる。


「痛いでしょ? 苦しいでしょ?

 でも、大丈夫よ。あたしがその苦痛を取り除いてあげる。

 カズヤはあたしの言うことをおとなしく聞いていればいいの。

 そうすれば、二度とこんな目に遭わずにすむわ」


 和哉を見ろして、マリナは愉快そうに目を細めている。




 ―――ああ、なんて理不尽な!



 何も分からず、何もできず、ただ唯々諾々いいだくだくひざを折れと?

 ふざけるな。そんな不条理、受け入れられるか!


 目を閉ざすな。歯を食いしばれ。痛みがなんだ、地に爪を食い込ませてでも立ち上がれ!


(何も分からないまま、何もできないままなんて、そんなのはイヤだ!)


 苦痛を上回るほどの激しい怒りが全身を貫いた瞬間、身体のどこかでガチンと鍵が外れるような感覚があった。

 身体の芯から清涼な「何か」が溢れだし、末端まで浸透していく。

 それと同時に、全身をさいなんでいた痛みがザッと引いていった。


 地面に右の拳を叩きつけ、それを支点に和哉は上体を起こす。


 腹を一文字に斬られたはずであり、実際に服は裂けて血まみれだ。

 しかし、なぜか身体には傷一つ残っておらず、痛みも消え、動作にも支障はない。むしろ、普段よりも身体が軽く感じるくらいだった。

 先ほどまで感じていた異様な束縛も、最早みじんも感じない。


 和哉はゆらりと立ち上がった。

 眼鏡のブリッジを押し上げてズレを直し、マリナをまっすぐに見据える。


「悪いんだけどさ」


 刺すような視線はマリナに固定したまま、顔だけはわずかに逸らし、口内に溜まっていた血を吐き捨てた。


「僕は、君の思いどおりにはならないみたいだよ?」


「わぁ……!」


 そんな和哉を見て、マリナは感嘆の声をあげる。


「なんて面白いの! やっぱりあなたは最高よ、カズヤ」


 手についた和哉の血を舐めとり、マリナは妖艶な笑みを浮かべる。


「素敵ね。ますます欲しくなっちゃった」


「君の愛し方がこんなに熱烈だとは思わなかったよ。

 でも僕、痛いのも苦しいのもキライだから、こういうのは勘弁してほしいかな」


 和哉はけわしい表情のまま、けれど、返答は少しだけ茶化してマリナに投げる。

 マリナは目をしばたたかせた後、首を軽く傾げた。


「あら、遠慮しなくていいのよ?」


「遠慮してるわけじゃなくて」


 言葉は通じているというのに、意思の疎通そつうができている気がしない。


「ああ、カズヤは痛いのが嫌って話ね?

 それなら、あたしにおとなしく持ち帰られなさい。

 そうすれば、痛いコトはもうしないわ。

 あたし、自分のモノは、たっぷりかわいがる主義だから」


「ごめんね、テイクアウトは非対応なんだ。なにせ、鮮度が命なんでね」


「じゃあ、この場でいただくしかないのかしら?」


 マリナがじりじりと近づいてくる。

 和哉はただ同じ距離だけ後退ることしかできない。


 腕っ節ではかなわないということは、先ほど証明されてしまった。

 では、どうすれば、この局面を打開できる?


一難いちなん去ってまた一難……)


 さくが浮かばない。和哉の背筋に冷たい汗が流れた。

 その時。




「―――俺の親友、たぶらかさないでほしいんだけど」




 聞き慣れた声が、和哉の耳を打った。


 次の瞬間、マリナが飛び退り、和哉と距離をとった。

 ワンテンポ遅れて、黄金色の雷光をまとった拳が、それまでマリナがいた場所にたたき込まれる。

 拳は空を切り、宙に激しい雷の軌跡を残した。


「和哉を欲しがるなんて、お嬢サンは男を見る目があると思うけど」


 マリナから和哉をかばうようにして割って入った、高身長のシルエット。

 たくましい背中に、香染こうぞめ色に染められたくせのある髪。

 その姿を、和哉が見間違えるわけがなく。


「でも、あんまり強引すぎると、相手に嫌われるだけ。

 ……なあ、和哉。お前もそう思うだろ?」


「光志郎……」


 拳に雷光をまとわせてそこに立っていたのは、行方をくらましていたはずの光志郎だった。


「和哉はウブなんだ。お嬢サンの愛は刺激が強すぎる。

 当人に拒絶されてたし、今後の教育にも悪いんで、帰ってくれないか?」


「いやね。あなた、まだ生きてたの」


 マリナはまゆをひそめ、忌々いまいましそうに光志郎を見つめる。


「ちゃんと息の根を止めたと思ったのに」


「あれくらいじゃ、くたばってやれないさ。

 憎まれっ子世にはばかるって言うだろ? 俺は和哉と違って、お人好しじゃないんだ」


 そう言って、光志郎は不敵な笑みを浮かべる。

 マリナはため息をつくと、和哉の方をチラリと見た。


「面倒なコ。でも、そのしぶとさに免じて、この場は引いてあげるわ。

 ……カズヤ、話の続きはまたあとで」


 マリナは一方的にそう告げると、身体を霧に変え、夕暮れに溶けるようにして消えていった。


 そして―――公園には、和哉と光志郎だけが残された。


「……」


 何から言えばいいのか、何から聞けば良いのか。

 次から次へと非現実的な出来事が起き続けているせいで、和哉はどれから話題にすべきなのか迷ってしまった。


「大丈夫か?」


 口火を切ったのは、光志郎の方だった。


「そんなわけ、ないか。あのお嬢サンに酷い目に遭わされたよな?」


「色々あった気がするけど……今こうして生きてるから、それでいいと思う」


 和哉がそう答えると、安堵したような顔で光志郎は振り返って……そのまま、和哉の方へと倒れ込んできた。


「え? あ、お、おい!」


「痛っ」


 反射的に和哉が身体を抱き留めると、光志郎はにぶくうめいた。

 よくよく見れば、光志郎の顔は蒼白で、体中に脂汗がにじんでいる。視線を下に向ければ、彼のシャツが徐々に赤く染まりはじめていた。


 和哉は一瞬、自分が流した血がついたのかと思った。

 しかし、すぐに違うと気づく。

 抱き留めている腕を伝う、ぬるくぬめる何かの感触がある。

 自分の血はすでに止まっている。ならば、これは。


「怪我……! お前の方がよっぽど問題じゃんか!」


 光志郎が着ているシャツを問答無用でめくり上げれば、胸部に固く包帯が巻かれていた。

 しかし、それでも抑えきれないほど、血がにじみ出ている。


(病院で診てもらわないと!)


 ポケットからスマホを取りだそうとする和哉の腕を、光志郎が強くつかんで制止した。


「ま、待って。俺、大丈夫だから、救急車は、ちょっと勘弁……」


「立ってられないくらいなのに、大丈夫なわけないだろ!?」


 こんな状態で何を言い出すのか。

 和哉は光志郎を頭ごなしに怒鳴りつける。


「僕らの手に負える怪我じゃない! 救急車呼ばなきゃ」


「―――救急に電話して、なんて説明するの?

 光志郎だけじゃなくて、あなただってボロボロなのに」


 和哉の狼狽を分かっているのかいないのか、唐突に冷静な声が割って入った。


「例えば、「丸腰のはずの少女に、素手で切り裂かれた挙げ句、逃亡されました」って言ってみる?

 でも、そんな現実離れした話、信じてもらえないでしょ。

 あなたと光志郎が刃傷沙汰にんじょうざたを起こしたと勘違いされるだけよ」


 ため息をこぼしながら近づいてきたのは、和哉を化け物から助けてくれたことがある、あのセーラー服の少女だった。


「それは……」


「いい? そのくらいじゃ光志郎は死なないから、落ち着いて。

 もし信じられないなら、包帯ほどいて傷口をみてみるといいわ。

 おとなしくしてれば、すぐにふさがり始めるから」


「え」


 和哉のそばまで来ると、少女は光志郎に目を向けた。


「バカね、光志郎。せっかく傷が塞がりかけてたってのに。こんな無茶をするから、元の木阿弥もくあみじゃない」


瑠璃るり、うるさい」


 少女があきれたようにそう言うと、和哉の腕の中にいる光志郎が悪態をついた。


「この、くらい……すぐ、治、る……」


「そうなってないから、和哉くんが動揺してるの。

 あんたはいつも詰めが甘いのよ。

 いいから、今は黙って私の言うとおりにしてなさい」


 少女は光志郎の頭を小突こづくと、和哉の方へと視線を向けた。


「ごめんなさいね、和哉くん。光志郎そのバカを連れていくの、手伝ってくれない?」


「……どこまで?」


 彼女には一度助けてもらった恩がある。だから、彼女の頼みはできるだけ応えたい。

 ただ、こうも立て続けに異常事態が起これば、さすがに身構えてしまう。


 すると、和哉の緊張を解こうとするかのように、少女は苦笑めいた笑みを浮かべてみせた。


「とりあえず、光志郎の家まで。手当ても説明も、そこでしましょ」

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