Episode:9 『死を呼ぶ存在』

 ――あぁ、そうだ。思い出した。


 ――全部……、思い出した……!


『死を呼ぶ存在』は思い出されていく記憶を映画のように見つめ、そしてその映像を新たに記憶に刻みながら、彼はどんどんと自分と言う存在が戻っていく感覚に歓喜し、喜びを噛み締めた。


 今まで記憶のパズルとにらめっこをし、時には諦め、時には挑みながら模索をしていた出来事がまるで滑稽に見えてしまう。


 そのくらいどんどんとパズルのピースを嵌めていきながら『死を呼ぶ存在』は思い出し、そして時には感動し、時には懐かしみ、時には悲しみ、そして――ほとんどの感情を憎しみと怒りに変えながら、彼は言う。


「そうだ。そうだ……、そうだ! 思い出したぞ……! 私は確かにこの場所に封印された。あの時は荒療治の封印と私の記憶の封印を二重にしたせいで、封印であるのに封印ではないような情景になってしまっていたんだ。だがそれのお陰で他の『存在』達……、あぁ。お前達の言葉で言うところの『祟人』の封印がより巧妙になり、複雑になったんだ。時代の進歩と魔術の進化、そしてそれらを組み込む土台、技術の高度成長か……。人間の時代は常に成長。だからこそ私の知識欲がどんどん大きくなっていったんだ。そこだけは本能として残っていたことが、幸いだな。記憶がない時でもいいと思っていたが、やっぱり記憶がある方がいい。記憶がないと色々と困ることがあるからな」


『死を呼ぶ存在』は言う。記憶が戻っていく状態に比例して黒い靄状の繭が横に肥大していき、『死を呼ぶ存在』の横幅を軽々と越えてしまうほど大きくなっていく。


 靄の中から聞こえる生々しい音と共にその光景を見ていたラフィーリゼルは、今まさに死を体感してしまっているエドウィンダを助けるために、彼女はかぶりを振り、恐怖や困惑、驚愕など己のことを止めてしまう感情を一旦切り捨て、両手の剣を大きく振るう。


 ブンッ! と、空気を割く音が辺りに響き、その音を聞きながら彼女は生気がない目を顰め、今まさに何かをしようとしている『死を呼ぶ存在』に向けて、矛を向けようとする。


 このまま相手の好きにさせない。この場で『死を呼ぶ存在』を倒すために――!


 この場合、エドウィンダがもしこの場所で亡き者にされたからと言って、彼女にとってすればメリットしかないのは事実。彼と言う存在と一緒にいる時点でデメリットしかない。


 奴隷の扱いをされ、自由を奪われる。


 それならばこのまま見殺しにして自由になることが彼女にとって得策と言えるだろう。しかし――彼女は今まで五桁の人をその手で葬っている。葬っているからこそ、その間修羅場をくぐってきたからこそ、彼女は己にとってメリットにしかならない行動を起こしたのだ。


 いいや、デメリットになることはデメリットかもしれないが、今の状況を考えればデメリットの行動こそがメリットにつながる。


 この場でエドウィンダを救わないと、エドウィンダが殺されてしまった瞬間――あの女を手にかけた自分も口封じされるかもしれない。


 怒りで本性を表している『死を呼ぶ存在』だからこそ、あの女と親しげだったからこそ、ありえる未来なのだ。


 だからこそこの場でエドウィンダを助ける。


 それこそが自分が生き残る最善の道。


 助けた後のことはじっくり考えればいい。自由になるためならば、なんだってできる。今この場で――『死を呼ぶ存在』にこの後のことを任せてはいけない!


「――っ! 悪く思うな『死を呼ぶ存在』! お前はやはり……、大人しく封印されていればよかったっ!」


 彼女は結論を結び付けた後、足元でケタケタと無邪気な子供のように笑う花の異形達を己ので乱雑に斬り裂き、一瞬の自由の間に彼女は黒い楕円の眉を作って閉じ籠っている『死を呼ぶ存在』に向かって駆け出す。


 蹴りだけで地面を抉る様に、そのまま跳躍交じりの駆け出しをしながら彼女は『死を呼ぶ存在』に向けて駆け出し、距離を詰めていく。


 跳躍交じりの駆け出しのお陰で、足元に絡みつこうとしている花の異形からの拘束をかろうじて逃れているが、花の異形達は今もなお彼女のことを一部だけ目にしたそれで追い、追いかけっこの子供を捕まえようとしている動作で、彼女に向けて蔦を、葉っぱを伸ばしていく。


 ケタケタと、遊んでいるような笑い。彼女のことを鬼と言う立場で捕まえようと遊んでいる花達のことを見降ろしながら、彼女は砂嵐の視界に写り込む花達に対して嫌悪……、いいや、それ以上の気色悪さを覚える。


 ――こっちは必死なのに……! さっきまで何の変哲もない花だったはずなのに……!


 ――悍ましい……! まるで魑魅魍魎の『祟人』の様……! ここに長居はできないっ! このままでは、私もすぐに……!


 そう思った瞬間、彼女の脳内の底から湧き上がる最悪のビジョン。


 それを描写すること自体悍ましい。それほど残虐な映像が彼女の脳内を駆け巡り、先ほど感じた甘い匂いがより一層強くなったような気がしたが、それを感じる暇もないまま彼女はそのビジョンを強制的にかき消し、彼女はやっと近くまで近付けた『死を呼ぶ存在』の近くで、どっと右足を踏み込み、その場で勢いのある跳躍を繰り出す。


 どんっ! と、足の近くにいた花の異形達を蹴り上げるように、地面を抉る様に跳躍をした後、彼女は己の斜め下で黒い楕円の繭を作っている『死を呼ぶ存在』ごと、真っ二つにしようと己の両の手を振り上げ、そして剣を振るうように、己の手を振り下ろす!


 風を斬り裂くように――『全てを斬り裂く存在』の名に恥じない切れ味を、使…………。


 ――おうとした時、彼女の右側全体に重い何かが襲い掛かってきた。


 どずぅん! と横殴りの殴打が彼女の右半身を襲い、体の中から何かが折れるような音が聞こえ、右手の剣がへし折れる音がラフィーリゼルの耳に入り込んできた。


「え? かふっ」


 折れる音、金属めいた何かがへし折れる音が耳に入ってきたが、彼女は視界がぐるぐると回るその情景、体感で感じる風に回転の感覚に驚きの声を上げていた。一体何が起きたの? どうなっているの? そんなことを思いながら視界に入る情報を拾おうと眼球を動かした時、少しずつじんわりと広がってくる鈍痛。


 次第に鈍痛が激痛に変わった時、彼女は視界の端に写り込んだ光景を見て目を見開き、そのまま彼女は花達が咲いていない地面にゴムまりのように落ちた瞬間――意識を手放す。


 視界の端に映ったそれを――花? と思いながら、彼女は意識を手放し、少しだけバウンドした後ラフィーリゼルは力なく地面に転がった。


「あ、ら……、ひぃえ……!」


 その光景をただただ傍観と言う立場で強張りながら見ていたエドウィンダは、未だに足に絡みついて来る花の異形達に翻弄され、バランスを崩して尻餅をついてしまった状態で彼は目の前に広がる光景に声を震わせていた。


 異形の花達に零れ落ちるほど彼は涙や鼻水が溢れんばかりに流し、目に写った己の所有物ラフィーリゼルがあっけなく倒されてしまった瞬間を目に焼き付け、そして目の前に広がる黒い楕円形のそれをがくがく震える視界で、体で見上げる。


 もう何を言っているのかわからないような言葉で、ケタケタ笑う花達の異形達の声を聞きながら彼は見上げる。


 ラフィーリゼルのことをいとも簡単に吹き飛ばした楕円形のそれがどんどんと膨らみ、花が開花する兆候を見せるように、それがどんどん横に膨らんでいく。そしてそのまま頭上に向けて――天に向けて顔を上げ、そして雲で隠れてしまったが、太陽の光を浴びて咲く花のように『ぴっ』と……、天に向けていたその箇所から亀裂の音が小さく聞こえ、その音と同時に楕円形のそれは形を変えようとした――瞬間。


 楕円形のそれは、開こうと、開花しようとした瞬間――黒い煤となった。


 ぼふぅ…………、と、形を形成していたにも関わらず、呆気なくそれは黒い煤となり、空気と同化し、風によってどこかへ吹き飛ばされていく。


 それは黒い蒲公英たんぽぽの種を見ているかのような光景。それが空を覆い、一種の異常現象のように黒い帯が空を舞う。

 

 今まで見たことがない情景に驚いた顔をしたまま固まっていたエドウィンダだったが、花達の気色悪い笑いに混ざる様に、何かの音がエドウィンダの耳に入った。


 ぎゅる、ぎゅる、ぎゅるるっ!


 何かをきつく丸めるような音が聞こえたと同時に、エドウィンダは驚きの顔をして、尻餅をついた状態で音がした方向に目を向けた瞬間……、楕円形のそれから姿を現した『死を呼ぶ存在』のことを見て、彼は言葉を失った。


 何せ――彼の頭にかかっていた靄が晴れた時、彼の頭は…………、


 よく聞くファンタジーの世界に存在する首無し騎士『デュラハン』のように、『死を呼ぶ存在』の頭は存在しなかったが、頭があるところにないというわけではない。その場所にあるのは……。


              真っ黒い空間。


 それだけ。


 頭があったところに靄がかかっていたせいで頭を隠しているのかと思われていたその場所に、何もない黒い空間だけがぽっかりと穴が開いたように佇んでいただけ。


 頭がない首無しのところに黒い空間。


 異常な光景でもあり意味が分からないと言っても過言ではない衝撃の事実。


 その事実を見たエドウィンダは、小さな声で言葉を発したが、声をうまく発することができず、ただ口を魚のように動かすことができない状態を見た『死を呼ぶ存在』は、エドウィンダが言いたいことを察したのか――「あぁ」と零し、自分の頭があるところを……、黒くて丸い空間があるその箇所を指さしながら彼は……。


「これかい? 不思議だろう。頭があると思っていたが実際はこんな頭だということに、いいや、頭すらない頭に驚いただろうな」


 と言うが、エドウィンダはがくがくと全身と顔面を震わせたまま頷くことも首を振るうこともできずにいる。応答もできない状態を見降ろした『死を呼ぶ存在』はエドウィンダに向かって足を進め、異形の花達のことを踏まないように近付きながら彼は冷静な音色で言う。


 ひどく優しく、冷静で、氷のような冷たい音色で――彼は言ったのだ。


「これが私の本当の姿。頭もないこんな姿はまるで首無し騎士を思い出させるようなものだろうが、私はきっと、その首無し騎士と近い力を持っているのかもしれない」

「………………………っ?」


 エドウィンダは震える瞳孔で『死を呼ぶ存在』のことを見つめる。


 鼻腔を突き刺し、嗅覚を混乱させるようなひどく甘ったるい匂いが辺りに立ち込め、その匂いを感じた瞬間エドウィンダは反射的に腕で鼻を覆う。


 よく城で食していた焼き菓子とは比べものにならない――胃もたれを起こしそうな、そんな匂いに顔を顰めると、『死を呼ぶ存在』はエドウィンダのことを見下ろし……。


「どうやら、お前も気付いたんだな」


 と言い、『死を呼ぶ存在』はエドウィンダの近くで足を止め、そして腕で鼻を覆っている彼のことを見下ろした後、『死を呼ぶ存在』はそのまま腰を曲げ、エドウィンダとの距離を狭める。


 至近距離になる顔同士。エドウィンダは近付いた瞬間腕越しからでも匂ってしまう甘い刺激臭に気持ち悪さを感じ、そんな気持ち悪さを顔で出したエドウィンダのことを顔のない『死を呼ぶ存在』は汚いものを見る様な視界で見降ろす。


 双方がそれぞれ異なることを思っていると、『死を呼ぶ存在』はエドウィンダのことを見下ろした状態で冷静な音色で言う。


 先ほどの続きの言葉を――エドウィンダに向けて。


「お前は私から発せられた甘い匂いを嗅いだんだろう? だからそんな行動をしているんだろう?」

「っ」

「何も言うな。言ったところで私の感情を逆なですることしかできない。逆に匂いが濃くなるかもしれない。だが、そこまで拒否している時点で、もう終わりだろうがな」

「……?」


 エドウィンダは腕で鼻を覆いながら首を傾げて疑念のそれを浮かべる。そんな彼の行動にも、顔の表情にも苛立ちしかわかない『死を呼ぶ存在』はエドウィンダのことを見下ろし「まだわからないのか」と冷たく言い放ち、ぐっと黒い空間の顔を近付けた瞬間――彼は低い声で言い放つ。


「その甘い匂いは――『死期』の匂い。その臭いが強ければ強いほど己の死が近付いているということなんだ。そして私は……、それを感じとり、『死期』が近い奴の命を吸い、己の血に変え、眷属を作る。それはこの私、『死を呼ぶ存在』の名の由来」

「………………………!!!」

「今更気付いたようだが、もう遅いよ」


 その命――ユカの命を奪った代償として支払ってもらう。


 勿論、すぐにはしないよ。君から色々と聞きたいから、その後で――ね。


 そう言い放った瞬間、『死を呼ぶ存在』は頭の黒い空間を一気に大きく肥大させ、その空間をエドウィンダに近付ける。


 声にならないような叫びを上げ、彼はその場から逃げようとするも、花の異形達が――彼の眷属がそれを妨害し、逃げることもできないまま、彼の叫びが『死を呼ぶ存在』を封印していた場所一帯に広がり……。


 ……………。


 …………。


 ………。

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