Episode:8 花
『死を呼ぶ存在』のことを縛っていた――大雑把と言っても過言ではない封印の鎖が、『全てを斬り裂く存在』ラフィーリゼルの手によって断ち切られた。
斬られると同時に、鎖は縛る役割を失い、金属特有の音を放ちながら白、灰色、黒の花弁の花の上に落ち、花達のことを『ぐしゃり』と潰していく。その光景を見ていた『死を呼ぶ存在』は、黒い靄越しではあるが悲し気の表情を浮かべている。
それは本人でもわからない無意識の顔であり、他人にこんな顔をしていたと言われても『そんな顔をしていない』と言ってしまうほどの無意識。
それほどまで『死を呼ぶ存在』はこの場所で縛られている間ずっと一緒にいた花達のことを愛していた。その顔を無意識に出すほど――愛でていたと言っても過言ではない。
その顔をしていた『死を呼ぶ存在』であったが、すぐに悲し気の顔を何かを覚悟した――怒りのそれに隠し、彼は徐にその場から立ち上がる。
鎖が無くなれば己のことを突き刺している杭だけ。
鎖を断ち切ったラフィーリゼルはその場から逃げるように離れ、逆にエドウィンダは「よしよしよし! これで戦力が、兵力が二倍! これで俺の国も安泰だ! これで……!」と言いながら今まさに立ち上がろうとする『死を呼ぶ存在』に近付き、懐からひし形の宝石を取り出す。
その宝石は彼がしている指輪の宝石の色と同じ色であり、その宝石の中にラフィーリゼルの背に彫られているものと同じ紋章が浮き上がっていた。
そう、この宝石こそがエドウィンダが言っていた『祟人』を服従させる『
きっとハンコのようなものを想像していたかもしれないが、この世界ではそのようなものはなく、その宝石を『祟人』に持たせることで契約が強制的に完了とされる仕組みなのだ。
それを手に持ち、『死を呼ぶ存在』を己の所有物にしようと心に決め、あわよくば次期王として君臨するために、エドウィンダはあまり運動しない身体に渾身の鞭打ちをし、できるだけ早く、一秒でも早く『死を呼ぶ存在』に印を打ち付けようと奮起して足を動かす。
まるで目の前に好物のニンジンを垂らされた馬のように、荒い息を零して走るエドウィンダ。
そのくらい彼は必死で、近い未来に手に入れるであろう栄光に早く近付きたい。その一心で彼は走った。
『死を呼ぶ存在』が愛でていた花達をないがしろにし、そしてつい先ほどまで元気に、『第二の人生を生きよう』と言っていた彼女だったそれを蹴り飛ばしながら、彼は走る。
今まさに杭から脱出しようとしている――『死を呼ぶ存在』に向かって。
だが――
「………………………?」
エドウィンダは向かおうとしていたその足を突然止め、何かに気付いたかのように首を傾げ、顔をしかめながら己の正面にいる存在――『死を呼ぶ存在』を見つめる。
目を疑うような表情で『死を呼ぶ存在』のことを見て、己の目に写った違和感が嘘であることを信じたいと思いながら、彼は見つめる。
なぜエドウィンダはそんなことを思うと同時に足を止め、そしてその光景を凝視するような真似をしたのだろうか。
そんなことをしなくとも足を進めてけばいい事でもあり、鎖を斬ったと言うことは『死を呼ぶ存在』は己の所有物になることを覚悟したと言うことなのだ。そのまま向かって契約をすればいい話なのだ。
だが……、彼は動かなかった。
いいや――動けなかったと言った方がいいだろう。
なにせ、彼の足が突然動かなくなったからだ。突然、足の裏から突然根が出たかのように、地面にぴったりとくっついているかのように、足が動かなくなってしまったのだ。どのように動かしても、地面から離れない足の裏に苛立ちを覚えたエドウィンダはすぐに『死を呼ぶ存在』のことを見て、彼は目を疑った。これが本当の真実。
己の状況を理解しないまま目の前の視界に映った光景を見て、エドウィンダは目を疑った。
疑った視界に広がるのは――『死を呼ぶ存在』の胴体、つまりは杭が突き刺さったその体に視線を向けて彼は言葉を失い、驚愕に顔を染めていたのだ。
『死を呼ぶ存在』の胴体や手をも巻き込んで突き刺さっている杭を引き抜こうとしている――植物の蔦を見て。
「は、ぁ?」
「え……?」
うねうねと生きている軟体動物のように蠢き、大きな手の型に形を変えていくと徐に杭を掴んだと思ったら、それを勢いよく『死を呼ぶ存在』の体から勢いよく引き抜く。
大きなサツマイモを引き抜くように『ずるり』と引き抜かれた瞬間、『死を呼ぶ存在』の足元に黒い源水が足元の草木を黒く染め、花達の花弁や葉に黒い雨を降らせる。
黒い花弁が更に黒くなり、白の花弁や灰色の花弁にも黒と言う彩を残して行くが、その雨もすぐに止み、彼の体の傷がどんどん癒えていく。
杭によって空いてしまった衣服はそのままで、開いてしまった肌は開いていたなどなかったかのように消えている。治癒の魔法をかけられたかのように修復にエドウィンダやラフィーリゼルは驚きを隠せなかったが、それ以上に彼等は『死を呼ぶ存在』のことを見て更に驚きのそれを浮かべる。
杭が突き刺さっていたにも関わらず、それが瞬く間に癒えたこと?
違う。
ラフィーリゼルやエドウィンダのように人間の肌色ではなく、全身が真っ黒い肌で覆われ、その体には黒い茨のようなものが巻き付いていたこと?
違う。
顔中に渦巻いていた黒い靄が『死を呼ぶ存在』の全身を包み、それと同時に雲行きが怪しくなってきたこと?
違う。どれも――不正解だ。
エドウィンダとラフィーリゼルが『死を呼ぶ存在』のことを見て、驚きのそれを浮かべた理由――それは簡単なことだった。
彼と言う存在の――『死を呼ぶ存在』の悍ましさと禍々しい威圧感に、異常ともいえる殺気に気圧されてしまったのだ。
その場にいるだけで殺されてしまいそうな圧。空気を吸うだけで即死してしまいそうな息苦しさ。この場所こそが己の墓場であることを錯覚してしまいそうな恐怖がエドウィンダの異常なほど高いプライドをズタボロにし、五桁の人間を殺したラフィーリゼルの戦意を完全に殺した。
それほどの恐怖が――彼等のことを襲う。
まるで……、命の危機に瀕した瞬間のような、緊張感。
怒らせてはいけないものを怒らせてしまった――悪夢の序幕。
自然にできる呼吸もままならないほどの恐怖に当てられたエドウィンダはラフィーリゼルほどの戦を潜り抜けていない。どころか戦に出たこともないが故、彼はその恐怖に耐えることができず「う、あ……」と言いながら後ろに足を引こうとしたが、地面に張り付いてしまった足裏が一向に離れない。
現実世界で言うところの接着剤の所為でくっついてしまったかのような接着力で、その離れない足に苛立ちを覚えたエドウィンダは徐に舌打ちをし、視線を下に向けながら……。
「っな、なんで足が動かない」
んだ。
その後ろの二文字を言う前に、エドウィンダは言葉を失ったかのような絶句を顔に出し、まさに真っ白になった顔と瞳孔、思考で足元を見降ろしたエドウィンダ。
彼が驚くのも無理はないだろう。どころか、ラフィーリゼルも己の足元を見た瞬間、言葉を失ったかのように全身の血の温もりが無くなり、冷えると同時に彼女は今までいた場所から数歩後ろに引く。
鼻腔を刺した甘い匂いを感じたが、そんなことを感じる暇もなかった。
引こうとしたその瞬間――彼女の足首に向かって何かが花畑から飛び出し、そのまま縋る様に、逃がさないように巻き付く。
ぎちり……! という締め付けを感じたラフィーリゼルはぎょっと顔をしかめ、足首に巻き付いたそれから一刻も早く逃れようと右手を振るい上げ、足首に巻き付いているそれを斬り裂こうと見降ろした瞬間――
「――ひぃっ!」
彼女は恐怖の悲鳴を上げた。女性らしい可愛い悲鳴だが、彼女の顔は恐怖に呑まれた顔そのもの。剣を振るうことも臆してしまうほど、彼女は恐怖を感じ、止めてしまったのだ。
彼女の足首に巻き付いているそれを……、『死を呼ぶ存在』の血を養分として、水分として吸って育った灰色の花や黒い花。そしてまだ白いままの花だったそれを見降ろし、ラフィーリゼルはその剣を振るうことを怖がってしまった。
彼女の足に花の蔦を巻きつかせ、彩を与える花弁の一部を目のような形と瞳孔を作り出し、花弁だった目をぐにりと歪ませながら残りの花弁を髪の毛のようにゆらゆらと揺らし、雄蕊と雌蕊が集合している中央を人間の口のように動かしながらケタケタ嗤うその姿を、花畑一帯がその状態になっているそれを見て、エドウィンダの足に巻き付き、動きを止めているその光景を見て――彼女は恐怖に染まってしまう。
子供のように足にしがみつくその光景を見降ろしながら彼女は言葉を失い、払うこと、斬ることを忘れてしまうほど、足元に絡みつく花らしき異形に言葉を失ってしまう。
ケタケタケタケタケタ。
金縛りにあってしまったかのように、無邪気に笑うその花の異形を見降ろしながら……。
「ひひゅぅっ!? な、なんだこれっ! なんだよこの花っ! おい離れろっ! あわわ離れて! お願いだから離れてよぉ! うわあああっ! 父上ぇぇっっ! 痛いっ! いてぇっ! わああああああっっ!」
エドウィンダもようやく己の足元を見降ろし、そして事の状況を理解したと同時に彼は腰に携えていた真新しい剣をすらりと引き抜き、花達に向けてその剣を向ける。
ざくざくと荒い振るいによって乱雑に切れていく花だった何か達。そして荒い振るいのせいで己の足にも切り傷をつけてしまいながらエドウィンダは痛がりながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で叫び続ける。
大の大人が父のことを叫びながら、なんとも滑稽だ。そう『死を呼ぶ存在』は心の中で嘲笑うだろう。だがエドウィンダの気持ちも理解できなくもない。
その光景は一種のホラー。
『死を呼ぶ存在』が縛られていた場所一面に咲いていた花達が一斉に動きだし、目を生やし、口を生やしながら子供のように笑うその光景は、一言で言うと怖いとしか言いようがなかった。
薄暗くなった空間も相まって、ケタケタ笑う花達の異常性が恐怖を掻き立てる。
だが、そのホラーはこれで終わりではなかった。
どころか、これが始まりであり、まだ恐怖は続くのだ。
「そうだ……」
「っ!」
突然の声にラフィーリゼルとエドウィンダは大袈裟と言わんばかりに肩を震わせ、目を見開きながら声がした方向――体中を靄で覆っていた『死を呼ぶ存在』に視線を向ける。
『死を呼ぶ存在』は顔を覆っていた靄を全身に変え、己を繭のように包み込みながら独り言を呟く。ぶつぶつと――一人で何かを確認するように、彼は誰の返事を待たずに言い続ける。
その音色は酷く冷静で――どことなく、晴れやかに感じてしまう様な、開放感ある声。
「そうだ……。私は確かに、人々から『死を呼ぶ存在』と恐れられた。だがその理由がわからないまま今日まで生きてきたが、今思い出した。どうやらこの杭と鎖が私の記憶の一部を封印する呪術が施され、その呪術に私は見事にかかっていたということか。道理で思い出せないはずだ。道理で私がなぜこのような名前で呼ばれていたのか思い出せないわけだ。長すぎる寿命の所為ではなく呪術の所為。それで私は本来できることもすっかり忘れていたということか。本当に、この呪術をかけた輩にお礼を言わなければな。『お前のせいで犠牲が出たぞ』とな」
そう言いながら『死を呼ぶ存在』は黒い繭越しで独り言を呟く。しかし『死を呼ぶ存在』の言葉を聞いていたラフィーリゼルとエドウィンダは、その言葉を独り言として捉えることができずにいた。
足に絡まっている何かの所為でそれどころではないから――ではなく、『死を呼ぶ存在』が最後に言い放った言葉を聞いた瞬間、二人は思ってしまったからだ。
特に、彼が怒っていることをつい先ほど知ったラフィーリゼルはその言葉を聞いた瞬間、未来予想図が脳裏に浮き上がり、それが近いうちに現実になることを予想し、エドウィンダはなぜかその言葉が自分に向けられていることを直感してしまった瞬間、二人は同時に予感してしまう。
『死を呼ぶ存在』が最後に言った犠牲が――
「「――っ!」」
全身の汗腺から冷たい汗が滝の如く吹き出し、普段の汗とは違い吹き出した瞬間嫌悪感が、異常なほどの恐怖が二人の心を支配し、正常な思考を妨げてしまう。脳の機能も恐怖の所為で誤作動を起こしているのか、足を動かすことも、足に絡みついている異形の花達のことを斬ることもせず、ただただ彼等は恐怖の顔をしたまま『死を呼ぶ存在』のことを見ていた。
強張った顔のまま凍ってしまったかのように固まっている二人をしり目に、『死を呼ぶ存在』は次々と独り言を呟いていく。
己のことを覆っている黒い繭を少しずつ少しずつ横に広げ、エドウィンダやラフィーリゼルに言いようのない恐怖を植え付けながら……。
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