Episode:7 頼み

「ラフィーリゼル。君は『全てを斬り裂く存在』で、自分のことを縛っていた物も斬り裂いたんだろう? ならば私のこの鎖を斬ってくれ」


 はたから聞けば普通に聞こえてしまうその言葉も、この状況で、そして私は命令をする立場でもないから、そんなことを言う立場でもない。


 だが私はそれをした。いいや、お願いをしたの方がいいだろう。


 私の言葉を聞いたラフィーリゼルは一瞬驚きの顔を浮かべたが、その驚きは男の方が大きく、私の言葉を聞いた男は私への歩みを乱暴に進め、私のことを見て怒りを露にした顔で――


「なに勝手に命令しているんだっ! 先に『烙縛印らくばくいん』を押してから解放だ! お前が一体何を考えているのかわからない! そんな黒い靄で顔を覆い隠した輩が考えることだ! きっと恐ろしいことを考えているに違いない! 俺は――騙されないぞ!」


 と言って、私に一定の距離を保った状態で指を指して言う男。


 そんな男の言葉を聞いた私は、心の底から彼のことを見て、滑稽に思えた。


 自分でそんなことを言って私の気を錯乱させようとしているのかもしれないが、そんなことをしても意味はない。どころか、それを言ってしまったら、そんな一定の距離を保ってしまったら、露骨に私に伝えているのが分かるぞ?


『死を呼ぶ存在』が怖い。本当に死んでしまったらどうしようという恐怖が。


 ……まぁ。そんなことできるか私にはわからないが、勝手にそう思っているからその流れに乗ろう。その方がよっぽどやりやすい。


 そう私は解釈をし、今私のことを怒りの形相で睨みつけながら指を指している男に向けて視線を向ける。相手からしてみれば黒い靄の所為で顔が見えないから、どの方向に視線を向けているのかわからないだろうが、それでも私は彼のことを見る。


 ぎょっと肩を震わせ、そして指先を僅かに左右に揺らした彼のことを見て――私はなるべく落ちついた音色で言った。


 心の中はこいつに対しての感情でもう充満しているんだがな……、それを顔に出してしまえばすべてがパァだ。そんなことはしないように細心の注意を払いながら私は彼に向けて言う。


「確かに、君にとって私は言葉の通り『死を呼ぶ存在』だ。どのように行うのかわからないが、貴様が持っている『烙縛印らくばくいん』を私の体に打ち込むのだろう? ならば私も見えない背中の方がいいなと思っただけのことだ」

「背中がいいだなんて図々しい奴だ! そのまま足かどこかにすればいい話だろうっ? 我儘なんて許されると思っているのかっ!?」

「これは最後の我儘になるかもしれないんだ。頼む」

「信じるかっ! そう言ってラフィーリゼルも俺を殺そうとしたんだっ! お前もそうやって俺のことを殺すつもりなんだろうっ!?」

「それは災難だな。だが話し相手を殺すほど私は悪魔じゃない。非道な殺生も好まないのが私と思ってほしい。だからこの状態で何百年以上もいたんだ。欲しいとすれば知識。それだけだ」

「そんな、そんな言葉嘘に決まっている! そう言って俺を……!」

「信じてほしいなぁ。そんなことを言ってしまうと、先程の降伏も薄れてしまう。いっそのこと、このままの方がいいかなとか、今一瞬頭をよぎってしまった」

「う……」

「これはきっと、迷いだな。迷いが生まれているということだ。私が――貴様達が出した条件に対して、な」

「………………………」

「さぁ――」


 どうするんだ? 要求を、呑んでくれるよな?


 ――


 そう言って私は男のことを揺さぶる。


 まぁ簡単な心理的戦略……、いいや、こんなものを心理的戦略と言ってしまったらおかしな話だ。


 当たり前な話だが、私のことを手中に収めたい奴にとってすれば私のことを束縛している鎖を斬ってしまうことは、己の命を危うくさせるのと同じ。まぁ鎖の他に杭もあるが、その杭だけでは心もとないのだろうな。


 小心者の考えることは手に取るようにわかる。特にこいつは顔に出るのだから、わかりやすい。


 だからこそ男のことを揺すり、それでもできなかったら揺すり、揺すりまくる。


 単純な行動ではあったが、それでも私はできるという確信を抱いていた。


 この男は国のためにとか大それた言葉を言っていたが、そんなことこんな小心者が考えるはずがない。この男が最も大切にしているものはきっと――己の命。


 己の命を保証できるものが欲しいだけなんだ。


 表面上はきれいごとを抜かしているが、結局己の保身。


 私も彼女も――こんなちんけな男の命を守るためだけの肉の盾に過ぎないが、それがないと彼はきっとあっけなく死んでしまうということにも結びつく。大層な剣を持っているが、使われた形跡がないのがその証拠。


 こいつは己のことを守る術を持っていない。


 だから私やラフィーリゼルを使って己を守ろうとしているということになる。それらを整理し、答えを導くと――こいつは絶対に私の要求を呑む。絶対に。


 それを確信した私は顔中を、体中をがくがくと怒りと困惑、そして迷いを体現し、私のことを見下ろして顔を歪ませる。あの時見たユカの顔が霞んでしまいそうな――醜い顔。


 無意識にその顔に蹴りを入れてしまいそうになる。そんな感情が真っ先に出そうな醜い顔を見て、そしてこの男が放った言葉をもう一度復唱しながら、私は心の中でどんどん煙のようにに膨張し、そして充満する感情を押さつける。


 この感情は、今だすべきではない。


 そう思いながら、耐えながら私は男の言葉を待つ。


 すると――男は差していた指を乱暴に、風が出るのではないかと言う勢いで降ろし、そのまま花達のことをまた深く傷つけるように、ぐるんっとその場所で踵を返す動作をする。


 回った瞬間、男の足の裏に花達の花弁の色がこびりついたと思った瞬間、更なる感情が私の心を支配しそうになったが、まだだ……まだその時ではない。そう自分に言い聞かせて今にも爆発しそうな感情に抑制と言う名のダムをかける。


 そのダムをかけた瞬間に男は私のことを見ないでずんずんっとその場から離れ――


「ラフィーリゼル! さっさとこいつの鎖を斬れっ! お前ならできるだろうっ!」


 と言って、そそくさと私から距離を離して言ってしまった男を横目で見たラフィーリゼルは、生気がない目ではあったが、その目に写り込んだ呆れが見えた気がした。


 彼女自身、こいつの我儘に振り回されて心底疲れているのだろうな。そこは同情してしまうよ。


 そう私は彼女に対して同情の意を心の中で示した後、ラフィーリゼルは私に向かって歩みを……、まだ踏まれていない花達のことを避けつつ、踏んでしまったその場所に足を踏み入れながら私に近付く彼女。


 彼女の行動を見た私は驚きの顔で見て少しばかり靄が動いたが、私の心中を察した配慮に、心ばかりの感謝をする。これ以上花達を踏み潰されてしまったら、多分私は怒り心頭のまま行動を起こしてしまっていただろうな。


 きっと……、と言うか、彼女がそうしなくとも、私はそれをするだろうな。男に向けて。


 そう思っていると、彼女はすでに私の目の前に立ち、私のことを見下ろした状態でいる。生気がない目で私のことを睨みつけ……てはいないだろうが、私からしてみればそう見えてしまう様な目で見降ろした彼女は、そのまま手でもある剣を振り上げ――


 ――ることをしないまま、彼女はその場でしゃがみ、私に顔を近付けたかと思ったが、すぐに私の顔の横に己の顔を近付け……。


「花、そして、さっき親しげに話していた女の子のこと――謝っておくわ。ごめんなさい。許されるなんて思っていないけど、ごめんなさい」


 と、私の耳があるところに向けて、囁くように言ってきた。その音色には心底申し訳ない。こんなことをしてしまって本当に申し訳ないような音色と意思があり、その声を聞いた私は心の中で――なんだ、こいつは生気のない目をしているくせに、後悔と言う念はあったんだな。と思ってしまった。


 なにせ――五桁の人を殺したんだ。そんな奴に罪悪感があるとは思えなかったのが本音だ。


 あの男に毒されたかとも思っていたが、そうではないらしい。


 ラフィーリゼルの言葉を聞いた私はふっと息を零し、彼女のことを見ない状態で彼女に向けて言った。ひどく落ち着いている自分に対して、多少驚きを隠せなかったが、と思いながら私は反省の色を見せているラフィーリゼルに向けて言った。


「いや、大丈夫だ。私は変わり者だからな。こんな見てくれが花を愛で、まだ大人になっていない女と楽しげに話す光景はさぞ滑稽だっただろう? お前も苦労するな。あんな我儘な男に全てを捧げるなど」

「もう慣れた。全部全部慣れた。何年もあんな男の下で行動しているんだ。身の回りの世話をしているんだ。嫌でも慣れてしまう」

「そうか……。辛かっただろう」

「辛いなんて、すぐに消えるわよ。あんな男の下で従っていたら」

「………………………」


 ラフィーリゼルの言う通り、あの男からしてみれば私達のような存在――『祟人』は奴隷以下の存在なのかもしれない。兵力としてでしか見ていない。嫌でも慣れてしまうのが現実なのだろうな。


 私はそう思ったが、すぐにこれから起こることを考えた後――私は彼女に向けて、男に聞こえないように小さな声量で囁く。


 あんな男の下で一生従って生きていくなど、絶対にしたくない。


 この世界を一緒に見るんだ。ユカと一緒に――


 そう心に誓いながら、私は彼女の耳で囁く。お前が今まで歩んできた屈辱から、脱出できる方法を――


「そうだな。従ったら多分考えることも無くなるな。だが……、そんな考えが、思考が、と言われたら――お前はどうする?」


 私の言葉を聞いたラフィーリゼルは驚いた顔をして私の顔を横目で見た。生気がない目に少しだけ、光が灯ったような目で――彼女は私のことを見ると、私はそんな彼女に、安心を与えるような音色で続けてこう言う。


「嘘じゃない。私自身あの男に対して怒り溜めている。正直なところ君に対しても怒りがあるのも事実だが、心からの謝罪を聞いたこと。そして君もあの男にひどいことをされていることを聞いたから情状酌量として、だ」

「………………………」

「優しいと思わないでくれ。君のことを心から許したわけじゃない。鎖を断ち切ってくれたら、あとは逃げるなり従うなり守るなり好きなようにしてくれ」


 私はあの男からいろんなことを聞きたいからな。


 そう低く言い放った後、私の言葉を聞いたラフィーリゼルは息を殺すような、詰まったような声を出して言葉を失う。きっと、私の真意を察したのだろう。彼女は一時無言のまま私の顔の横に己の顔を近付けていたが、考えを固めたのか彼女はぐっと息を詰まらせるようなそれを零すと同時にすっと立ち上がった。


 勢いをつけるように彼女が立ち上がった時、彼女は徐に右手を振り上げ、その剣の先を私のことを縛っている鎖に向けようとする。


 視線を下ろし、私のことを見下ろした瞬間、彼女は私に向けて――何かを堪えているような苦しい顔をしながら小さな声で何かを言った。


 男からは見えないので、彼女のその言葉を聞いたのは私だけだが、声が小さいせいでよく聞こえなかった。だが……、口元の動きで彼女が一体何を言ったのかがなんとなくだが分かった。


 読唇術と言うものを習得していないが、短い言葉だから理解できたのが正直なところだ。


 私に向けて、彼女は短い言葉で、私でも微かにしか聞こえない言葉で口を動かす。


 ――お願い。ありがとう――


 それだけ言った彼女は、勢いをつけるように己の手を振り下ろし、私のことを縛っていた鎖を真っ二つにするように断ち切る。


 金属が斬れる、聞きなれない音が私の聴覚を支配し、その切れた光景を見た男は「よっし!」と興奮とやったという歓喜を加えた声で叫び、私に向かって歩みを進めようとした時、私は彼女が斬ってくれた鎖を一瞥した後――


 心の中で熱暴走をしていた怒りを――爆発させた。

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