第32話


 コバルトを振り落とそうと、鯨は何回も激しく体を回転させる。もちろん、それで落ちてしまうほど、コバルトもヤワくはない。

「モリの用意できたよ」

「ロープも?」

「結び付けた」

「では振り落とされないように、よござんすか?」

「OK」

 ここでリリーは、ものすごい加速を始めた。水をたたく尾の速度が急上昇したのだが、それだけではない。

 次の瞬間、まるで平たい小石を投げた時のように、リリーは長い体を水面に飛び出させたのだ。

 そう、確かにあの瞬間のリリーは空を飛んでいた。僕はその背中にいた。

 だが重力に従い、リリーは再び水面に落ちる。

 それでもリリーの尾は力を失いはしないから、水をたたき、一瞬後に再び体は空中に浮かんでいる。それから、また落下。

 これをリリーは何回も繰り返した。巨大なモーターボートのように、速度が目に見えて増加する。

 もちろん水面に落下するたび、僕の正面には壁のような海水が押し寄せるが、リリーは気になんぞしてくれない。

 僕は両手首に巻き付け、リリーの髪に全力でつかまらなくてはならなかった。長いモリは、リリーが口にくわえている。

 水中では、体の大きな鯨よりも、細長いサイレンの方が速く泳げるようだ。じりじりとだが確実に、リリーは鯨に追いついていった。

「泳ぎながらでは、私はモリを投げることができません」

「僕が投げるのかい?」

「コバルトに命中しないよう、注意して鯨の尾を狙いなさい」

「コバルトの体にこんなものを刺したら、後で殺されるよ」

 こんな時なのに、リリーはクスッと笑って見せた。

「その場合には、私もあまり同情はできませんね」

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