第31話


 だがリリーは違っていた。

「後を追いますよ、つかまって」

 リリーは猛然と泳ぎ始めた。

「方角が分かるのかい?」

「音が聞こえます。潜水艦のソナーよりも正確ですよ。それにコバルトは、わざと音を立てています。尾を曲げ、水中に乱流を起こして」

 だがリリーは潜水することができなかった。僕は潜水服を着ているわけではないのだ。

 僕たちは波を蹴立てて進み、あっという間にゼブラは背後に遠く小さくなってしまった。

「どうしよう?」

「船に合図をしてやりなさい。ジークへクサリを取り付ける準備はもう済んでいるのです」

 僕は立ち上がり、右手を何回か大きくグルグルと回したが、

「ちゃんと通じるかなあ?」

「誰かが双眼鏡で見ているはずです。意味は通じるでしょう…。ほら」

「なに?」

「聞こえませんか? クレーンのエンジン音が大きくなりました。引き上げを開始するようです」

「コバルトは?」

「再び浮上してくるのを待つしかありません」

「あのまま深海まで潜っちゃったんじゃないかなあ」

「それはありえません。さっきの一瞬では、鯨は充分な空気を吸うことができなかったでしょう。見ていてごらんなさい。1分か2分でまた顔を出しますよ」

「なぜ分かるんだい?」

「捕鯨船乗りたちの知識ですよ。鯨が一度息を吸ったら1分間、二度吸ったら2分間潜水します」

「深海へ潜る時には?」

「その時には、もっともっとしっかり息を吸わなくてはなりません。時間も手間もかかります。体中の血液に酸素をたっぷりと含ませる必要があるのです」 

「へえ…」

 リリーの正しさはすぐに証明された。かなり前方だけれど、コバルトと鯨がポンと姿を現したんだ。

 もう一度、ロケットのように空中へ飛び出してきた。

「コバルトはまだ背中につかまってるよ。尖ったツメが役に立ってるね」

「コバルトも好きでやっているのではなく、それしか方法がないのです。鯨の牙が届かない唯一の場所は、その鯨の背中の上ですから」

「どうやって助けるんだい?」

「あれほど巨大な生物を殺すのは、事実上不可能です。捕鯨船団が必要ですね」

「じゃあ、どうするんだい?」

「モリを出しなさい。私のランドセルの中に入っています」

「モリって、漁師が使うヤリみたいなやつかい?」

「今日のあなたは、捕鯨船の見習い乗組員のようなものです。モリにはロープを結び付けなさい」

「あれ? コバルトが何か言ってるよ」

 波の音にかき消され、僕の耳には届かなかったが、口が動いているのは分かる。それでもリリーの耳は聞き分けたようだ。

「いつものような罵詈雑言です。あなたのお耳に入れるようなことではありません」

 だけど、そう聞いて安心した僕は少し変わっているかもしれない。コバルトにはまだ悪口を言う余裕があるということなんだ。

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