第30話


 でも僕は、そのコーラを飲み切ることができなかった。

 ボート周囲の水面が突然、沸騰するように波立ったかと思うと、水面下から何かが衝突してきたんだ。

 コーラびんが僕の前歯にぶつかってガチンと音を立てるだけじゃなく、ボートが揺れて大きく浸水し、まるで急行列車に追突されたような気分だったが、

「あっ!」

 僕は水中へ放り出されてしまった。

「大丈夫ですか?」

 手足をばたつかせて水面に顔を出すと、リリーの声が聞こえた。衝突してきたのはリリーだったんだ。

「私は警告に来たのです」

 リリーの声も緊張している。腕にしがみつくと、そっと持ち上げ、僕を肩の上に乗せてくれた。

 見回しても、ボートの姿はもう見えなかった。一瞬で沈没してしまったのだろう。

「何があったんだい? コバルトはどこ?」

「それどころではありませんよ」

「またシャチが出たのかい?」

「シャチよりももっと怖い者の尾を踏んでしまいました。今はコバルトが相手をしています」

「ジークは見つけた?」

「マッコウ鯨の墓場の真ん中で逆立ちをしていました。損傷もなく、翼を広げて、まるで十字架のような姿でしたよ」

「マッコウ鯨の墓場って?」

「アフリカ象の伝説を聞いたことはありませんか? 象の場合には伝説にすぎませんが、死期を悟ったマッコウ鯨たちが世界中から集まる墓場が実在するのです。過去何千年分もの骨が、見渡す限り海底に散らばっています」

「へえ」

「感心している場合ではありませんよ。私とコバルトは墓場荒らしに見えたに違いありません。墓守をしている一頭が襲い掛かってきたのです。今はコバルトが食い止めているのですが…」

 海面が再び大きく割れたのは、このときのことだ。

「!」

 サイレンを見慣れている僕の目にも、マッコウ鯨とは想像以上に大きかった。

 体長は20メートル近く、そのサイズは地下鉄電車が泳いでいるようなものと思ってもらえばいい。頭でっかちの流線型で、色は濃い灰色をしている。

 コバルトの体も大きいが、それでも鯨に比べると半分ほどでしかない。

 その鯨が、今は背中にコバルトを乗せているんだ。水面を垂直に突き破り、ロケットのように空中に躍り出た。

「やっほー」

 よく見るとコバルトは体を低くし、競馬の騎手のように鯨の背中にしがみついている。

 だがそれも一瞬のこと。見たことがないほどの水しぶきを立て、コバルトも鯨も再び水中に消えてしまった。

 どうしていいやら、僕には見当もつかなかった。口をポカンと開けていたかもしれない。

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