六 小夜

 石田は、徳川の世で石田光成の名が災いして浪人となった身で、吉原の石田屋の主、幸右衛門こうえもんの遠縁である。石田が隅田村の白鬚社の番小屋から、石田屋の帳場を預る妻の小夜さよの元に通ってくるには訳がある。


 小夜は上州の郷士の娘で、借金の形で石田屋に奉公していた。

 昨年、卯月(四月)六日。

 石田が未払いの花代を取り立てて石田屋に届けた折、石田と小夜は互いに一目惚れし、石田が小夜の借金を肩代りして夫婦になった結果、小夜は石田屋の上女中になった。郷士の娘の小夜は読み書き算盤の才に長けていた。

 石田の遠縁である主の幸右衛門には子どもが居らず、ゆくゆく石田と小夜に石田屋を任せたいと思い、小夜が石田と暮せるよう、小夜に家人用の部屋を与えて石田屋の帳場を任せるようになったのである。

 だが、石田は小夜と夫婦になる以前から、隅田村の好意によって浪人仲間四人と共に隅田村の白鬚社の、以前は商家の寮だった番小屋に暮し、隅田村の好意に応えるため、白鬚社と境内を管理しながら隅田村の衆に読み書き算盤を教えて村を警護し、万請け負いと始末屋をしていた。

 幸右衛門は石田と仲間たちに、吉原の小見世仲間専属の始末屋と警護人になるよう勧めたが、石田と仲間たちは隅田村に恩があるため、白鬚社の番小屋から吉原に通って始末と警護を請け負っている。仲間たちは小見世での評判も良く、皆、奉公人の女たちに好かれていた。

 そして、先月神無月(十月)二十四日。

 小夜と夫婦になって一年と半年後、石田は石田屋幸右衛門と親子の縁を結ぶ固めの盃を交わし、小夜と共に幸右衛門の養子になったばかりだった。



 昼四ツ(午前十時)過ぎ。

 石田は妻の小夜が上女中をしている吉原の石田屋に居た。

「今朝、番小屋に、日野唐十郎殿に刺客を放とうとするらしき男が来ましたので、日野道場の日野唐十郎殿は留守でしたが、大先生と御新造さんに経緯を伝え、北町奉行所の藤堂八郎様にも報告しました。

 もしもの事があると困りますから、義父上ちちうえにお話しておきます」

 石田は帳場がある部屋で、改まって石田屋幸右衛門にそう言って説明した。


「うむ。大先生と御新造さんの話は、藤堂八郎様の話と合致していますな。

 石田さんが脇差しの家紋を見ていたのを、男に気づかれなかったのですね」

「分かりませぬ。視界の片隅に脇差しの家紋を確認したのを気づかれたやも知れませぬ」

「この件、小夜に話しますか」

 幸右衛門は石田の身を案じている。

「はい。話しておきます」

「今、部屋に居ますから、早う、会ってきなされ。待ちわびていますよ。

 今宵はこちらに泊まれますな」

「はい。是非とも、そのように致しとう存じます」

「そのように堅苦しく言わずとも良いではありませぬか」

「そう言う義父上こそ何を仰るのですか。いつまでも石田さんでは妙で御座る」

「ならば、いかように・・・。ええい、そんな事より、早う、部屋へ行きなされ」

「忝うございます。義父上」

「ほれ、それが堅苦しいのですよ、もう、じれったい。

 小夜さんっ。旦那様がご帰宅ですよ。

 小夜さんっ」

 幸右衛門は帳場から一階の廊下の奥へ声をかけた。


 廊下を小走りに歩く音がして、満面の笑顔の小夜が部屋に跳びこんで、石田の背に抱きついた。

「お帰りっ。旦那様。義父上と待ってたんだよっ」

「ささ、ここでは、ゆっくりできませんから、小夜の部屋でゆっくりしてくだされ。

 小夜。あとで、昼餉を運んでおあげなさい。

 今日の帳場は、私と美代みよがします。小夜は旦那様の相手をしてください」

「はあい。義父上。ありがとうございます。

 旦那様。はい、立ってくださいな」

 小夜は石田の手を引いて立たせ、

「はい、義父上と|義母上《ははうえ)に挨拶してね」

 と言って、

「義父上、義母上、ありがとうございます」

 幸右衛門と隣の部屋にいるであろう幸右衛門の女房の美代に聞こえるように言って、丁寧に御辞儀すると、石田を引っぱって部屋を出た。

 隣の部屋から幸右衛門の妻、美代で出てきた。

「早う孫の顔を見たいですわね」

「今から尻に敷かれおって、石田もなかなか良き男ぞ。小夜も男を見る目があったな」

「はい、良き夫婦ですこと・・・」

 二人を見送りながら、幸右衛門と美代は笑顔でそう言った。



 季節は霜月(十一月)三日。晴れて戸外は暖かいが部屋は寒い。

 石田を連れて部屋に戻った小夜は、石田を炬燵に座らせ、隣に座って抱きついた。

「会いに来てくれなかったから、寂しかったんだぞ」

「このところ始末がありませんでしたが、小見世仲間の警護で五日に二度はここに来ていますよ。ですが、私も、思いは小夜さんと同じです・・・」

 そう言って石田は小夜を抱きしめた。

「あたし、うれしいー」

「では、昼餉までに、今朝の話をしておきます・・・」

「はい、伺いまする。うふふふっ」

 小夜は石田の腕を解いて、石田の横で正座し、石田の腕を抱きしめた。

「今朝早く、浪人を装った武家が、仕事を依頼に現われ・・・・」

 石田は今朝の一件を説明した。


「大先生や、あかね様や、藤堂様の言うとおり、男は越前松平家の加藤貞蔵だね。

 家紋入りの脇差しを帯びてるなんて、頭隠して尻隠さずだね」

 小夜は加藤貞蔵の間抜けぶりに呆れている。

「そういう男だから、懲りずに悪事を重ねるのです。私を狙っているやも知れませぬ」

「家紋を見られたと思って口封じですか。

 そうなると、加藤貞蔵の依頼が刺客だとはっきりしますなあ・・・。

 番小屋は危ないから、今夜はここに居てね」

 小夜は石田に抱きついた。

「相分かりました。小夜さんをこうして抱いていよう・・・」

「うれしい。もっと、きつく抱いてください。そして・・・」

「もしかして・・・」

「はい・・・」

「昼餉は・・・」

「では、その後ですね」

「分かりました」

「みつなりぃ。あたし、うれしいぃ・・・」

 小夜は石田に抱きついた。

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