七 斬殺

 その頃。石田に依頼を断わられた男は、とある家の八畳の居間で、浪人の男と対座していた。

「人を斬ってくれ。武家としての面子を潰された。

 無礼討ちにしたいが、相手は柳生宗在公儀剣術指南役の補佐だ。名は日野唐十郎。浅草熱田明神そばの日野道場に居る」


「何があったのか」

 浪人は、またか、と思った。水戸徳川家の一件といい、此奴こやつも越前松平家下屋敷の下っ端役人の小倅だ。また、無銭飲食を日野唐十郎殿に咎められて騒ぎを起こし、町方に捕縛されて越前松平家の上屋敷へ突き出されて大恥をかいたのだろう。自業自得だ・・・。


「両国橋の西詰めの煮売り屋で飲んでいたら、煮売り屋の男が私に肴の煮汁を浴びせた。謝罪させようとしたら、彼奴あやつがいきなり現われて、煮売り屋の肩を持って私に狼藉を働き、私は気を失った。

 気がついたら北町奉行所に居た。いろいろ説明したが、聞き入れて貰えず、私の行ないが悪いとして評定所まで話が行き、私は押込みの刑に処せられた」

 男の目が泳いでいる。


 此奴、嘘を言っている・・・。浪人はそう思って、静かに男を問いただした。

「それで、無礼討ちの代わりに、刺客の依頼か」

「そっ、そうだ・・・」

 男はさらに動揺している。

「建前はそうだろうが、事実を言え。さもなくば、その首、ここで斬り跳ばす」

 浪人は男の目を見つめた。

「うっ・・・」

 男は何も言えなくなった。


「事実を言え・・・」

「分かった・・・。

 只食いしようと思って、紋付羽織が汚れたと煮売り屋に因縁をつけた。

 そうしたら。日野唐十郎に叩きのめされた。気づいたら北町奉行所に居た。

 依頼を引き受けてくれるか」

 男は縋る目つきで浪人を見た。


「断わる」

 浪人は毅然として言った。

「ウウッ。何故だ」

 男は浪人に詰問した。

「依頼による斬殺は御法度だ。貴公は死罪になる。

 それに日野唐十郎は公儀に仕える身。公儀に反旗を翻したとなれば、貴公だけでなく、藩主にも、公儀から、それなりの沙汰が下る。

 それを承知しているのか」

「うっ・・・」

 浪人の言い分に、男は返す言葉がない。

「何があったか言え」


 浪人の問いに、男は何も言えなくなった。そればかりか、

『藩主にも、公儀から、それなりの沙汰が下る』

 と言われ、とんでもない事を言いだした。

「では、ここに来る前に、俺が依頼を頼んだ石田を斬ってくれ。

 それならできるだろう」

「刺客を依頼したのか」

 浪人は男を睨みつけた。


「依頼はしてない。詳しい話をする前に刺客の依頼と勘づいたらしく、依頼事は全て北町奉行所へ届け出て、始末許可を得て行なっている、と言うから、詳しい話をせずに帰ってきたが、石田はこの脇差しの家紋を見ていた」

「身元を知られたか・・・・」

 浪人は一瞬考えた。


「そうだ」

「私に刺客を依頼して、事が済んだら私を始末するか・・・」

「いや、そんな事は」

 男がそう言った時、浪人が刀を抜いた。男の首筋に鋒を当てて、

「さあ、どうするか言え」

 と問い詰めた。


「・・・」

「言わぬなら、それなりの覚悟があるのだな」

 浪人はそう言うや、刀をすっと押した。男の首に当てた鋒が首に食い込み、頸動脈が切れた。

「うっ・・・」

 男は血が噴き出る首筋を手で押えたが、そのまま畳に倒れた。

 いつまでも馬鹿な真似をしているとそれなりの裁きが下る。そう説明したのを忘れたか・・・。浪人は男の羽織の裾で刀の血を拭った。

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