夫婦、よくできま死た!!

 義兄妹が分かれた頃、夫婦がどうしていたかと言うと──カレーを食べに出かけていた。


 絶都の二十四時間営業形態の牛丼チェーン店にて──恰幅の好い夫と痩せた妻といった中年の夫婦が入店してきたのは真夜中に近い時間であった。この時間はさすがに人が少ないのか、カウンターにいる店員も一人しかいない。

「いつも行っている定食屋さんが閉まっていたから来ましたけど……牛丼屋さんって本当にカレーを出してくれるんですか?」

 かりかりと痩せて神経質な印象を与える妻に、ふかふかと太った夫がゆったりとした口調で事情を説明する。

「生徒が話してたのを聞いてたんスよ、この牛丼屋のビーフカレーは旨いって」

「本当に? ただのチェーン店じゃあないですか」

「チェーン店でも、会社から支給されているレトルトパウチの温め具合やご飯の炊き方、人が関わる部分で味が変わるそうなんスよ。ほら、ファミレスチェーン店でもパフェの盛り付けのクオリティはその店に勤めている人の手先の器用さに左右されるッスよね」

 説明しながら食券の購入、座席の確保、十一月の夜の外気で冷えたプラスチックの座面に敷いた手拭いによる座り心地の補正など──夫は妻をいた。

「まぁ? あなたがそう言うのでしたら信じておきますけど吾が背の君。ほら、あたくしこんなに痩せてるんですから寒さが骨身に染みるんです。早く座ってあたくしを温めてください」

 痩せた妻はその夫の工夫を当然のように享受する。小さな手拭いでつくられた座席の真ん中に自分一人だけタイトスカートの尻を乗せて座り、食券を店員に手渡して座るのが遅れた夫に文句をつける。しかし、横に座ってきた旦那に体を擦り付けて、体温で暖を取る様は子供のようだった。子供のように、いた。

 仲の良い子供同士のようにぎゅうぎゅうと抱きしめあっている二人の前にビーフカレーがことり、と置かれる。すると妻は、当然の様に んぱ、と口を開ける。

 そして旦那は、皿に添えられていたスプーンを持ち上げ、カレーを掬って妻の口にそろそろと入れる。はむり、と閉じられた口からぬるり、と出てくるスプーンには、カレールーは一滴も付いていなかった。

「……」

 学生や、二十代の子供ならともかく子供もいそうな中年の夫婦が恥ずかしげもなくいちゃつく様子に、一人しかいない店員が居心地悪そうな様子でいる。そんな様子の店員に、「よくできました」と書かれたハンコが揃えたように頬についている夫婦は右手の人差し指を立てて提案した。

「ねぇ店員さん。これから厨房にこもっていたらいいことがありますよ」

「えぇ店員さん、どうせこれから夜が明けるまで誰も来ないと思うんス」

「……」

 迷っている様子の店員に、夫婦は重ねて提案する。

「別にサボれっていうわけじゃあないんですよ、厨房にいても新しいお客さんが来たら防犯カメラやセンサーで分かるじゃないですか?」

「これからちょっとごたごたするので。店員さんにおかれましては怪我しないように忠告させてほしいだけッス──大丈夫、掃除もジブンたちでやるスから」

 そして店員を厨房に押し込めるように移動させたあと──夫婦の背後で、ガラス戸がすーっと開いた。

 入店してきたのは客や従業員のような人間ではなくて、空飛ぶハンコだった。

「……七億不思議ッ!」

 夫婦──名和屋レイ夫婦が振り向いた時には、すでにハンコが牛丼屋のカウンターに集まってきていた。

「リキカズくんとはまだ連絡がつきませんかッ!?」

 名和屋レイ(妻)の質問に、名和屋レイ(夫)は首を横に振る。

「たぶん……電源を切っているッス」

 ぎり、とレイ(義姉)は歯ぎしりをした。彼女の武器はハイヒールだ。手でそれを持って叩き落すにしても、ハンコと言う小さなもの相手ではすぐに叩き落しきれなくなることは明白だ。叩き落とせなければ夫の武器である樽に入れることもできなくて、一般人である牛丼屋の店員を危険にさらしてしまうだろう。

 そんな夫婦の弱点をカバーするのがレイ(男)の弟であるリキカズだった。しかし、彼はもともと霊能者にはなりたくなくて、家を出て行ってしまうほどだった。帰ってきた今でも協力を求められないことが多い。

「……しょうがない、ですねッ」

 名和屋レイ(女)はそれだけ言うと、履いていたハイヒールの留め金に指をかける。

「ぐるるるぅ……」

 四つ足の獣のような姿勢になって、犬のように唸り。名和屋レイは勢いよく七億不思議の雲の中に突っ込んだ。

「レイさん!!!」

 がしゃん。

 夫の悲鳴を聞きながら、彼女は七億不思議を飛び越して自動ドア前の上部にあるセンサーをヒールで刺した。これで自動ドアは開かなくなった。

 床に降りざま、レイ(女)は周りのハンコたちを叩き落す。顔や手に真っ赤な朱肉がついていくのにもかまわず、レイ(女)はハンコをヒールで叩き落す。

 レイ(女)があらかたハンコを叩き落し終わったころには、なにを言わずとも相方であるレイ(男)がハンコを拾い、恭しい手つきで樽に詰めているところだった。

「君らがどんな素性の七億不思議か知らないんスけれど。ジブンたちは七億不思議にちょっと負い目のある家の出身なんス。七億不思議になったのは不幸でしたね……次に生まれてくるときは、もっと幸せでありますように」

 そう声をかけるレイ(男)の目の前で、名和屋レイ(女)は樽を蹴り飛ばしなかのハンコたちを消滅させる。つぶれたたくさんの「よくできました」で赤く染められた頬に流れる涙を朱肉で真っ赤に染まった手で拭いながら、名和屋レイ(女)は子供っぽい口調で訴えた。

「お義父さまぁ……お義父さまが亡くなったのは、あたくしが……!」

「違うスよ。父さんが死んだのはナワヤノムスメのせいであり、もとをただせばうちの先祖のせいなんスから──」

 

 

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