第17話 わたくしはなにも悪いことはしていませんわ
ついに、車が上がれないところまでやってまいりました。
ここから先は自分の足で歩きましょう。
王太子殿下とジュリアナ様のお母様クリスティーナ様は舞闘士のお免状をお持ちなので、このくらいの山歩きも苦にされないようです。
ここまで空気のカルロータ様は、車を下りるなりお父様並みの体格の領兵におぶわれています。
取り巻きは心話力が足りないので車でお留守番です。
問題は、一人だけいる心話力が足りて体力が足りない王太子殿下の取り巻きです。
他の三人は両方足りません。
「アンジー、あなたのウサギ、わたしを背負ってくれないかしら」
「叔母様、おっしゃることに無理があり過ぎませんか」
本当は出来ても、名前も覚えてくれない人をおぶってなんかあげませんよ。
叔母様は杖をついてふらふらと前に出ました。
「ノイチェエグア、どこにいるの、返事をして」
なんで叔母様が山羊の名前決めてるんですか。
「心話力の強い順にしてみるか。シルヴァーナ、呼び掛けてみよ」
「はい、王太子殿下」
叔母様の情けない声での呼び掛けの後、ビスケがほぼ正面を指しました。
「この先は、かなり大きな谷でございますが」
カルロータ様本日初台詞です。
お祖父様が叔母様を小脇に抱えられます。
「シルヴァーナを抱えても、一時間くらいなら飛べますが」
「それでしたら、大丈夫です」
カルロータ様、なぜわたくしを怯えた目でご覧になるのですか。
わたくしもお祖父様も人間離れしているだけで、人間ですよ。
真正面ならわたくしやビスケが案内で行くことはないように思えますが、行かないとダメのようです。
帰りにお祖父様は両手が塞がってしまいますしね。
谷と言うより亀裂の向こうで待っていたノイチェエグアはほぼ黒山羊でした。
額に長細い白い菱形の模様があり、足は四つ白です。角は普通に曲がっています。
崖のこっち側に叔母様を置いて山羊だけ取りに行ければよいのですが、接触しないとお祖父様が抱えられません。
お祖父様はその程度のことは気にされませんけどね。
二匹目の山羊で王太子殿下のテンションが、酔っ払ったお祖父様並みに上がります。
叔母様以上にノイチェエグアをよしよしされています。
ぼけっと見ていたら、ビスケをお祖父様に取られてしまいました。
わたくしに判らない様に近寄って来られるのです。ビスケは判っても逆らえません。
当国最強の武人の技を、孫のウサギを連れて行くのに使わないで下さい。
「この調子で頼むぞ、アンジェリーヌ」
「なにを、でございますか?」
王太子殿下が酔っ払いに見えて、つい言い返してしまいました。
「うむ、いや、そう言われると困るが、そなたがいるからとしか、思えまい」
いずれ国王となられて、こちらの人生とほぼ同じだけお仕えするお方なので、あまり追い詰めても不味いとは思います。
「団体行動の際に、特定の人間がいると雨が降ったり、逆に降らなかったりするようなことがあるとは言われておりますが」
「おお、あるのだな、そのようなことが」
「異世界のことでございます」
「英知のコンテナだな。よいな」
山羊女とか、いやです。
様子を伺っていらしたクリスティーナ様が入ってこられました。
「次は、わたくしでよろしいですか」
「あ、はい、姉上、どうぞ。心話力の順です。アンジェリーヌ、ここで呼んでよいかな」
何匹も同じところで出ない気はいたします。
「まだ出て来ていない南側は、いかがでしょう」
「うむ、皆の者、アンジェリーヌが南がよいと言っておる。行くぞ」
わたくしのせいにしないで下さい。
お祖父様、ビスケは飛び慣れていないだけで自分で歩けます。持たないで下さい。
すでに抱き癖が付いてしまっているのですが。
エドモン様と叔母様は車に置いて来る選択肢もあったのですが、王太子殿下が何かの時に役に立つとおっしゃって、騎乗を許可されてお供することになりました。
エドモン様そこそこ復活されました。
ここから先は歩けそうもないところまで南に来てみました。
数人が乗れる尾根から見渡すと、ただひたすら山脈が連なっています。
「姉上、大体いそうな方向は、判りませんか」
「そうですね、やってみましょう」
クリスティーナ様は見渡すようにゆっくりと左右に動かれて、西の方向に向かわれました。
「カモミッラ」
お声は呟くようでしたが、左後ろに立っているだけで押されるくらいの霊的圧力が来ます。
みなで押し黙ってビスケを見ます。
「ぴゅい」
指した方角はほぼクリスティーナ様の目線と同じでした。
わたくしの左にいらしたはずのお祖父様が、クリスティーナ様の右に立たれます。
「では、二の殿下、まいりますぞ」
周辺警戒と索敵のためにわたくしとビスケも同行して、無事にジェルソミーナより毛足も角も短い白山羊を連れて帰りました。
王太子殿下はノイチェエグアから離れてカモミッラに抱き着かれます。
はい、次は王太子殿下の番ですよ。粛々と行きましょう。
「これまでが北西、西、南でございますので、北か東がよろしいかと存じます」
「うむ、東なら帰り道だ。北にしよう」
「御心のままに」
「アンジェリーヌ、なにか、忘れておらぬか」
「なにでございましょう?」
「ぴゅい?」
「それだ、そなたのウサギ、飛ぶではないか。姉上は舞闘士の免許をお持ちだ。カモミッラは飛べるだろう。姉上もお婆に確認済みだ」
本当にお忘れになっていたようです。
バレちゃ仕方ありませんね。カモミッラのおでこにぐりぐりしましょう。
「いかがでしょう。少し離れて地面を打たせてみて下さいますか」
「ええ。カモミッラ、固い所を打ってはいけませんよ」
クリスティーナ様のご注意に「めっ!」と答えてカモミッラが軽く右の前足を地面に当てると、土が飛び散りました。
王太子殿下が真っ先に反応されます。
「おお! 出来たではないか! アンジェリーヌ、飛べるようにしてやってくれ!」
「仰せのままに」
はい、ぐりぐりしますよ。なんとなく『入った』感じが判るようになってきました。
「転写出来たように思えます。まず、単独で飛ばしてみて下さい」
「はい」
「め!」
カモミッラは跳躍して宙に浮いてから、そのまま空中を駆けます。
神話などに出て来そうです。真っ白なので魔獣に見えませんし。
「おおおおおおお!」
王太子殿下もお喜びのご様子です。
「カモミッラ、降りて来て。乗せて頂戴」
念のためお祖父様とわたくしが両側を飛びます。
クリスティーナ様を乗せて飛んでもさほどスピードが落ちません。
しばらく飛んでいると近衛兵の中で飛べる人が来ました。
王太子殿下がお呼びのようです。
「申し訳ございません、王太子殿下。何時になく楽しくて、つい時間を忘れました」
「判ります、姉上。アンジェリーヌ、北だな、北でよいな、ウサギ、そなたも頼りにしておるぞ」
「ぴゅいっ!」
名前は覚えて下さらないのですね。
途中も王太子殿下は何度かエンテュジアズモを呼ばれましたが返事はなく、やはりこれ以上は飛べないと進めない崖の上に出ました。
「やはり、このような所から呼び掛けねばならぬようだな。エンテュジアズモ!」
みんなで静かにしてビスケを見ます。
「ぴゅいっ」
十五時方向です。微妙にずれていますね。
「よし、赤爺頼むぞ」
小さいことは気になさらないご性格ですね。
お祖父様も王太子殿下を小脇に抱える訳にはいかないので、おぶわれました。
どこまで飛ばなければいけないか判らないので、近衛兵の飛べる人も着いて来ません。
森を切断したような崖の上に、ドンブロヤージがいました。
下りてお祖父様がお声を掛けます。
「なんでこんなところにおるんじゃ? マリカはどこじゃ」
「め?」
お祖父様に背負われたまま王太子殿下がおっしゃいます。
「これはエンテュジアズモだ。ドンブロヤージを見て、あのような山羊が欲しいと思ったのだ」
色合いがほぼ同じなのですが、全体に明るめです。
お望み通りの山羊が手に入って、王太子殿下お喜びです。
「アンジェリーヌ、ここで飛べるようにしては不味いか? 休みながら帰るようになっても、赤爺が戦えた方が安全ではないか」
「はい、転写は場所はあまり条件にならないように思えます」
無事に飛べるようになったエンテュジアズモは、四度休みましたが王太子殿下をお乗せして飛んで帰れました。
山羊と人を両脇に抱えて一気に飛んで帰れるお祖父様が普通じゃないのです。
王太子殿下は合流されると家臣団を労われます。
「みな、よくやってくれた。今から帰れば日暮れ前に麓の砦に着く」
上機嫌の王太子殿下に対して、カルロータ様が涙目です。
「王太子殿下!」
「カルロータ、いたのか」
「ひ、ひどい」
「今日が初日だ。明日また来れば良い」
『チーム山羊が欲しい』は分裂解散したようです。
王太子殿下はもう『欲しい』じゃありませんものね。
わたくしとしても、せめて一人くらいは無駄足になって欲しいのですが、めそめそ泣くカルロータ様にお祖父様の可愛いものセンサーが反応してしまいました。
「車に着くまでは、わしが小侯爵を抱えて左右に飛んでみますで」
カルロータ様の七回目の呼び掛けに、ビスケが東北東を指しました。
一人くらい出て来なければいいのに、せめて山羊じゃなければいいのに、とのわたくしの願いも虚しく、黒と茶の斑の背中にお腹の白い山羊がおりました。
山羊の配色じゃありませんわ。ビーグル犬です。ミケ山羊。
名前? トロペディニフォロメスとかなんとかでしたわ。
かくして『アンジーと山羊を探しに行こうツアー』は、予想外の初日の半日で山羊五匹の大成功に終わってしまい、のちの『アンジーとファミリアを探しに行こうツアー』に繋がってしまうのでした。
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