第2話 どうやら先達がいたようですわ
小麦畑の穂が実る前に、鴨が来る時期になりました。常初夏くらいの気候で四季の変化はないのですけれど、毎年同じ時期に来るのです。
去年は自走可能な大き目の赤ん坊だったので、ほぼ食っちゃ寝食っちゃ寝していた記憶しかなく、朝のお出かけの時はまだ眠っていて、お祖父様とお父様が上機嫌で戻られた後、鴨を見ることもなく晩餐につみれ入りのカモネギスープをもらっただけでしたが、今年はステーキを頂きますわ。
お父様とお祖父様に腕のある者達が付いて行きます。なんで鴨獲りに行くのに盾や槍を持っているの?
この時点で嫌な予感はしたのですが。
お祖母様は討伐隊に追われた鴨がお城を襲って来るといけないので、お父様が爺と呼ばれるのでわたくしも爺と呼んでいる家令のフォレボサージとお留守番です。
フォレボサージは爺の家名で、代々仕えていることが多い家令は公式の場でも家名しか名乗らないのです。
しかし、お祖母様が迎え撃たないといけない鴨ってどんなの?
ここで漸く去年の鴨猟の頃を思い出しましたわ。わたくしに鴨を見せると怖がるかもしれないとお祖母様とお母様が話されていたのです。その時は血塗れとかだろうと思って忘れていたのですわ。
当然ですが、お父様とお祖父様のお持ち帰りになった獲物は鴨に見えませんでした。
「アンジー、大きな鴨が獲れたよ」
お祖父様と二人掛かりで翼を持って広げて見せて下さいます。
「お父様、それ、プテラノドン……」
わたくしが予想通りドン引きしたのでお父様嬉しそう。子供なのを確認して安心している感じがします。
それは判るけど、お祖父様まで嬉しそうなのはなんか、いや。
「ぷてらのどん、なのかい?」
「プテラノドンはもっと痩せていて、茶色の毛は生えていませんけど」
「これは太って毛が生えているから、鴨だね」
切り刻んで、煮ても焼いても鴨でした。味が鴨なら脳内の自動翻訳が鴨になるようです。
鴨、美味しゅうございました。味が一緒ならかまいませんわ。ここは地球じゃないのですもの。
翌日の晩餐には「鴨」の肝の赤ワイン煮が出ました。これは煮込んだほうが美味しいのですね。
お父様とお祖父様のお酒が進みます。赤ワインとブランデーとシードルが売るほどあります。
ドラゴンを倒せるほど強いのにお酒に酔うのはなぜでしょう。お二人とも毒なんか効きそうにないのですが。
ご機嫌のお父様が、何時もは食卓ではわたくしにはなさらない領地のお話をされました。
「やはり、例年より麦の生育が良いようだよ」
「よかったですわ、肥料は合う物と合わない物がございますでしょ」
知識チートキター! で舞い上がって言ってしまってから、かなり特殊な例だった気がしていたのです。
しかもブドウとリンゴとブルーベリーがなる亜熱帯なので、地球の常識が当てはまるかも判りませんでしょ。
「試しにやったコーリャンも伸びがいいようだ。来年はコーリャンもすべての畑にやろうと思うよ。農民達も喜んでいる。アンジーに『姉様』になって欲しいと気の早い事を言っている者までいるそうだよ」
出来の良い長子次子は継嗣に家督が譲られた後も相談役のような身分で領地に残れるのです。それを『姉様』『兄様』と呼ぶのです。
「お役に立ててなによりですわ」
「我が領は肉は足りているが主食の穀物に不安があったからね。しかし、アンジーは誰の言葉遣いを真似ているのだろう、母上もマリカもそのような上位貴族の娘のような話し方はしないのだけどね」
お祖母様は中位貴族、お母様の家は準男爵でもない、ぎりぎり御目見え程度なのでした。しかもわたくし三歳児。
話せるようになってからずっとなんちゃってお嬢様をやっていたのに、なんで今まで言われなかったんだろうと思ったら、お母様とお祖母様がお父様を睨んでいらっしゃいます。
みんな判っていたけど言ってはならないことだったようです。
しかし、この場には酔っ払いがもう一人いました。
「やはりアンジーは、英知のコンテナ持ちなんじゃろ。そちらからの知識ではないかな」
素面に戻ったお父様も含めて三人がお祖父様を睨みます。お祖父様も素面に戻りました。
「お祖父様をいぢめては、いや」
そう言ったわたくしを見て「苛めませんよ」とおっしゃってから、またお祖父様を見たお祖母様のお顔に『この子が許しても私は許しません』と書いてあります。
「知ってしまったら、本当のことを教えなければ。この子を誤魔化せるはずがありません」
お母様のお言葉にお祖母様が頷かれます。お父様とお祖父様には発言権がありません。お母様が教えて下さいました。
「極まれに、この世界にはない知識を持つ者がいるのです。それを英知のコンテナ持ちと呼んでいます。実際に知識が詰まった何かを持っているのではないようですが、該当者が少ないのでよく判っていません。コンテナもそうした者が造ったのです。蒸気自動車もね」
コンテナと言うのは、制御の指輪を意識して触ると出入り口の魔方陣が現われる個人用亜空間、ようするにチャラララッチャラ~ンの容量制限がある安物のことですわ。一トン二トン五トンが市販されておりますの。
過去にも異世界の記憶を持った転生者がいたのでしょうね。この世界の文明が妙にデコボコだった謎が解けましたわ。
「子供にそれを教えてしまうと、空想と本来の知識が混ざってしまって使えなくなる恐れがあるのです」
お父様が身を乗り出されてお顔を近付けておっしゃいました。
「無理に喜ばせようとしなくても良いのだよ。銅貨入りの水だけでも我が領に恒久的な繁栄をもたらしてくれるのだから」
お父様優しい。前世の記憶とは別にお父様お母様の娘、お祖父様お祖母様の孫の自意識はあるのです。
「はい」とお答えしたら急におねむになってしまいました。体はまだ三歳児。
難しい話で疲れてしまったのねと言われて、メイドに連れられてお部屋に行くことにしました。もう赤ん坊じゃないので一人で寝ていますわ。
歩こうとしたらふらふらするのでメイドが抱き抱えてくれました。歩かなくてよいので扉の側に立っている感じで意識を食堂に残します。
あまり近くだとお母様には時々気付かれることがあるのです。
「あの年の子供に理解出来ない話のはずだが、全て理解しているな。やはり、心話力か」
扉が閉まるのを待ってお父様がお母様におっしゃいました。
「他に考えようがありませんが、わたしでも大人の言葉の意味が直接理解出来るようになったのは六歳過ぎでした。あの子は魔導師としてはそれほどでもないようですが」
「詮索しない方がよいのだろうな。高位の魔導師にはなれなくとも霊力は高いだろう。継嗣には頼りになる姉になってくれるはずだ。舞闘術は母上にお願いします」
「それは、その積もりでいたけど。で、あの子の話し方なのだけど」
お祖母様がちょっと怖い雰囲気でお祖父様を見ていますね。
「あなた、心当たりは無いの。英知のコンテナで言葉遣いが全部入れ替わるとは思えないわ」
「お前さんと試合する前わしどんだけもてたか、知らん訳じゃあるまい」
「あら、居直った。貴族の常識的なお付き合い程度なら、あの子に口調が移らないでしょ」
お祖父様妙なとばっちりでピンチ。
わたくしが戻って転生者なのをお話すればよかったのですけれど、お母様がわたくしを見ました。
「どうしたの」
お祖母様がお祖父様からお母様に目を移されました。
「アンジーが見ている気がしたのです。時々感じるのですよ」
「幽体分離が出来るんじゃなかろうか」
お祖父様がまた余計なことをおっしゃって三人に睨まれました。お母様が青筋マークモードです。
「無意識でやっているなら、意識すると出来なくなるならまだよいのですけど、戻れなくなる恐れがあります。あの子にはけしておっしゃらないで下さい」
これ幽体分離だったのですね。戻れなくなることがあるの?
わたくしはおねむが限界にきて意識を戻して寝てしまいました。
その後お祖父様がどうなったかは判りません。お祖父様ごめんなさい。
翌日お昼寝の時間に幽体分離を試してみました。木の扉は通り抜けられるのですが、壁や床や植物含めて生き物は通り抜けられません。光が波動だったり粒子だったりするようなのもでしょうか。
木の板のような密度と厚みの薄い物なら物質っぽいなにかから一時的に波動になって抜けている、みたいな。
猫が誰も見ていないと変な所を通り抜けているかもしれないのは、関係ないかしらん。
この世界では魂が闘気の鎧を纏って一時的に肉体から抜けると言われているのでした。
闘気の塊なので攻撃も出来ます。しかもほぼ重さがないので異常な速さで動けます。
幽体分離はほとんど魔導師しか出来ないので、戦闘に使っている人はいないようなのですが。
アストラル・マックスと名付けました。これが武人としてのわたくしの切り札になるのはもう少し後になります。
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