顔繋ぎ

「なぜ、ドレスを持っていらっしゃらないのです?」


 真面目な顔でセリカに訊かれたけれど、魔道士だし、賢者なのだからローブで充分だと思っていた。

 慌てて誂えた葡萄色のドレスに、私の魔力色である朱のケープを羽織る。

 本来、これが女性魔道士の公式の場に出る時の装いなのだそうな。そういうことは、誰か先に教えて欲しい。聖職者が聖衣で通るように、魔道士もローブで良いものだと思っていたのに……。

 ドレスの上から、右太腿のガーターベルトに触れる。

 念の為にと、ホルスターに挿れた小さな銃の感触に、妙な安心感があった。

 使う機会など無いに越したことがないが、対人使用した事の無い魔法よりは、よほど頼りになる。

 セリカには、「お守りみたいな物」とだけ言ってあるが、子供みたいなことをと笑われた。これがどういう物なのかは、知らぬ方が良い。それでも、彼女が敬愛するサーシェン姫の犬の縫いぐるみよりは、幼くないと思うのだけど……。


「ドロシー女子爵、少しよろしいかしら?」


 サーシェン姫の話し相手をしていたら、フェルマー女伯爵に呼ばれた。予定には入っていないけど、打ち合わせがあるらしい。姫本人よりも、私の後ろで控えていたセリカが不満げな様子。せっかく特等席で、姫様のお姿を拝見できた幸運は長く続かなかった。

 ドアの前で警護にあたっていた、レオンも付き従う。こちらは


「助かった。姫様の警護の騎士に妙な目で見られて、居心地悪かったんだ」


 そう言いながら、剣と共に腰にある短い魔法の杖を撫でて、口元を歪めた。

 もともと、文官の家系から出た騎士なので、書類仕事もできる変わり種であったのに加え、C級とはいえ、国家認定の魔道士でもある。もはや、変わり種を通り越して珍種になってしまった。


「この際、神殿で修行して神聖魔法も修めてみたら?」


 とからかった時、まんざらでも無さそうな顔をしていたっけ。

 すぐにセリカに


「こんな徳の無い人に、神様が話しかけるわけがないでしょう?」


 と、やり込められていたけど……。

 などと思い出し笑いしかけた時、伯爵の足が止まった。

 セリカたちにすら聞こえぬ声で、密やかに囁く。


「明日より、サーシェン姫は湖の神殿で、三日間の禊に入ります」

「はい。私もそのつもりで準備しています」

「その為に、これから会う人物と、あなたとの顔繋ぎが必要になります。……決して感情を表に出さないように」


 どういう事?

 問い返す前に、応接室への回廊のドアを開けて進み始める。会えば解るというのだろうか? もう少し説明を求めたい気持ちも圧し殺して、その後に続く。


「室内への立ち入りは禁じます」


 側仕えたちにそう告げて、ドアをノックする。

 開かれた応接室で、ソファに座っていたのは貴族ではない。仕立ての良い上質の上着と、隙の無い笑みから、商人かと思ったが……目に表情がない。

 あちらの世界のお義父様は、いつもお客様の目に浮かぶ感情を読むように教えてくれた。

 笑みは繕えても、瞳の色はなかなか繕えないからと。

 テキパキと伯爵は上座に座る。同じようにしながら、テーブルに何の飲み物も出されていない事に気づいた。


「こちらが、サーシェン姫の側で世話係を務めるドロシー・クレイトン女子爵です」

「ほぅ……噂の賢者見習いさんか。思っていたより若いな」

「余計な口を叩かないで。……彼は、盗賊ギルド『ナイトゲイザーズ』の右腕と称されるグレイよ」

「盗賊ギルド……そんな人が何故?」


 思わず言葉に出てしまう。

 グレイは態度をガラリと変えて、伝法な口調で笑った。


「冒険者が冒険者ギルドで収まるのは、剣を振り回す連中だけさ。……魔法使いは協会があり、神官は神殿がある。盗賊ったって、斥候の集まりみたいなものさ」

「時間がないから、ホラは吹かないで。……ドロシー、賭場や売春宿など国の薄汚い部分を握ってるやくざ者の集まりよ」


 嫌悪を隠さない伯爵の口調に、グレイは苦笑いを浮かべるだけで、反論はしない。

 なるほど……とドロシーは相手を見る。

 歳の頃は三十代か……。でも、読み取れるのはそれだけだ。中肉中背、特徴も何も無い良く有る顔に見えて、こんなに特徴の無い顔をした人間なんて、滅多にお目にかかれない。

 おそらく髪の色と服装を変えてしまえば、五分後に擦れ違っても当人と解らないだろう。

 得体の知れない相手……。ドロシーは、そう分類した。


「まあ、綺麗事だけで人間は生きちゃいられないからな。男が集まれば、女を抱きたくなる。小金が入れば、酒を呑んだり、賭場で遊びたくもなる。そんな物を、国は提供してはくれないだろう? ……だから、俺達が必要になる」

「無駄話はいいわ……。本筋に入りましょう」


 伯爵がテーブルの上に、金貨を五枚滑らせる。

 その額の大きさに目を見張るドロシーに笑いかけて、遠慮なくグレイが懐に収めた。


「ごろつき連中に、金が撒かれてる話は耳にしていない。もっとも、他国の姫様相手にそんな雑な襲撃などしやしないだろう? 気になるのは、隣国との手紙のやり取りが増えてることくらいかな。鳩も飛び回っているよ」

「鳩……?」

「内緒の手紙のやり取りには、手っ取り早く確実だ。ウチの飼ってる隼は、上手に生け捕りにするけど、な」


 何かの揶揄かと思ったが、本当の伝書鳩のことか。それを生け捕りにする隼というのも驚きだ。全てではないが、断片的に文章のやり取りを掴んでいると言っている。


「その内容は?」

「暗号文は、解読に時間がかかる。明日まで待ってくれ……」

「明日では遅い可能性もあるのですよ?」

「解っている。急がせているし、それも依頼の内だから、周囲に網も張ってるよ。……名の知れた冒険者の眉間に、風穴を開けるような凄腕の殺し屋でもいない限りは、対処できるだろう」


 楽しそうに笑いながら、視線をドロシーに投げる。

 一瞬、ヒヤリと背筋を冷たいものが流れた。

 きょとんとしているのはフェルマーだけだ。思い当たる節の有るドロシーは、精神力を総動員して気持ちを鎮め、グレイの無表情な灰色の瞳を見つめ返す。

 あの日、賢者様に同行した騎士団から聞き出せば、それがドロシーの結びつくことは容易いだろう。でも、その武器が何なのかまでは解るまい。

 気がかりなのは、家族の存在も知られてるであろう事だ。


「幸い、そういう恐ろしいのが敵に回っているという情報は、無い」

「そんな馬鹿げた話で、驚かせないで」

「敵に回るようなら、真っ先に排除しなきゃならないくらい怖いのもいるってことさ。そういうのに限って、見た目は天使のようだったりするから始末に終えない」


 鋭い視線から、目を逸らしてはいけない。

 ドロシーは全てを受け止めるように、天使の笑みを浮かべた。


「でしたら、そんな相手は、敵に回さないようにしないといけませんよ。味方にしておけば不安も無いし、心強いでしょう」

「違いない……その路線で行こう」


 グレイは楽しそうに笑った。

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