異国の姫君
──緊張してるのは、誰しも同じ。
フェルマー女伯爵の後ろに控えながら、ドロシーは静かに深呼吸を繰り返す。
ゴルニア公国公王一家を乗せた馬車列は、王都の市民の大歓迎を受けながら、次々と王城のエントランスに停車し、貴賓客を降ろして入れ替わる。
主役であるサーシェン姫が、サリエル公王と共に馬車から降り立った時、盛大な拍手と歓声が沸き起こった。
なるほど、美姫である。
肌の白さと薄い彩りの金髪は、北国生まれ故だろうか。合わせた衣装の色合いの淡さもあって、どこか儚げな印象を受ける。
でも、凛とした眉や、意志の強そうな銀の瞳は、一筋縄では行かなそうな印象で、先行きを案じられた。
(まあ、責任者が私で無い分、気が楽なのは確かね……)
さすがにアンダンテ王も、未成年のドロシーの初仕事に、全責任を被せるような非情さは持ち合わせていないようだ。
外交官でもあるフェルマー女伯爵の補佐として、婚礼が成って正式にサーシェン姫がシンフォニア王家の一員となるまでの、世話役の補佐を申し付けられた。
魔法とかけ離れた仕事なので、目を丸くしたドロシーは
「私の仕事は宮廷魔術師ではなく、賢者だよ?」
というジェイナスの囁きに、肝を冷やしたのは言うまでもない。
賢者……賢き者として、政治などに助言を与えるのが仕事ではないか。未成年とはいえ、賢者補佐の役割を得ているドロシーだ。このような仕事が割り振られるのは、当然といえば当然だろう。
外交任務とはいえ、数日で王家の一員となるサーシェン姫の世話役の補佐は、新人賢者補佐の初仕事には、うってつけにも思える。
ほんの数日の仕事な上、どちらも補佐であって、指示をくれる上役がいるのだから。
上役となるフェルマー女伯爵は、いかにもデキる女風の三十代半ばの女性官僚。
麦藁色の髪をきりりと結い上げ、この婚姻の橋渡し役として折衝に当たって来たというから、頼りにしても良さそうだ。
ちなみに、ドロシーも正式にクレイボーン女子爵として、新たな家を興すことを承認された。王家の領地の一部を拝領する形だが、管理はこれまで通りで、俸給として収入を得ることになる。
正式に姓を授かったのは嬉しいが、収入については、多すぎても困ってしまいそうで、悩みの種だ。レオンとセリカの二人の給金を賄えて、自身の生活に困らなければ、現状は充分だと思うのだが……。
「お疲れ様でした、サーシェン姫様。こちらの部屋で不自由はありませんか?」
幾つものセレモニーを終え、ようやく貴賓室の一つに落ち着いたサーシェン姫と、茶会のテーブルについて、フェルマー伯爵が労う。
僅かに疲れを見せる姫だが、その目が見慣れぬローブ姿に興味を隠さない。
魔法使いが同席する理由はない。だが、賢者というにはあまりにも幼く、自身よりも年少に見えるのだから、訝られて当然だ。
こいつは何者だ? とでも思われているのだろう。
「婚礼を迎えるまでの三日間は、まだ姫を賓客として迎えることとなります。その間の世話役は、私フェルマーと、こちらのドロシー・クレイボーン女子爵が担当させていただきます。ドロシーは未成年ながら、通常は賢者補佐の任にある者です」
「賢者補佐……ですか? 私の故郷でも賢者はおりますが、いずれも老齢で……」
「我が国の賢者、ジェイナスも同様です。その目に見出されたドロシーが特別であるとご承知下さい。もちろん、まだ未熟な部分がありますので、お気に触った時には遠慮なくお叱り下さい」
改めて挨拶をすると、銀色の瞳が見定めるように煌めく。
ドロシーは、ただ笑みを浮かべて会釈するに留めた。
そうでなくても、突然の抜擢人事の初仕事で、余計な注目を浴びている。目立たずに、無難に努めたいと考えているのだ。つまらぬ興味は、無用でお願いしたい。
その意が通じたのか、サーシェン姫は周囲を見回して、話題を変えようとしてくれた。
「この城は暖かいわ。同じ石造りの城なのに、私の国とは大違い。……なにか秘密があるのかしら?」
逆に深みに嵌っていく気がして、ドロシーは頭を抱えたくなる。
もちろん誇らしげに、フェルマーはこう答えるのだ。
「ええ、これはこちらにいるクレイボーン賢者補佐の発明です。【床暖房】と申しまして、石床に魔法陣を細工して温めているのです」
再び銀色の瞳に見つめられて、身を縮める。
ただ寒がりな自分の対処法が広まってしまっただけなのに、まるで生活を改善するための、新発明のように言われてしまうのは困る。
結果的には確かに、そうなってしまったのだけれど……。
「まだ稚いのに、賢者補佐の名に恥じない方ですのね」
「寒さが苦手なので、行った工夫が広まってしまっただけです。お恥ずかしい」
「寒さは心を狭めますもの。素敵な発明を恥じることはありません。……いずれ、ゴルニアにも導入をお願いしたいわ」
「先程、陛下たちもその話を進めていらっしゃいました」
「まあ……」
幼さを残した笑顔で、柔らかく見つめる。
セリカがウキウキと燥ぐのも、納得の愛らしさだ。城下町がお祭り騒ぎになるのも、無理はない。
自然とドロシーも、頬が緩んでしまう。
「やっと、微笑みましたね?」
自分を見るイタズラっぽい眼差しに、慌てて背筋を伸ばした。
サーシェン姫は少女らしくコロコロと笑った。
「そんなに緊張なさらないで下さいませ。私まで緊張してしまいそう」
「申し訳ありません。こういう場には、不慣れなもので……」
「もう……ドロシー。私には側近がおりますので、手伝いには不自由いたしません。せっかくの近い年回りの方ですもの。それよりもお友達になっていただきたいわ」
「もったいなすぎるお言葉です……ですが……」
「ですが……は許しません。私がそう決めました。ドロシーは私のお友達。フェルマー伯爵、それでよろしいですわね?」
「姫様がお望みでしたら」
澄ました顔でフェルマーも応えた。
半ば、それを予想していた顔をしている。姫様の
「ドロシーは、魔法陣には詳しいのかしら?」
「魔道士と名乗って恥ずかしくない程度には、ですが」
サーシェン姫が強請るように側仕えを見る。
苦笑しながら、側仕えが少し古びた犬のぬいぐるみを持ってきた。
「この子……治りますでしょうか?」
魔導機なのか?
お許しを得て、ぬいぐるみに触れてみる。ふわふわな手触りの奥に、機構的なものの存在が僅かに感じられた。
「中を開いてみても?」
複雑な顔をしながらも、頷いてくれた。
腰のポーチから工具セットを取り出し、細身のナイフをお腹の縫い目に当てる。布を傷つけないように、慎重に縫い糸だけを切った。
お腹の綿の奥に、コイン大の懐中時計のような魔導機が見えた。これが心臓部だろう。
文字盤にあたるディスクに、魔法陣が刻まれている。
細かすぎるので、ショットグラスに似た拡大鏡を右目に当てて、瞼の筋肉に挟んで保持した。これで読み取れる。
「基礎動作からランダムに分岐して、九種類の動作をするのか……。この魔法陣に欠損は無いということは……」
回転軸の方をチェックする。
やはり、動作の際に引っかかって、魔法陣の一部に傷がついているのを見つけた。ヤスリで削り取り、タガネで新たに彫り直す。念の為にインクを流して、魔法陣を判別しやすくしておこう。ついでに潤滑剤も足しておく。
包帯代わりにレースのハンカチを巻いて、キュッと縛る。
心配顔の姫様に、微笑みかけた。
「これで治ったはずです。可愛がってあげて下さい」
「……本当?」
絹の長手袋の指が恐々と抱きしめ、首輪の魔石に魔力を流す。
縫いぐるみが「ワン!」と鳴くと、目を潤ませてテーブルに乗せた。
縫いぐるみの犬はトコトコと歩いては、首を傾げたり、クンクンと匂いを嗅ぐ真似をしたり……可愛い。
サーシェン姫が手を叩くと、あどけない笑顔に向けて歩み寄った。
「クレオ! ……お久し振りですね」
「ワン!」
抱きしめようとするのを、さっと側仕えが先に奪う。
プッと頬を膨らませる姫を、側仕えが慈愛の顔で窘めた。
「まだですよ、姫様。クレオのお腹の傷口が開いたままです」
「早く……早く治して下さいませ」
「はい、今すぐに……」
裁縫道具を準備する側仕えたちを、待ちきれぬように肩を揺らして見ている。
でも、いざ縫い始めると、つい目を逸らしてしまうところが、なんとも愛らしい。
「もう動かなくなって、二年も経つのです。父や母に治していただけるようにお願いしても、『もうそんな、子供向けの魔導機で遊ぶ歳ではないだろう』と言って、治してくださらなくて……私、本当に悲しかったのです。大切なお友達なのに……」
少し恥ずかしそうに、そう教えてくれる。
やがて、クレオが「ワン!」と鳴いて駆け寄るのを、抱き上げて薔薇色の頬を擦り付ける。
そんな姫様が大好きなのだろう。側近たちも柔らかく微笑んだ。
「ドロシー、あなたをクレオの主治医に任命しますわ」
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