寒さ嫌いの産物

 王都で学ぶようになってから、三つの季節が過ぎた。

 窓の外にちらつく雪も、そろそろ見納めになる時期だと、護衛騎士のレオンが教えてくれた。彼の興味は魔法より算術のようで、対象を守るシールド魔法を幾つか習得すると、ドロシーの知る異世界の公式を学ぶ方に全力集中している。

 側仕えのセリカは、生活魔法を一通り覚えてしまうと、バフやデバフの補助魔法に手を出し始めた。この三人で戦闘をすることは考えていないが、万が一の際の、役割分担を意識しているのだろうか?

 ドロシー自身は、王都の地理や歴史など、この世界で政務をこなすに必要な知識は一通り身についたはずで、時々賢者様の持ち込む、財務計算を手伝ったりしているくらいだ。


 この様に学び続けているだけで、給金を戴いて良いのか?


 そんな疑問を感じながらも、三人の学びは続いていた。

 セリカの手元から、芳醇なお茶の香りが漂うと、そんな時間が緩やかに停止する。


「冬はやっぱり、濃いめのバセットだな……」

「レオンはお茶よりも、茶菓子でしょうに? 紅茶通みたいなことを言わないで」

「手厳しいなあ。最近は、お茶の味も解るようになってきたんだぜ?」

「騎士棟の雑なお茶に慣れた方には、大進歩ですね」

「違いねえ。訓練後のお茶の不味さよ……」


 顔を顰めたレオンに、笑いが弾ける。

 セリカによると、普通は応接テーブルで三人集まってのお茶など有り得ないらしい。でも、訓練で城を行き来するレオンや、買い出しで街に出るセリカと違って、家族もいない上に仕事らしい仕事もないドロシーは、塔を出る機会すら無い。

 世の中の出来事を知るには、とても貴重な時間だったりするのだ。

 何より、罪もない噂話は楽しい。


「この雪がやんだら、国境が開くでしょうから、王子様の婚礼準備で大忙しになりますね」

「騎士団としては、北との結びつきが強くなる分、東が心配だがな……」

「もう……おめでたいお話なのに、騎士様はすぐそれだ」

「街の者の結婚じゃないんだぜ。王室の結婚なんて、外交絡みじゃなきゃありえないからな。どんな美人の姫様だろうと、東の三角州の所有権争いのために、国交を強化する以上の意味はないって」


 訳知り顔のレオンのウンチクも、当たり前に理解できるようになった。

 このシンフォニア王国は、長きに渡って東に隣接するバラタック王国との間に位置する大河の巨大な三角州の所有権争いに悩まされているのだ。国境となっている大河に浮かぶ三角州の豊穣な土地は、現在はシンフォニア領となっている。だが、歴史的にも曖昧な部分が多く、常に紛争の種となっているのだ。

 その為に、後ろ盾となっている北に位置するゴルニア公国との関係を深めようと、第一王子のオルケスタと、ゴルニアの第一王女サーシェン姫との間で婚約が成り、春を待っての婚儀が進んでいる。

 若き男女の結婚で、戦争回避ができるなら、それに越したことがない。


「サーシェン姫様は美しい方でしたよね……」

「シンフォニアを訪れたことがあるの?」


 うっとりと語るセリカに、尋ねる。

 ピッと人差し指を立てて、懇切丁寧に解説してくれた。


「昨年、成人を迎えられたこともあって、社交界へのデビューも兼ね、シンフォニアにも訪問されたのですよ。ドロシー様がいらっしゃる、ひと月前ほどに。オルケスタ王子は、その時に見初められたのでしょうね……」

「だから最初から、そのつもりで見合わせたんだと思うぜ、俺は」

「薄汚れた大人の理屈なんて、聞きたくないです。夢も希望もないわ」

「きっと、それが城と街の温度差なんでしょうね」


 また姦しくなりそうなので、間を取って話を引き取る。

 麗しの異国のプリンセスが人気となるのは、どこの世界でも同じだろう。そして、その婚姻で駆り出される官僚や騎士団にとっては、外交式典以外の何物でもない。

 反応に温度差があるのは、当たり前のことかも知らない。

 去年成人して社交界デビューということは、ドロシーより二歳年上ということか。それでもう結婚というのだから、お姫様というものは大変だ。村で暮らしていたならともかく、刻の塔で学ぶ自分は、結婚なんてまだずっと先の話となるはず。

 そういう意味では安心できる。

 この環境で、巡り合うような相手がいるわけがない。


「しかし、魔法ってえのは便利なものだな。暖炉に火も焚べていないのに、部屋の中がこんなに暖かなんてよ。……考えられないぜ」


 窓の向こうの雪景色を眺めて、レオンが溜息を吐いた。

 冬の服装はしていても、この石造りの塔で、まるで寒さを感じないのも不思議らしい。


「それはドロシー様に感謝なさいな。賢者様から、同じ加工を依頼されるくらい有用な、魔導暖房を作っちゃったんだから」

「それどころか、賢者様がやり方を教わって、城の王族の居室とかにもその魔導暖房を設置したらしいぜ」

「えっ、それは初めて聞いた」

「便利に使っていただいて、光栄だわ」


 何のことはない。石床の部屋の寒さに音を上げたドロシーが、苦肉の策で床に加熱の魔法陣を直接描いただけだ。秘技【床暖房】である。全ての魔法陣を繋げて、調温部に魔石を置けば、一日部屋を温めてくれる。

 電気を魔法に置き換えただけのシステムは、かなり重宝されているようだ。

 分厚い絨毯を敷いても、石造りの床は底冷えするから、辛いのは誰しも同じらしい。

 こうして便利な魔導機を製作し続けていれば、いつか王宮図書館の秘蔵の資料の閲覧権を得られるかも知れない。道は遠くても、試す価値はあるだろう。

 その寒さついでに、レオンが片目を瞑ってセリカにリクエストをした。


「なあ、こんなに寒いんだからよ。今日の晩飯は……あの」

「はいはい。ドロシー様考案の、あの白いシチューをって言うんでしょう。良い鶏も手に入ったし、今日は塔の食堂も、それですよ」

「やった。あれは美味いし、身体も温まるからなぁ」


 レオンの舌なめずりを子供みたいだと、セリカが笑う。

 父の料理人が日本を訪れた際に知ったクリームシチューのレシピが、こんな異世界で大流行してると聞いたら、どんな顔をするだろう。

 焼かないグラタンのような料理が面白くて、レシピを教わった。あの日の私を、褒めてあげたい。料理自体は好きなのに、そこは料理人の領域と、キッチンへの立ち入りを快く思われていなかったのが悔やまれる。

 美味しいものは、もっとたくさんあったのに!

 ドロシーの知ってるレシピは、ごく僅かでしか無いなんて。こんなに悲しいことはない。

【床暖房】とクリームシチューのレシピは、ドロシー・フロア発の大流行として、自慢できる代物だろう。

 賢者補佐の初年度の成果としては、充分なのか不足しているのかは不明だけど。

 全て自分の寒さ嫌いから来ているのは、ちょっとばつが悪い。


 賢者補佐とされてはいても、まだ成人まで間がある。

 まだ、仕事を振られることはないだろうと高をくくっていた。

 だから、翌日ドロシーは賢者ジェイナスとともに王の執務室に呼ばれ、初仕事を命じられるなどとは、夢にも思っていなかった。

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