教え、教わり
昼食を終えると、ドロシーが教師役だ。
賢者様が言うのだから、おそらく算術においてはあちらの世界の方が進んでいるのだろう。
そう信じて、あちらのノートとペンケースを持ち出す。
セリカとレオンの二人は、罫線の入った真っ白な紙と見慣れぬペンに興味津々のようだが、敢えて何も言わない。
ドロシーとしては、二人の持ってきた計算尺の方に気が行ってる。
「ひょっとして、それは計算をするための道具?」
「当たり前だろう、これ無しで計算なんてできるかよ」
できるわよ? と言いたいのを堪えて、首を傾げるに留める。
まだ、こちらの世界の貴族の学習を殆ど知らないのだ。下手な判断はできない。
「馬鹿にするわけじゃないけど、お互いの算術の理解度を擦り合わせるために、初歩の初歩から始まるわよ」
子供たちがやるような、果物の数を加えていく初歩の足し算、引き算から始める。
これは何の問題もなく、解いてくれる。
「それじゃあ、次ね。……月に銀貨三枚貰える仕事を七ヶ月続けたのだけど、始めて四ヶ過ぎてから食費で月銀貨一枚を支払うことになったら、七ヶ月後にはいくらの収入?」
いきなり二人共、計算尺を使い始めた。
「銀貨三枚の仕事を七ヶ月だよな……下のメモリの三にラインを合わせて、中の尺をずらして……」
「うるさいわね。こっちまで混乱するから喋らずにやってよ」
あら、掛け算の概念は無さそうだ。
尺の数字を合わせて、答えを導くのがこちらの常識らしい。
説明が必要になりそうと、砂箱を持ち出す。こちらでは紙が高すぎて、こんな雑事を書くようなチラシの裏すら無い。
羽箒で平らに均した砂に、指で『3×7=21 7-4=3 3×1=3 21-3=18』と、書いておく。もちろん数字は、この世界の数字で。
「わかった。答えは銀貨18枚」
セリカが胸を張って答えるのに、レオンがウンウンと頷いている。
「正解」と褒めながら、目の前の砂箱の数字を見せた。
二人共目を丸くして、書かれた数字に見入った。
「賢者様は尺を使わずに計算すると知られてますが、ドロシー様も同じなのですか?」
「そうね。学んできたのは同じ国だから、私もそうなるわ」
「その魔法を、教われるのですか?」
「魔法じゃないわよ。尺を使わない計算のやり方。その尺でメモリを合わせて導き出す答えを、計算法を理解して自分で導き出すの」
「そんな魔法みてえな事……できるのかよ?」
フフンと、ちょっと得意になって微笑む。
そして、改めて砂箱に書いた計算式を示した。
「ちゃんと出来てるでしょ? 3と7の目盛りを合わせた結果が21で……」
「確かに……でも、何で尺も使わずに……」
「その尺は目盛りで、この計算の答えを示すように出来てるの。銀貨三枚の仕事を七ヶ月。3を7回足すっていうのが、この記号の意味よ。だからこっちは食費に払った銀貨一枚を三ヶ月分だから1×3で3枚使った計算。21枚から3枚を減らせば、答えは18枚」
「解らねえのは、その3を7回足すのに、何で尺も無しに答えをすっと出せるんだってことだよ?」
セリカも不思議そうな顔で頷いている。
学校教育は偉大だわ……ドロシーは、そう呟きながらノートを二枚破いて、それぞれに掛け算の九九を書き出した。
それぞれの前に一枚ずつ滑らせる。
「まずは、この表を覚えちゃうと良いわ」
「……何だいこりゃ? こんなの見たことねえぞ……」
「尺を使わずに計算するコツよ。ほら、答えを縦に見ていくと『2×』の列の答えは、ちゃんと2づつ増えているでしょ? 3も5も同じ。その数字を何回足すかで出る答えは同じなんだから、それを頭に入れておけばいいの」
「こんなに覚えられるかよ……」
「覚えちゃえば楽よ? 将来あなたの子供に覚えさせれば、賢者様と同じく尺を使わずに計算ができるから、文官の家系の中でも、優秀な子と持て囃されるんじゃないかしら?」
「確かに、騎士になれなんて言われたりしないわよ……」
二人がかりでコンプレックスを突き回されて、レオンの目の色が変わった。
セリカと二人でほくそ笑む。
少しは、この物臭騎士の態度も変わってくるだろう。
「でもよ、この表だと九回までしか無いぞ? 十五回足す時はどうするんだよ?」
「二桁でも、三桁でも同じよ。十五回なら、二桁目が2かける1で2。それを二桁目に置いておいて、一桁目を計算。2×5で10。二桁目の2と1を足して3。一桁目は0。だから、答えは30。尺で確かめててご覧なさい。合ってるはずよ?」
胡散臭げに計算尺を操作し、表示された答えに目を見張る。
そんなレオンを、隣でセリカがクスクスと笑った。
「私たちが使う尺がやっている計算を、自分で出来てしまうのですね?」
「そうよ。どうしてその数字になるのか? 途中の計算が解ってるのと、答えが違った時にどこで目盛りの読み間違いをしているのか、ひと目でわかるようになるわ」
「そりゃあ……とんでもねえな」
ゴクリとレオンが唾を飲み込む。
計算がそこまで尺任せになっているのなら、教え甲斐がありそうだ。
かけ算の九九を理解させれば、その先の分数や歩率計算など、実用的なことまで教えられる。ドロシーの当たり前の知識が、ここでは魔法のような扱いだ。
二つ持っているソーラー電卓の内、小型の一つを賢者様に差し上げたら、どんな顔をされるだろう?
つい頬が緩んでしまう。
「ジェイナス様の仰る通りでした。……ドロシー様に誠心誠意お仕えしていれば、魔法学園の知識以上のことを学べると言われてましたから」
「まだ、ほんの入口なんだろう? これでも……。子供相手だと舐めてたのが恥ずかしいぜ……」
急に居住まいを正されてしまうと、ドロシーの方も困ってしまう。
自分が一方的に先生になるわけではないのだから。
「だから、お互いに教え合っていきましょう。私にとって当たり前の知識が、あなた方に無いのと同じように、あなた方の当たり前のことが、私には何の知識も無かったりするのよ。魔法もそうだし、貴族教育なんて何も知らないもの」
今日はここまでで、ドロシーは再び生徒に戻る。
セリカの拍手に背中を押されるように、レオンが立ち上がった。
「急に言われてもなぁ……何の準備もしてないぜ」
照れ隠しに言ったレオンが、キョロキョロと室内を見回す。
ふと壁に貼られた地図に目を留め、そちらへ移動した。
「何を教えて良いのか解らねえけど……この国や、周辺の地理は知っているか?」
「いいえ、何も。鍛冶屋の娘だったから、歩いて行ける距離のことしか知らないわ」
「それより少しはマシだけど、周りの国のことまでは……」
「じゃあ、せっかく地図もあるし、まずはその辺のことからな」
レオンも教えるのに慣れていないだけで、知識がないわけではない。
日に日にたどたどしさが取れて教えることに慣れてくる。
それはセリカも、ドロシーも同じだ。
半年も続ければ、三人とも魔法の基礎や計算の基礎、様々な知識を身につけることが出来た。
三人が三人ともC級魔道士の資格を得て、ようやく次のステップへと動き出した。
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