第一章 王都のドロシー

二人の従者

 賢者様のその日の午前中の時間は、全てドロシーの為に使われることとなった。

 国王陛下の許可が得られたなら、まずは住居を決め、暮らす準備を整えねばならないのは、当たり前のことなのだから。

 王都に馴染みなど無いドロシーとしても、一人で放り出されては困ってしまう。

 知識の塔に聳える五柱の塔の一つであり、筆頭賢者ジェイナスの管理下に置かれている『ときの塔』に案内されて、ひと安心という所だ。


「お帰りなさいませ。今日は早いお帰りで」


 すぐに賢者様付きであろう、年嵩の側仕えが出迎えてくれた。

 軽く手を振り、賢者様は笑みを向ける。


「いや、この新しい補佐役の暮らしを整えたら、またすぐに戻らねばならない。昼食までは、お願いしておこう。……それから、セリカと言ったかな。前に君が話していた若い側仕えを連れてきてくれ」

「……お言葉ですが、アレはまだ未熟ですよ?」

「構わん。こちらも未熟だからな。未熟者同士、学ぶにはちょうど良い」

「……わかりました」


 年嵩の側仕えが合図すると、扉の影からおずおずと、銅色の巻き毛の側仕えが進み出てくる。ドロシーよりも、一つ二つ年下であろうか。ちょっと生意気そうな大きなツリ目が、エメラルドのような煌めきで向けられた。


「セリカ。賢者様のご指名で、あなたを新しい賢者様の補佐役の側仕えとして任命します。誠心誠意、励むように」

「……それは、出世なのでしょうか?」


 まだ成人すらしていないのがひと目で分かるドロシーを見て、訝しげにセリカが首を傾げる。まあ、そう思われても仕方がないけど。


「それは、君とこの娘……ドロシー次第だろう。すべてが上手く噛み合えば、将来の筆頭賢者の側仕えとなれるし、合わなければまた、ただのメイドに逆戻りだ。それでも、まだドロシーには学ぶべきことが多い。……主と共に学ぶ機会など、二度と得られるものではない」

「学ぶ? 私も学ぶことができるのでしょうか?」

「それを喜びと受け止めることができるなら、なおさらだ。もう一人、護衛の騎士がドロシーに付けられるが、それぞれが教え合い、学び合うことが出来たなら、素晴らしい主従関係を結べるだろう」

「この……ドロシー……様と、ですか?」

「私は、意欲だけしか見ておらん。人の相性など二の次で良かろう?」

「本来は、それがいちばん大切なのですよ?」


 年嵩の側仕えが、苦笑して眉を顰める。

 暗に、やる気だけで選んだのだから、合わないようなら替えてやる。と伝えることで、先々の選択の余地まで示してもらって、断る理由もないのだろう。

 鮮やかなカーテシーで、セリカは新たな仕事を受け入れた。


「セリカと申します。ドロシー様よろしくお願いいたします」

「では、部屋へ案内しよう」


『刻の塔』は、魔導士の住まいの例に漏れず、地上25メートルはあろうかという石造りの巨大な塔である。

 各階の部屋を仕切る内壁沿いに、長い螺旋階段が作られており、見上げるだけでドロシーはげんなりしてしまう。

 そうだろうと思ったが、エスカレーターや、エレベーターの昇降装置は見当たらない。


「私の部屋は何階になるのですか?」

「最上階が私の区画だ。補佐役のドロシーに与えられるのは、その一つ下の階となるが、不満かね?」


 改めて、ドロシーに与えられた地位を知り、セリカが目を見張る。

 そんな事より、高い塔を見上げ、ため息を吐いてしまう。

 賢者様はいたずらっぽく笑った。


「ドロシー。……魔導士たちはなぜ、高い塔に好んで住むのか解かるかね?」

「存じません。何か、理由があるのですか?」

「今の君と同じさ。魔法の心得の無い者は、この高さを登るだけでうんざりする。そんな者のと話しても、とても有益な時間を得られるとは思えん。だが……」


 賢者様が杖を一振りすると、床に直径2メートルほどの魔法陣が浮き上がり、光った。

 賢者様に続いて、セリカも臆すこと無く魔法陣に上に乗る。慌てて、ドロシーも後を追った。


「魔法の心得があるなら、高さなど気にはしない。貴重な時間を野暮な訪問者に邪魔されたくないから、皆、塔を立てて高所に逃げ込むのさ」


 魔法陣が、光のエレベーターとなって、ドロシーたちを上へと運ぶ。

 こちらの世界に戻ってからも、あまり魔法的なものに接していなかったドロシーを驚かせるには、充分過ぎる。

 セリカにまで笑われてしまったのは、ちょっと悔しい……。


「この大きな扉が、ドロシー……君の部屋になる。右の個室はセリカ、君の部屋だ」

「わぁ……個室をいただけるのですか?」

「君は側仕えだろう? 主の側にいなくてどうする。左の個室を使う護衛騎士とともに、その身に代えても、主を守り抜いてもらわねば困る」

「は……はい」

「では二人共、手を出しなさい」


 賢者様は差し出された掌に、ドロシーとセリカに2つづつ。真珠玉のような丸い石を乗せた。

 セリカのするのを真似て、それをギュッと握りしめる。

 それに何かを吸われるような感覚に、慌てて手を開いた。石は朱色に染まっていた。


「その石をドアのこの部分にはめることで、魔力が登録される。このドアは、魔力を登録した者にしか開けない」


 一番上にドロシーの石を、その下にセリカの石が収められる。

 ドロシーのはマスターキーとして、この階のどのドアも開けるように登録されたことになる。特に鍵がいらないのは便利だ。魔法認証とでも言うべきか。

 小走りにセリカが、手に入れた自分の私室を登録に行き、すぐに嬉しそうな笑顔で戻って来る。ドロシーの視線に、年相応の華やいだ笑みを慌てて消した。


 自室のドアを開いてみると、イメージは教室だ。

 ドアの側に応接セットがあり、その奥に自分が座ることになるであろう大きなデスクがある。本棚の類が並ぶが、中身はまだ無い。

 その他のスペースは実験用の机や器具が並んでいる。

 応接セット脇のドアが、ドロシーの私室と聞いて、魔力登録を済ませる。

 中を覗いてみたら、簡素なベッドとテーブルの手頃な広さの部屋だ。荷物を置くついでに眺めると、バストイレが別に付いている。

 私物であるなら、自由に改造し易いだろう。

 こちらの世界の衛生面は不満がありすぎるから、自分の生活範囲だけでも近づけていかないと。

 予備バッテリーを刺したソーラーチャージャーを窓辺に置いてから、部屋へ戻った。


「国王陛下より、準備金を賜っている。必要に応じて、部屋の調度を整えるがよかろう」

「ありがとうございます」


 受け取った革袋は、ずっしりと重い。

 余程の贅沢をしない限りは、金銭面の問題は無さそうだ。

 ドアがノックされ、セリカが軽やかに身を翻す。

 伴われてきたのは、大柄だが、どこか大きな身体を縮めているような印象の騎士様だ。

 あの階段を登ってきたのだろう。息を切らしている。


「ジェイナス様、お呼びでしょうか?」

「レオン・ブランビラ。すでに騎士団長の了解を得てある。本日より、このドロシー・クレイボーン賢者見習いの護衛騎士の人に付いてもらう」

「えっ……私が、ですか?」


 二十代前半だろうか?

 騎士というには、あまり颯爽とした印象がない。

 焦げ茶の髪と瞳がドロシーを見つめ、自信なさげに揺れている。


「護衛なら、もっと腕の立つ騎士の方がよろしいのでは?」


 おいおい! と突っ込みそうになるが、賢者様は楽しげに笑っている。

 セリカも呆れ顔だ。もっと騎士様らしく出来ないものだろうか?


「やっかみの悪戯くらいはあろうが、そうそうこんな子供の命まで狙われんよ。それよりも、この娘の教育係を兼務で頼みたいからこそ、文官の家系であるブランビラ家の変わり種を指名したのだがね」

「教育係って、何を教えろと? 子供とはいえ、将来の賢者様になろうっていう相手に」

「この世界の常識だよ。地理や、制度、書類の纏め方……これから王都で暮らすのに必要な知識の全てだ」

「そんな……当たり前のことを、ですか?」

「レオンと、それからセリカには話しておく。これは他言しないように。……このドロシーは、5歳の時に神隠しに遭って、この歳まで別の世界で暮らしていたために、この世界の常識をほとんど知らない。頓珍漢な行動をしていたら、すぐに諌めてやってくれ」

「はぁ? そんなおとぎ話のようなことが……」

「あるからこそ、ドロシーをこの塔に迎えたのだ。魔法の存在しない、それでいてここより進んだ文明の世界で暮らしたこの娘の知識を活かしたい。だから、足りない知識はできるだけ早く、内密に学ばせたい」

「はぁ……命令とあれば、従います」


 まだ、気乗りしない感じが透けて見える。

 騎士としては、外れコースのように思えるから、仕方がないけど。


「だが、レオンよ。お前が教えるだけじゃない。時によって、このドロシーに教わってみるが良い。私も少し話したが、この娘の識る算術は、この国の文官の及ぶところではない。習得すれば、ブランビラ家の一員らしく、文官として名を上げることも出来よう」

「お言葉ですが……正直な所、信じられません」

「信じろとは言わんよ。実際にその身で確かめれば良い。左隣の部屋が、お前の私室になる。この部屋と共に魔力を登録して、ドロシー・クレイボーンの警護の任に着け」

「わかりました!」


 そこは騎士らしく、きちんと一礼して魔力の珠を受け取る。

 この部屋と、自室と。魔力登録を済ませたレオンに、賢者様はオレンジ色に煌めく宝石のようなものを投げ渡した。

 思い出したように、ドロシーにも手渡す。


「この魔石を貸与する。これで塔の上り下りは魔法陣で行えるよ」


 レオンが飛び上がらんばかりの喜びを見せる。

 ドロシーはつい、笑ってしまった。


「お前たち二人は、ただの側使いと護衛騎士ではないと自覚しておくれ。三人で持つ知識や技能を教え合い、学び合い、腹心とも言える立場になって、ドロシーを守って欲しい。今はただの子供でも、いずれ王族や貴族と渡り合いながら、この国を動かす立場になる娘だ。そのつもりで引き立ててやって欲しい」

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