王都へ

 ほんの数日、滞在しただけの故郷を離れるのは、意外に辛くなかった。

 今度は、同じこの世界にいる。

 王都の知識の塔にいるからと告げて、必要な時は頼ってと言っておく。

 私自身はともかく、賢者様の権力はとても頼りになると思うから。


 背負い袋をお腹に括り付けて、賢者様の鞍の前にちょこんと乗せてもらう。

 こちらでも向こうでも、馬に乗るのは初めてだ。

 大人しくて良い馬だ。荷車を曳かせてもきっと良い仕事をすると思うけど、そんな仕事はきっと不名誉になるような名馬に違いない。

 王都まで、途中で一泊して二日の行程。

 さすがに騎士団10騎に囲まれた賢者の一行を襲うような命知らずも現れず、万難を排して宿場での宿泊までするなら、危険の要素は何もなかった。

 高い壁に囲まれた城塞都市、王都の偉容に圧倒されながら、ドロシーは王都の民となった。

 表向きの王様への謁見は、あっさり終わった。

 謁見室に通され、賢者様の後ろで跪いていたドロシーは、王様の姿を垣間見ることすら出来なかった。


(王様になんて、お目にかかれるわけ無いものね……村の鍛冶屋の娘だもの)


 知識の塔に暮らす許可を得られて、賢者様の弟子となることを正式に王様に認められた。ただ、それだけの儀式だ。


「ドロシー、今日は私と共にいなさい」

「……はい」


 右も左も分からぬ王城だ。どんなに場違いな場所であっても、賢者様と離れる事は不安でしか無い。

 言われなくても、一日中後ろについていたい。

 途中の街で買っていただいた若草色のローブで、見た目だけは知識の塔の住人に見えるかもしれないけど……。

 賢者様の後についていくと、庭を見渡せる部屋に席があった。

 大きなテーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられており、下座と言われる位置に並んで座る。メイド服を纏った女性が、すぐにお茶の用意をしてくれる。

 久しぶりの上質な紅茶の芳香が、鼻先を擽った。


「冷めない内に頂きなさい。……長く待つことになる」


 賢者様に続いて、紅茶を舌先に乗せて味わう。

 お義父様が紅茶党であったこともあり、あちらでは上質の紅茶を味わってきた。そのどれとも違い、それでいて劣りもしない。

 この茶葉を味合わせてあげたい……そう思うと、胸がちくんと痛んだ。

 なのに……そんな感傷が消え失せるくらい、長く待たされた。

 美しい庭園も眺める所が無くなり、ゆっくり飲んでいても三杯目の紅茶を注がれる頃になって、ようやく向かいの扉が開かれた。

 慌てて賢者様に倣って、席を立ち、深く一礼をする。


「待たせてしまったな……」

「いえ……お手数をおかけします」


 向かい合わせに座るからには、とても偉い人なのだろう。

 ビロードの赤い豪奢なローブを羽織った三十歳過ぎくらいの男性。艶のある暗い色の金髪を肩口まで伸ばした、ちょっとイケてる感じのおじ様だ。

 華やかさにも関わらず、身体は充分に鍛え込まれた厚みがある。


「ジェイナス、その娘は帰還者で間違いないのか?」

「間違いありません、陛下。ドロシーと申しまして、私より五十年以上後の時代に暮らした娘です」


 わお……このおじ様、賢者様を呼び捨てにしたよ。

 それどころか、陛下って……ひょっとして国王様?


「ドロシー。この方が、アンダンテ・レイ・シンフォニア……現シンフォニア王国の国王陛下だ」

「は、初めましてっ! ドロシー・クレイボーンと申しま……あっ!」


 王様と聞かされて、バネのように立ち上がった私は、ギクシャクと礼をしながら、うっかりとあちらの世界での名を名乗ってしまう。

 賢者様は失笑しているし……。

 でも、王様は優しく微笑みながら、こう言ってくれた。


「クレイボーンは、向こうの世界での家名か……。よろしい、学びを終えて正式に賢者に名を連ねた際には、初代クレイボーン家の名乗りを許そう」

「あ、ありがとうございます!」


 ぺたんと椅子に座り込んでしまう。

 こんなに簡単に、あちらの世界との……お義父様との繋がりを残すことができるなんて。

 呆然と、その人を見る。


「先にジェイナスからの報告を読んでいるが……。報告よりも、更に儚げな印象を受ける。この娘が熟練の冒険者三人を斃したとは、にわかには信じがたいな」

「冒険者たちの死因は、明らかに銃によるものでした。周囲の村に、ここ数日の異変を確かめた所、神隠しから九年ぶりに戻った娘の話を聞き……ドロシーに出会いました」

「だが、昔ジェイナスから見せられた銃は、この娘の手には大きすぎるだろう?」

「ドロシーの暮らした世界は、私と同じ場所であっても、五十年以上後の世界です。すべての技術がより、進捗しています。……ドロシー、君の銃を」


 背負い袋から取り出した銃に、王様は虚を突かれた顔をした。

 それもそうだろう。賢者様がかつて持っていた銃は、リボルバー式の黒鉄の大きなものだろう。比べて、ドロシーのは小さくピカピカと玩具じみている。

 弾倉を外して、弾丸を一つ取り出して見せて初めて、目に驚愕の色を浮かべた。


「見た目は……何と言うか、玩具のようだが……その銃弾は確かに、ジェイナスに見せられたものと変わらぬ。信じられんが、確かに銃であるらしい」

「あくまでも護身用として持たされた物です。私の小さな手に馴染むように、私の見た目に似合うようにと、外観などは向こうでの保護者がドレスアップしてくださいました」

「治安がそれほど悪い場所であるのか?」

「いえ、基本は平和です。ですが、貧富の差もありますし、様々な人々が入り乱れると、不慮の事態がありますから。いざという時に身を守る術は、持っているに越したことはありません。……とはいえ、あちらでは練習こそしましたが、実際に使う機会はありませんでした」

「なるほど……こちらの世界に戻るのも不慮の事態であり、ちゃんとその銃は護身用としての役割を果たしたのだな。……そのおかげで、二人の帰還者が巡り合ったと」


 慈愛の笑みを浮かべて、王様はドロシーを見た。

 そして賢者様も。


「ドロシーが暮らした世界では、私の知識など、もはや古典です。この数日話していただけで、私がどれだけ驚かされてきたか……。必ずこの娘の知識は、この国の財産になります。不足している、こちらの世界の知識や魔法を補ってやれば、王の大きな助力となりましょう」

「ジェイナスは良い後継者を得られたな」

「いえ、私もまた古くなった向こうの知識を教わり直さねばなりません。再び学べることが、何よりも楽しいのです」

「急に若返ったようだな、ジェイナス。……よろしい、ドロシー・クレイボーンを賢者の補佐役として、また知識の探求者として、知識の塔の一員として認めよう。文官に指示し、その手続を進めさせるが、ドロシー? こちらの世界での君の家族はどうする?」


 問われて、驚いてしまう。

 たしかに、自分一人の立場が変わるだけで済むことではないのかもしれない。

 知識の塔の学者は、貴族同様の扱いとなるのだから。

 だが、あの村で生まれ育ち、土地に馴染んだ家族が、その暮らしを離れることが幸せなのか? 考えてしまう。


「急に暮らしを変えても、幸せには成れないでしょう。もし、妹や弟……いずれ産まれてくるだろう甥や姪たちが、望んだ時には手を取ることができれば良いと考えます」


 その瞬間、この世界におけるドロシーの新たな居場所が確定した。

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