もう一人の帰還者
突然のことに、ドロシーは呆然としてしまった。
この世界で英語での問いかけなど、ある筈もないのに……。
そんな少女を安心させるように、そして改めて確かめるように、賢者様が繰り返す。
「In what country did you live in what city?(君はどの国の、何と言う街で暮らしていたのかな?)」
「……Los Angeles, USA.(アメリカ合衆国のロサンジェルスです)」
震える声で、そう答える。
まさか……まさか……。
深い笑みを浮かべて、賢者様が頷く。
「If you have something you brought from that world, could you show it to me?(あの世界から持ってきた物があるなら、見せてもらえないか?)」
ドロシーが頷くと、賢者様は村長に問いかけた。
「どこかに、彼女の二人きりで話せる場所を用意して貰いたい」
「……ドロシーの夢のような話を信じなさるんで?」
「知識を司るものとして、それを確かめるのが私の仕事だ」
大慌てで村の集会場が準備される。
誰も近づかぬよう、周囲を騎士団が囲む一部屋だけの建物。
背負い袋を抱きしめて、おっかなびっくり中に入った。
ハーブのお茶が二人分準備されており、賢者様は優しくドロシーを迎えた。
「まず確かめておきたい……。ドロシー、君は銃を持ってるね?」
答える代わりにバックパックを取り出す。
そこにしまってあったホルスターと銃を、押し出すようにして賢者様に見せた。
「これが……君が持ってきた銃なのか……」
驚いたように、手に取り、見つめた。
少女の持ち物に相応しくと、スライド部をメタリックピンクに、全体をブライトシルバーに改造された携帯用の小型拳銃は、ドロシーの目から見ても玩具じみている。
だが、賢者様が驚いていたのはその重さだ。
「この軽さ……こんな材質で銃としての性能が保てるのか? 一インチちょっとの厚みしかないというのに……。
なるほど……この軽さの銃なら、君のような少女の細腕でも自在に扱えよう」
そして、じっとドロシーの瞳を覗く。
「森で冒険者の三人を銃で殺したのは、君だね?」
「……警告はしました。でも」
「事情は想像がつく……あの世界から戻ったままの服装であれば、貴族の令嬢か、大商会の娘に間違えられてもおかしくはなかろう。
私は、その不可思議な死に方を調べよと命じられてきたのだよ。未知の魔獣や、怪しげな魔道士によるものであれば、手を打つ必要があるからの……。
だが、傷を見れば、銃によるものであるのは一目瞭然だった。
そして、村の者にここ数日に、何か変事は無かったかと尋ねて……君に辿り着いた」
ドロシーは、たたまれていたあの世界の服を見せる。……さすがに下着は見せなかったが、あえて何も言われない。「王城の姫様でも、こんなブラウスはお持ちではないな」と苦笑しながら、ライトや、ペンケースを見ている。
「私は逮捕されますか?」
「あの世界風に言うなら、正当防衛だろう? それに、君のようなか弱い細腕に全滅させられたと知られては、あの冒険者たちの名誉にも関わろうよ」
「賢者様……賢者様もあの世界をご存知……なのですか?」
ずっと問いたかった事を訊いてみる。
賢者様は顔を上げ、ドロシーに微笑みかけた。
「向こうの暦で1960年代の、君と同じステイツのブルックリンで十年ほど暮らしていた……。いきなり迷い込んで、いきなり戻されたのは君と同じ……かな?
君はずいぶんと後の時代に迷い込んだようだね、羨ましい。これはタイプライターではないのだろう?」
「ええ……タイプライターの代わりにもなりますが、小型の電子計算機、コンピューターです」
「私の知ってるコンピューターは、棺桶くらいの大きさだよ……」
「あぁ……オープンリールの磁気テープが回っていたり、穴の空いた紙テープにデータを出力したり……昔のSF映画で見たことがあります」
「君がいた時代では、もう古典だな……」
「私にとっての
「なんと! もう宇宙旅行は実現したのかな?」
「昨年、ようやく大気圏飛行と、衛星軌道の宇宙ステーションに初めて一般の人が一度づつ訪れたようですけど……木星とかまでは、夢の夢です。2001年はとっくに過ぎたのに」
「キューブリック監督の映画か……懐かしいな」
夢見る少年のような顔で、賢者様が目を輝かせる。
ふと、あちらの世界に住むお義父様がこの世界に来たら、どう感じるのかと考えてしまう。
あれ程進んだ科学は無いが、この世界には魔法の力が満ちている。
賢者様は当然、それを使える存在なのだ。
「ドロシー……。君はこれからどうするね? このまま、この村で暮らすも良し。私とともに、知識の塔に参じて、得難い経験を活かすこともできる」
「賢者様の他に……あの世界から戻った方はいらっしゃるのですか?」
「私が知る限りでは、私と君の二人だけだ……残念ながら」
賢者様の目が、ドロシーが並べた機器から離れない。
ドロシーはタブレットの電源を入れて、ダウンロードしてあった映画を再生する。ドロシーからすれば旧い、賢者様からすれば未来に公開されたタイムトラベル物のSF映画の一作目だ。途中からの再生だが、ちょうどその時代が舞台となる。
「うんうん……この時代だよ。私が暮らしていたのは……。気持ちは嬉しいのだが、この世界に電源はない。貴重な電池をこんな事に使っては……」
「時間はかかりますが、これを開いて太陽光に当てておけば、タブレット使用分くらいなら充電できます」
「それは本当かね! 本当なら、これは奇跡と呼べるほど素晴らしいものだ……」
ソーラーチャージャーを見つめ、賢者様は涙ぐんですらいる。
ノートパソコンは無理にしても、タブレットやスマホなら、繋ぐネットがないくらいで、単体での動作は続けられるはずだ。
「私もいきなり戻されたこともあるが、手持ちの機器はすべて、電源を取れずに動作しなかった……。どれだけ悔やんだことか」
「わかります。私ももう既にテレビやバスタブが恋しいもの……」
「一度文明を容受してしまうとな……」
しばらくは互いに言葉を失う。
遠い世界に置いてきてしまったものを、思い出すかのように。
やがて、深いため息とともに賢者様が訊いた。
「ドロシー、君はこれからどうする? 出来ることなら、君を知識の塔に招きたいと思うのだが……」
「知識の塔? 賢者様の住まう魔法の研究所……ですか?」
「ああ……この世界の魔法を駆使して、何とか少しでもあの文明をこの世界に再現したいと思っている。できれば、君の知識と手を借りたい」
「でも、私は魔法は……」
「私が教えよう。この世界の者なら、素養があるに決まっている。……それとも、やはり家族と居たいかね?」
私は───どうなのだろう?
家族と暮らすのは心地良い。でも、それも後二年ほどだ。
結婚適齢期となれば、嫁がねばならない。理解はされないだろう村の男の子に。
そして、何もなかったように暮らし、あの世界は思い出の中に……。
それで良いのだろうか?
あちらの世界の私が、遠ざかってゆく。
「行きます。私を知識の塔へ連れて行ってください!」
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