異邦人

 九年ぶりに戻ったドロシーを、村の人達は驚き、そして笑顔で迎えてくれた。

 幸いなことに両親も健在で……兄はともかく、初めて会う妹と弟ができていた事に、大いに戸惑ってしまう。

 でも、それ以上に困惑してしまったのは、どこへ行っていたのか? を問われた時だ。

 正直に言えば言うほど絵空事のようになってしまい、理解してもらえやしない。


「家のお部屋に魔法の板があって、家にいながら演劇や、歌や踊りを見て楽しめるの」


 実際に見て触れてきたものを、どう説明すれば解ってもらえるのか?

 理解しやすいよう、科学を身近な魔法に置き換えて……。

 言葉を尽くすほど、村の人達は困惑するだけだった。

 それでも、頭から嘘だと否定するのは、ドロシーの不思議な服装からも無理がある。

 ブラウス一つ見ても、こんな艶のある真っ白な布など、お貴族様でも着ていないだろう。

 見たこともない服を着て、あまりに嘘っぽい世界の話を上品な言葉で繰り返す少女は、この世のものとは思えない。

 何か悪いものに憑かれているのではないか?

 引き攣った笑みを浮かべ、一人、また一人と話の輪から離れてゆく。

 最後に残ったのがドロシーの家族だけになって、ようやく家に帰ることができた。


「お帰り、ドロシー……。まずはその目立つ服を着替えちゃわないとね」


 母に誘われて、服を脱ぐ。

 ファスナーやボタンにいちいち驚かれ、珍妙な下着に困惑されて……。

 離れたところから、興味津々に妹(らしい)のチェリスが、不思議そうに見ているのが妙に可笑しい。

 自分より兄に似ている六歳の妹を、とことん可愛がってあげようと密かに誓った。


「いなくなった時には、今のチェリスよりも子供だったのに……こんなに娘らしくなっちゃって……」


 しげしげとドロシーの裸身を見つめて、溜息を吐く。

 十四歳。あの世界では飛び級してハイスクールに通っていた。

 五歳からの九年間……ドロシーの人生は、もう向こうでの生活の方が長くなっていた。


 母の着替えを借りて、お直しして強引にサイズを合わせる。

 ゴワゴワするし動きづらいけど、これがこちらの普通なんだからと諦めるしかない。

 これで、ちゃんと村娘に見えるはず。


「母さん、背負い袋を一つ私に頂戴。……向こうの世界の荷物を村の外に隠してあるの。誰にも見つからないように持ってきて、隠しておかないといけないから」


 家を出ようとすると、父と並んで鉄を鍛えていた兄のカインが振り向く。

 ドロシーの知る兄は、習い始めの下働きだったのに。

 もう身体も筋肉も大きくなって、その肌も炉の火に焼けている。


「急ぎの用事なら、俺も一緒に行こう。 もう日が落ちる。年頃の娘が出歩くには無用心だろう」

「そっか……私も年頃の娘だっけ」

「少し妙な感じになったとはいえ、母さん似の器量良しに変わりはないから」


 照れてソッポを向きながら、ぶっきらぼうに言う。

 見た目はともかく、お兄ちゃんはちっとも変わらない。

 なんだか、そんな事が嬉しくて堪らない。

 相変わらず無口な兄は、黙ってドロシーの背を守るように薄暮の道を着いて来てくれる。

 子供の頃のかくれんぼの定番だった、葉っぱが多くて見通しの悪い木の枝に、隠したバックパックがそのままあるのを見て安堵した。


「いったい、どんな動物の皮を使えば、そんな鮮やかな色になるんだ? 染めたにしたって、ムラもなく綺麗なものだ」

「これは油を煮詰めたりして作った偽物の皮よ。……私も職人じゃないから、詳しい作り方までは知らないけどね」

「そんな物を見せられると、お前の言ってたことを信じられる気持ちになるな……」

「じゃあ、これならもっと信じられる?」

「うわっ! 眩しい……何をした!」


 マグネシウムライトの眩い光を向けられ、カインが蹌踉めく。

 ドロシーは笑いながら、光を自分に向け、それを兄に手渡した。


「私が迷い込んだ世界の鍛冶工房が作ったランタンよ。 ……同じ用途のものでも、これだけ違うの」

「こんな小さなものがランタンなのか……。でも……確かにランタンだ。この眩しさ、それに、こんな一方向だけ照らせるなんて……この軽さも、どれだけ薄い鉄なんだ?」

「鉄よりも柔らかくて軽い、アルミニウムっていう金属よ」


 バックパックの金具に付けたキーホルダー型のLEDライトで、荷物の中身を確認する。

 銃とホルスター、予備弾丸と乾電池。……いつ元の世界に戻っても良いように入れて置いた物たち。

 分厚いプログラミング言語の解説本が数冊。小型のノートパソコン。スマホにペンケース、ノートが数冊。授業用のタブレット端末。乾電池式の充電器と、ソーラーチャージャー、予備バッテリー。食べかけのエムアンドエムズのチョコレートに、エナジーバー数本。ピーナッツ二袋。ニキビの薬。腕時計。

 ヘアブラシと、鏡、メイクセットにコロン。ハンカチ、ティッシュ、常備薬。

 財布にクレジットカードは……もう何の意味もない思い出の品。

 バックパックの中身は、そのままあった。


「本当に……お前は不思議な世界に行っていたんだな……」

「……やっと信じてくれたんだ」

「こんな妙ちきりんな物ばかりを見せられりゃあな。これ見せれば、もっと信じてもらい易かったろうに」

「あまり見せて良いものだとは思えないから……」


 バターピーナッツを一袋投げ渡す。

 いっぺんに数個頬張って、カインは目を見開いた。


「でも、お前が戻って来てくれて良かったよ」

「あら? そんなに妹思いだった?」

「違うっ! 母さんだよ。……お前がいなくなったのが、あの事件から暫くしてからだっただろう? だから母さんは時々『私の為に、ドロシーにバチが当たっちゃったんだ……』と泣いていたからな」

「あれは……多分関係ないよ」


 自分は五歳の時に人を殺している──。明確な殺意を持って。

 幼い自分を連れて、採取場にハーブを摘みに行った母に襲いかかり、強引に犯そうとした訓練帰りの兵士など、報いを受けて当然だろう。

 母を助けようと、必死に兵士の頭に石を叩きつけた幼い娘と、どちらを罰するべきかも解らぬ神なら一言文句を言ってやりたい。

 人である、兵士たちを束ねる隊長さんでさえ、母への謝罪と、ドロシーへの無罪を断じてくれたのだから。

 もっとも……それ故に、自分の心はどこか壊れてるのかも知れないとも思う。

 つい先程も冒険者崩れの三人を殺して、心が傷んでもいないのだから。

 自分に対する報いがあるとすれば……それだろう。


「それじゃあ、九年分母さんに甘えて償うわ」

「チェリスがヤキモチを焼くから、ほどほどにな……」


 ようやく、兄妹として笑い合う。

 あっという間に一袋を平らげ、物足りなそうにしている兄に、最後の一袋も投げ渡した。

 大好物だけに勿体ない気もするけど、まあ仕方がない。


「たしかに中身はドロシーなんだけど……なんか、お貴族様と話してるみたいで落ち着かねえよなぁ……」


 何気ないカインのぼやきが、チクンと胸に刺さった。


☆★☆


 それから二日くらいは、何の騒ぎもなく過ぎていった。

 相変わらずドロシーは遠巻きにされてるし、ブランクを埋めるべく教わっている糸紡ぎも、チェリス五歳児に間違いを指摘されるレベルだ。

 微妙な違いは、小出しにしたエムアンドエムズのチョコレートで、チェリスの餌付けに成功し、姉妹の絆を結べたこと。

 そして兄によれば、遠巻きにされてるとはいえ、同年代の男子には、別の意味で遠目に見られてるらしいということ。

 何でも、村一番の器量良しの座から、不動のアニスがころりと陥落し、私が一夜にしてトップに返り咲いたとか……。

 不思議な雰囲気も、お貴族様じみた仕草や言葉遣いも、思春期男子には憧れポイントでしかないらしい。

 家での様子とかいろいろ訊かれて、兄としては鼻高々だそうな。


 そして、その日。

 外に出る気にもならず、膝に載せたチェリスの口にチョコを入れてあげて「甘いねぇ……」と他愛無い交流に勤しんでいたところ、急に村が騒がしくなった。


「おい……お城の騎士団が、ドロシーを探しに来たぞ」


 そんな声が聞こえて、母に守られるようにして外に出る。

 十騎ほどの騎士団が、村の中央広場に整列していた。

 村中の視線がドロシーに向けられる中、一人の騎士が馬を降り歩み寄ってくる。そして、ドロシーの顔を見るなり、頬を緩めた。


「うん、すっかり美人になったが間違いなくあの時の娘だ……。ポリー、帰ってきて良かったな」


 母を労る言葉に、あの時の隊長さんであると思い出した。

 この人がいてくれるなら、悪い話にはならないだろうと安堵する。

 隊長さんの言葉を聞いて、騎士団に守られた中央から一騎の白馬が進み出た。白銀の騎士団の鎧ではなく、ゆったりとした紫のローブを纏ったお爺さん。


「賢者様じゃないのか……」


 村の人がざわつく。

 拙いドロシーの知識でも、普段はお城に隠っている偉い人という認識はある。

 その眼差しに敵意はない。

 慈しみと、何故か郷愁のようなものが感じられる。

 ドロシーを確かめるように見つめて、賢者様は確かに、こう言った。


「In what country did you live in what city?(君はどの国の、何と言う街で暮らしていたのかな?)」


 紛れもなく、ドロシーの聞き慣れた英語の問いかけだった!

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