帰還少女のコンセンサス

ミストーン

序章 二人の帰還者

帰ってきた少女

「あぁ……帰ってきちゃったのか……」


 いつの間にか、森の中の小道を歩いていた。

 ドロシーは確かに、街の書店でディープラーニングの資料本を探していたはずなのに。

 あちらに行った時もそうだったが、この世界に帰ってくる時も急すぎる。


「せめて予兆でもあってくれれば、いろいろ準備できたのに……」


 白いブラウスにグリーンのネクタイ。フランネルのジャンパースカートは灰色。

 深緑のハイソックスと、ナイキのハイカットスニーカー、黄色いバックパックという服装は、あちらでは馴染みの服装だけれど、この世界では異色すぎる。

 九年ぶりだから、もうとっくに死んだものとされているだろう。

 それでも、家族は喜んでくれるはず。

 いや、両親が健在かどうかも解りはしないか……。


「あっちに慣れちゃってたから、当分は辛いなぁ」


 毎日のようにバスタブに浸かる生活も、ドラマの続きを見られるテレビも無い。

 清潔に関する意識の違いは、考えたくもない。

 文明慣れしてしまったドロシーにとって、その想像は苦痛でしかなかった。


 意外に道は覚えているものだ。

 変わり映えしない森の道も、記憶の通りにたどれば、次第に木々が薄れてゆく。

 それだけ、生まれ育った村が近づいてきたということ。

 逸る心が不注意を生んだのだろう。

 不意に悪意が行く手を遮った。


「こんな町外れをひとり歩きしてるとは、ずいぶん変わったお嬢さんだな? 親や使用人とはぐれたのかな?」


 汗じみた革鎧を来た髭面の男。

 聖印をぶら下げたのやら、鎖帷子を着込んだのやら、似たような連中に囲まれた。


「お生憎様……私は貴族の令嬢でも、金持ちの娘でもなく、その先の村の鍛冶屋の娘よ?」

「どこの村娘が、そんな真っ白い綺麗な服を着てるってんだ?」


 ドッと笑いが起こる。

 ドロシーが彼らの立場なら、そう思うだろう。

 暮らしてきた世界では、金持ちの養女だったのは確か。でも、ここでは間違いなく、自分は鍛冶屋の娘でしかないのだ。

 たちの悪そうな冒険者たち。

 九年ぶりの故郷で、初めてあったのがこんな奴らか……。

 ドロシーは自分の運の無さを嘆きながら、念のためにジャンパースカートの腋から、太腿に手を突っ込む。

 アチラの世界では、使う必要に見舞われなかったものなのに……。


「ごめんなさい。早く家に帰って家族を安心させなければいけないの……では、急ぎますので」

「このまま行かせるわけがないだろう? そんな綺麗な服を着ているお嬢さんだ。さぞかし家は金を持ってるんだろうからなぁ……」

「金もいいが……まだガキとはいえ、充分楽しめそうな体つきしてるぜ」

「しばらく女旱おんなひでりだったから、例えガキでも……」


 下卑た笑いと無遠慮な視線がドロシーの身体を這い回る。

 鳥肌、鳥肌……絵に書いたような無頼漢。

 やはり必要になりそう。

 太腿に巻いたホルスターから取り出した、冷たい感触を掌中に収める。


「警告を致します。……もしも命が大事でしたら、私をこのまま行かせること。もしも、行く手を遮ることをすれば、私に危害を加える意思があると判断し、対処します」


 ドロシーの言葉に、返されたのは嘲笑だけだ。

 小柄で、まだ成人すらしていないドロシーは無力に見えるのだろう。

 革鎧の男が、ドロシーの二の腕を掴んだ。


「へっ……何を訳の分からねえこと言ってやがる。怖くて頭でもおかしくなったか?」


 それでも、ドロシーが平然と右手を向けると怪訝な顔でそれを見る。

 少女の小さな掌に収まる、メタリックピンクの角筒。


「……警告は、しましたからね?」


 パンッ。

 気の抜けるような軽い音がして、男が崩れ落ちた。

 眉間に空いた穴から滲む赤い血に、他の二人が目を剥いた。

 パンッパンッ!

 続け様に音が鳴り、他の二人も眉間に穴を開けて何が起きたか解らぬままに、魂を返していった。


「お義父さまが護身の為にと買って下さって、撃ち方を教えてくれた物が、こちらの世界で役に立つなんて……皮肉でですね。

 ありがとうございました……お義父さま」


 グロック社製の護身用自動拳銃。その用途ではポピュラーな銃とはいえ、手の小さいドロシーが使いやすいように、似合うようにと、いろいろカスタマイズしてくれたものだ。

 スナイパーのように遠距離から百発百中とは言わないが、手の中に隠れる分、充分過ぎる程の近距離から撃つことができる。

 だから、ドロシーの腕でも、まず外すことはない。

 血の繋がっていない自分への愛情と、おそらくはもう二度と会えないだろう慈しみを思うと胸が張り裂けそうになる。

 その小さな銃をもう一度抱きしめると、太腿のホルスターに戻した。


「お義父さま、さようなら……お世話になりました……」


 遠い空に向かってお辞儀をする。

 涙を拭って、ドロシーは家への道を歩き始めた。


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