第5話 図書館の女性

こんな夢を見た。

ここはある街の図書館。受付には二人の女性が座り、本の貸出業務を行なっています。

その隣には、さらに2つの席があり、受付業務(インタラクティブ、リアルタイム処理)以外のバッチ処理的な業務をしている。


この受付コーナー内の4人と、返却された書籍を元あった本棚に戻す作業をされる2~3人も、みなさん女性です。時折、受付コーナーに「イースター島のモアイ像」を彷彿とさせるお顔をされた、立っても背の高い・座っても座高の高い男性がお座りになっていることがあって、楽しい。


さて、ここで私が気づいたのは、一人の女性の背中です。

私の気を惹いたのはその姿勢でした。この図書館でこの職員の女性をはじめて見た時、彼女は数冊の本を抱えて書棚を回り、元の場所へ本を戻す作業をされていたのですが、歩くときも作業をするときも、背筋がまっすぐに伸びている。頭のてっぺんから、指先・つま先まで、全身これビシッと決まった、お茶の宗匠のような趣(存在感)がある姿なのです。


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私は京都大徳寺で雲水をしていた頃、毎年10月の開山忌に、本堂で行なわれる千家家元の宗匠による御点前を見てきました。表千家、裏千家、武者小路千家(官休庵)という各家元が毎年交替で、知事や市長、京セラの会長といった重鎮相手にその作法を披露する(茶を点てる)様子を、わずか数メートルの距離で本堂の外から見ていました。

つるっ禿げにボロボロの雲水衣(うんすいごろも)という私たちだけが、寺内見回りの名目で30分以上も見物できたのです。


私は大徳寺に4年間いたので4回拝見できたわけですが、座禅や公案修行よりも、いい修行・目の保養(良いものを見る)になった気がします。

本当の本物・プロフェッショナルである三千家家元直々のお点前を、じっくりと観察できたのですから、坊主というよりも、日本人として冥利冥加に尽きる、というものでしょう。


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夢の中ゆえ、直接尋ねることはできませんが、あの背筋の伸び様は尋常ではない。 昨日今日・1年や2年の鍛錬では、ああまで型にはまったような美しい姿勢にはならない。

恐らく茶道か華道というお稽古事か、剣道や太極拳というスポーツ(武道)、若しくは、トランペットのような楽器を(10年以上)嗜(たしな)んでこられたのではないか。

しかも、趣味で楽しむというよりも、鍛錬という厳しさを、私は彼女の背中に見たのです。


「まことに良い夢を見させてもらいました。」


大学日本拳法における「明治の木村」や「中央の横井」という、人を殴るのが強いばかりをして、存在感の大きい人間と呼ぶのではありません。

警視庁なんていう権威(殻)や、参段という肩書きなどなし、素顔で・素のままの心で誰とでも勝負できる(自由自在に楽しくコミュニケーションできる)人間。

肩書きなんかなくても、しっかりとした自分を把握しているから存在感がある。誰とでも飾らずに勝負ができる・話ができる。


大学日本拳法でいえば、立教のTさんやFさん、青学のOさん、Kさん、S君、日大のオカマちゃん(https://ameblo.jp/nichidaikenpo/image-12712074159-15036556402.html) → 素のままの心でなくてはできないお二人のゲイ(芸)です、等々。

みなさん、(20代とはいえ)その人間になりきった本物の人間に成長しつつある、各大学の至宝といえるでしょう。

素の心で勝負できる人間


  ボクシング少女も図書館の女性も、共に素顔で勝負できる人間です。服装や装飾品で飾り立てる、格好をつける(芝居染みたしぐさをする)なんてことをしなくても、素のままの目つき・顔つき・身なり・身振りで、十分にその存在感を発揮しています。


大道具(舞台装置のうち建物・書割(背景)・樹木・岩石など、芝居で登場人物が手にとることのない飾付け)・小道具(女が髪や身に付ける装飾品。櫛・笄(こうがい)の類)などない、パントマイムの趣です。


どういうことかといえば、彼女たちが役者だとすると、私は観客。しかし、(私一人の為に)演技をする(ように見えるが、実際には完全なる素の素振りの)彼女たちにセリフはない。少女はボクシングのトレーナーと話をするし、図書館員はお客さん(来館者)と本の貸し出し手続きで話をしている。


私と彼女たちの関係でいえば、そのあいだに会話のない無言劇。彼女たちの無言の表情・身振り手振り・仕草に、私というたった一人の観客は、彼女たちの「これぞ在来種・純粋日本人(女性)の姿です。」という無言のメッセージを受け取り、スッキリとした気分になれたのです。


まるで、芥川龍之介が汽車の中で一緒になり、終に一言も言葉を交わすことなく別れた一人の乗客である少女。彼女の全く飾り気のない姿(仮面をつけていない素顔)・なんの演技もない素の仕草によって、芥川の鬱勃とした心が救済され、魂のレベルでスッキリとした爽快感を与えられたように(「蜜柑」)。


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