第3話 大学日本拳法的なる真の人間

を見ることで、心が洗われる・スカッとする・魂が救われる。


  大学日本拳法とは、現実に真剣に思いっきり相手をぶん殴るスポーツ(武道)であり、警察や自衛隊で行なわれる、犯人をぶん殴る技術とか、敵国人を殺すための技術を学ぶ日本拳法とは違います。


道とは、宗教ではなく哲学のこと。

教室で思索、瞑想に耽る哲学ではなく、ぶん殴り合いという行動で哲学をするのが大学日本拳法(の道)なのです。


<ヒッチコック映画「海外特派員」(1940)>


  「今のような時代に、専門家を信用できますか ? 専門家だけが実権を握る時代は終わりました。いまこそ、アマチュアの時代です」

 → 評論家だの専門家に欺されるな、煽動されるな。


筒井康隆の「俗物図鑑」という小説も、本来、錯綜した情報の氾濫を交通整理するはずである専門家・評論家によって、逆に、社会が混乱させられている実態を(面白おかしく)描いた、楽しめて考えさせられる社会風刺の傑作といえるでしょう。


ヒッチコックや筒井康隆といった「人間として熟(こな)れている」本物の人間が、言論界・マスコミ・エンターテインメント世界から消え、韓流・偽物・人間擬(もど)きばかりが世に跋扈するとは、もはや、日本は水木しげるさんの描いた妖怪世界の有り様を呈しています。


かつて、「嘘ばかりの社会・偽物の権威や権力によって押し潰されそうになった自我」は、芥川龍之介の場合「蜜柑」、梶井基次郎は「檸檬」によって、(お二人自身は、その時)救済されました。


田宮虎彦「足摺岬」1949年(昭和24年)では、幕末維新の動乱時、凄まじい生き方をしてきた老遍路の「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方がなんぼよいことか」という言葉に「私」は救われました。


 (故高野悦子さん(「二十歳の原点」著者)の場合、蜜柑も檸檬も見つからず、京都という殻の固い、よそよそしい土地・仮面ばかりの社会で、最後まで仮面をつけない真の自分を貫きました。)


そんな韓流妖怪ばかりの昨今、夢の中ではありますが、、本当の本物、不変・普遍の価値を持つ「金剛のように極めて堅固でどんなものにも壊されない」存在感を放つ、在来種・純粋日本人(=大学日本拳法人)を見ることで、魂が救われたのです。



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