第2話 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」

(米映画「ブレード・ランナー」の原作小説の題名)


アンドロイドも電気羊も同じ人工物です。

人間によって作られた偽物の人間は、夢を見るのか。

見るとしたら、その夢とは、その偽物を作った人間の夢なのか、それとも、偽物の人間(アンドロイド)自体が、自分で夢を見ることができるのか。


これはSFの世界のことではありません。

いま現在の人間の話なのです。

現代の人間とは、様々なマスメディアによって知識や情報を詰め込まれたアンドロイドにすぎないと、かのSF作家はいうのです。本当に人間として考え、行動し、人生を生きている人間などいない、と。


今や巷では「AI」「AI」と大騒ぎしていますが、問題はAIではなく、人間の方にある。

むしろ、生身の人間自身がAI化しているのが現実ではないだろうか。

人間本来に備わる心・感情・知性を放棄し、政府から強制的に提供される教科書、プロパガンダ(宣伝)・法律・制度、マスコミによる洗脳によって、本来の人間ではなく人工人間(アンドロイド)にさせられている私たち。

もはや、本当に自分の頭で考え・感じ、行動するという真の人間は消え、AIほど完璧な知能を持たない「出来損ないのAI」になりつつある。


そんな人間でもない・AIでもない不完全なアンドロイドは、コンピューターや機械という「純正AI」にこき使われ、細々(こまごま)した部屋の掃除・水や油で機械が侵されるドブ掃除・放射線でコンピューターが誤動作するような原子炉での作業といった、AIの嫌がる作業をやらされるようになる。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を原作にした映画「ブレード・ランナー」(1982年)では、人間の嫌がる仕事を「レプリカント」と呼ばれるアンドロイドが行なうということになっていますが、作者の意図はその逆(レプリカントに生身の人間がこき使われる未来)にあったのではないか。


(ロスチャイルドやロックフェラーといった超大金持ち・上級国民たち『ヨーロッパの300家族、アメリカの200家族、日本の閨閥:広瀬隆著』が、その時、どういう位置にいるのかはわかりません。)


人間(一般大衆)がAIを使うのではなく、その逆になるという流れに私たちは乗せられていて、これはどう抗うこともできないのかもしれません。


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となると、一人一人が自分で、自分の生身の人間としての運命を切り拓いていく、という生身の人間にしかできない道くらいしか「希望」はないのかもしれません。

外へ向かって、警察や軍隊、政府や国際資本家と戦うよりも、自分自身の中に向かって闘う。自分の内に存在する運命との闘いに専念することで、本当に自分らしく生き、運命という輪廻の中で再生の道を見い出すことができるのではないか。

一般の人間がAI化される流れは止めようがないのだから、それを推進する政府・警察・医療業界やマスコミという狂気には逆らわず、自分自身の内に闘争することで、この擬似的な運命の流れから脱しようというのです。


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話はずいぶん大仰になりましたが、生身の人間で生き続けたいと願う私たちは、できるだけ人間らしい人間と接することが大切である、ということなのです。


「人間らしい人間」とは、はたから見て「人間やってるなぁ-」と感心できる人。私がそう思う人間を、最近、何人か夢で見た、ということなのです。

彼らの何が・どう人間らしいのか。彼らのような人間を見ることでなぜ、私たちの人間性が自覚できるのか。

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