閑話・はぐれ者

「嬉しそうですね」


 無機質な構成材の部屋の中央。老婆がロッキングチェアを機嫌よさげに揺らしている。

 地面にまで垂れ下がる毛布を膝に掛けているせいで、腰元から下は見えない。

 とてもこの場には不似合いな格好の老婆へ白衣の女性が微笑みかけた。日光も届かず、人が暮らすには適していない場所でありながら、彼女の肌は健康極まる乳白色だった。


「そう、見えるかい?」

「ええ、とても」


 白衣の女性が後ろで結んだ亜麻色の髪を揺らし、深く頷いた。

 揺れる髪も同じく不自然な艶を保っている。

 年のせいでもあるが、老婆のしわくちゃな肌と色素の抜けきった髪と対照的だ。


「もう少し話すものだと思ってました」

「そういうわけにはいかないよ。もうあたしゃ部外者みたいなものさね」

「……その部外者が彼らに関わるためにここに居るのですから、多少の褒美があってもいいと思いますよ?」

「そんなに甘やかされちゃ調子に乗っちゃうよ、ヒッヒッヒ!」


 老婆が声高らかに笑う。

 それにつられた女性も口に手を当てて、くすくすと笑った。


「それに」

「はい?」

「あたしがここに居られるのも、あんたらのおかげさね。甘やかされるわけにゃあいかないよ」

「それは否定しませんけど」

「だろう?」

「自慢げに言うことじゃないですよ……」


 してやったりと老婆の口が弧を描く。

 別に威張れるわけでもない場面で威張る老婆に女性は苦笑する。


「でも、それを言えば、私──私達だって同じですよ?」

「おや。そうなのかい?」

「はい。貴方の、お姉さんに」

「血は繋がってないよ」

「知ってます。でも、お互いがお互いを姉妹だと思っているのでしたら……関係ないと思いますよ?」

「そいつぁ屁理屈じゃないのかい?」


 弧を描いていた老婆の口が歪むのに対し、女性は微笑みを絶やさない。むしろその笑みは深みが増していた。


「だって、私も彼も──ちゃんとした血はもうありませんから」


 女性は誇らしげに言った。

 彼女の発言は只人には理解しがたいものだ。

 だが、老婆に彼女の意は正しく伝わっている。


「……そうだったねぇ」


 故に、老婆はそれ以上言葉を返さなかった。

 老婆は生まれた姿から既に逸脱している。原型さえ留めていないと言っていい。


 そして、それは彼らも同様だ。

 はみ出し者とは少し違うが、群れから離れてしまった──もう元には戻れない者たち。


 だからこそ、老婆は二人を信頼していた。


「そろそろ彼も戻ってくるか。次は……源の調達かねぇ」

「あれですか……やはり迷宮内部の方が手に入りやすいでしょうけど……」

「丁度いいじゃないか。アンタたちで採ってきておくれよ。どうせも要るんだろ?」

「鱗は保険です。万が一は彼に呼び出してもらうので」

「契約者ってのはずるだねぇ」

「……試練、受けてみます?」

「ヒヒ、死ぬのはごめんだよ」


 始めて女性が不満げに口元を歪める。

 そして、僅かに頬を膨らませながら言った言葉に、老婆がしわくちゃの手をひらひらさせて流した。


「……取りに行くなら下層になるでしょうけど、やっぱり表から行った方がいいですか?」

「下層なんぞ他の探索者に出くわさないと思うけどねぇ。まぁ、時間はあるさね。アンタたちに任せるよ」

「と言われましても……」


 女性が眉をひそめる。

 そこへ、部屋の扉が開いて黒ずくめの騎士が戻って来た。


「あ、おかえりなさい!」

「ただいま」


 ラグロス達と話していた時より、幾分か柔らかな声で黒騎士が答える。

 こちらが彼の素のようだ。


「アンタたちから見てどうだい? あの子たちは」

「ああ──決して、弱くはない。心もとないのも事実だが」


 再び硬く低い声に戻した黒騎士が曖昧に頷く。

 少なくとも黒騎士は状態でやり合いたいとは思わない程度に彼らを評価していた。


「ヒッヒッヒ! そうかい。そいつは良いことだよ」

「ラグロス君達のために源を用意しないといけないの。戻って来たところで悪いけど手伝って貰ってもいい?」

「勿論。……けど、探索者として潜るのか? 二重登録は……」

「良いの! もし他の探索者と会った時のためにもそれっぽい証明書は欲しいからっ。善は急げっ。早く行きましょっ!」

「……はぁ、分かった。じゃあ、終わったらまた戻ります」

「了解だよ、時間はある。ゆっくりでいいさね」


 女性は跳ねるような足取りで黒騎士の横に並び、二人は部屋を出る。

 仲睦まじい二人を見送り、老婆は破願した。


「……ヒヒ。ちょいと申し訳ないねぇ」


 先程までの狡猾さを感じさせる笑みとは違い、後ろ暗さの見える表情を浮かべた。


 それは、老婆の壮大な自分勝手に巻き込んだ罪悪感だ。


 人前では全く気にしてないように振る舞うも、一人では何度もこの表情を晒していた。

 そこには老婆の良心が垣間見える。


 老婆が少女であった頃から、人の心を知った時から変わっていない。

 だが、それを知っていた者はもう居ない。


 仮に老婆に対して褒美があるとするのなら、先程の邂逅で彼女は満足だと思っていた。


 だからこそ、彼女の思う老婆らしく己の仕事を全うするため、次の準備に取り掛かった。


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