胎動

 それから二人と一匹はあっさりとシーフィルに戻された。


(なんだったんだあいつら)


 ラグロスは喋らなくなったセレンを後ろに引き連れ、ぼんやり考える。

 ただならぬ気配と見慣れぬ術。

 一応既存の概念らしいが、シーフィルでは見たことがない技術。


 世界にはああいった者もいるのだと素直な関心を持っていた。

 だが、それ以上を考える余裕はなく──


「おー! ニンゲンがいっぱいいるぞ!」

「食うなよ?」

「くわねぇ! ばーさんにもいわれてるからな!」

「あっそ」


 ラグロスの思考リソースはこちらにさかれていた。

 シーフィルの大通りを行き来する人々に目を輝かせる人魂こと悪魔の卵。

 結局名前も教えてもらえず送り返された。


『そいつは人の魔力を食う生き物さね。大気にあるものでもいけるけど……多分こいつは満足しないだろうねぇ』


 白ローブに身を包んだ老婆の言葉。

 加えて、


『あと、その子の姿はあんたら以外には見えないから気を付けなよ?』


 とのことだったので、ラグロスが悪魔に話しかける時は小声だ。

 大通りの喧騒と、後ろにセレンを引き連れていることもあって怪しまれることはない。


「で、セレン。いつまで黙ってんだ。何かあったのか?」

「……そうね。……少し」

「その顔はどうみても少しじゃねぇだろ」


 ネガティブな感情はセレンの顔から見られない。

 彼女の胸の内を占めているのは圧倒的な驚愕だった。


 同時に不可解さもあった。

 しかし、それをラグロスに話すことは出来ない。


「時が来たら、話すわ。私もよく分かっていないけれど」

「そうかい。──んじゃ、この話は終わりだ。今日はどうするよ?」


 顔を俯けて歩くセレンに尋ねかけた後、ラグロスは再び悪魔へ視線を向ける。

 姿が見えないのをいいことに、店の品物を物色したり、通りゆく人々を観察したりと好き放題している。

 あまり余計なことをしてほしくはないが、ラグロスが声を出すわけにも行かない。


(賑わったけど、俺以外人じゃないのは意味わからん)


 亜人なら露知らず、おとぎ話の存在がこれ以上身近に増えると思っていなかったラグロスが苦笑いを浮かべる。

 子供となんら変わりない奴が何をしでかすか不安で、彼は悪魔から目を離さぬよう足を速めた。



 *


 神の修練場、中層。

 水龍の渓谷を超えた先の転移装置へと跳び、二人と一匹は新たな場所へと足を踏み入れる。


「……」


 彼らの前に広がるのはインディゴブルーと呼ばれる廃墟群。

 かつては誰かが暮らしていたのか、家と思われる建造物の残骸が立ち並んでいる。

 しかし、その廃墟群がある場所は窪地で、一日おきに降り注ぐ雨が溜まって水に浸されている。


 そうして出来た池の中では小型の水生生物が泳いでいる。

 集落でもあったのかはともかく、もうそれらの見る影はない。


「どうしたの? 突っ立ってないで早く行くわよ?」

「ラグー! うごかない!」


 窪地の手前、坂の上でインディゴブルーを見下ろすラグロスはどこに焦点を当てているのか分からない目で上を見上げている。


 詳しく言えば、この窪地を超えた先にある山へ。


「……いや、ちょっとな」


 そう言って目の焦点を廃墟群に戻した。

 妙な動きにセレンが眉を僅かに持ち上げるが、口には出さなかった。


(もう、か)


 ラグロスにとって、ここは懐かしさを感じない程に知っている場所だ。

 つまり、風の踊り子所属の時に攻略していた場所である。


 正確にはここの奥部までを踏破していたが、些事さじに過ぎない。

 いくら最短距離で突っ走ってきたとはいえ、もう追い付いてしまったことに彼は複雑な思いを抱いていた。


「ここは迷宮生物も少ない。とっとと通り抜けるぞ」

「ええ」

「えー! こいつらおもしろそーだぜ?」


 悪魔がふよふよと宙に漂いながら池の中の魚たちを眺めている。

 見た目こそ人魂だが、完全に子供の振る舞いだった。


「貴方に構ってる暇はないの」

「ぶーぶー」

「ちょっとだけゆっくり歩くぐらいだな。それ以上は諦めろ」

「おー! さすがラグ―だ! セレーとはちがうな!」

「──ねぇ、こいつ消し飛ばしてもいい?」

「……抑えろ」


 セレンが額に青筋を浮かべる。

 人間よりも長生きしてるのだからもう少し余裕のある振る舞いをしてほしいと思ったが、ラグロスがそれを言うことはなかった。


 言ったところでもっと面倒になるのは目に見えていた。


 あまり濡れると服が重くなるので、二人はなるべく水深の浅い場所を歩く。

 足を動かすたび、水の波紋が広がる。

 

 窪地は円状なので、まっすぐ歩くだけなら抜けるのにさほど時間はかからない。


 迷宮生物もここは一種しか居らず、その一種も遭遇頻度は低いので比較的安心して探索ないし通過できる場所だ。


「なぁ」

「何?」

「ここ、昔からあるのか? なんとなく作られたようには見えねぇけど」


 神の修練場が誰かの手によって作られたことをセレンから聞いていた。

 しかし、このいかにも人の手が入ったものが朽ち果てている。


 その状況はかなりの年月を感じさせる。

 だが、神の修練場が発見されて十年も経っていない。


 短期間でここまで朽ち果てるのも理解できない上、生活感もあるのだ。


 家の残骸の中には、テーブルや壊れた茶器らしきものも見られる。

 まるで誰かが暮らしていたような空間。

 違和感も感じる。


「私が知る訳ないでしょう?」

「……まぁ、そうだよな」

「でも」

「……?」


 セレンがすぐ横の廃墟に目を向けた。


「仮に誰かがここで暮らしていたのなら、それは千年前の人間達でしょうね」

「そんな昔の奴らが?」

「千年前、天使と悪魔が戦争を起こした。人間たちはそれに巻き込まれた」

「……」


 初めて聞く話にラグロスが言葉を失う。


 彼の知る伝説の中で偉大なる四龍と呼ばれるものがある。

 それは人間が今に至る文明を起こす起源であり、当時の文献などから五百年前程の話だったとも言われている。


 つまり、一度人間は大半が滅んだのだ。

 天使と悪魔とやらのせいで。


「天使は数に勝り、悪魔は質に勝る。だけど、質にそれほど大きな差はなかった」

「どっちも強いんだな」

「当たり前よ……だから悪魔は魔物。ここで言う迷宮生物を生み出して戦力にしたの」

「昔の人間ってのはどれくらい強いんだ? こんなもん建てれるなら……」


 セレンは首を横に振った。


「私はよく知らない。その時は生まれてなかったもの。分かるのは当時の人間に魔力は使えなかった。無秩序に襲い掛かる魔物に蹂躙されていたでしょうね」

「……」

「その魔物達から隠れるためにここに住んでいた。なんて話もあったかもしれない」

「そうかい」


 水飛沫があがる。

 水面が揺れる。

 彼らの足の動きで揺れていた以上の波紋が二人の元に押し寄せる。


 何か大きなものが着水した合図だった。


「……来たか」

「迷宮生物?」

「ああ。……こいつは俺一人でやる」

「そう? 構わないけれど」


 セレンの承諾を得て、ラグロスは駆け足で廃墟群の奥へと走る。

 相手が誰か察しはついていた。

 そして、その巨体もすぐに見えた。


「タイタン……あぁ、良いじゃねぇか」


 五メートル強の体格。

 口端を吊り上げ、わらう。

 パワーこそ自信のあるラグロスでも、仲間の手を借りなければ倒せない相手。


 踊り子を離れる前、同じように手を借りて倒したのは今でも覚えている。


(いい加減、踏み台にしてやるよ)


 大剣を引き抜き、構える。

 ラグロスの姿に気付いたタイタンは雄たけびを上げて棍棒を振り上げた。


 ビリビリと痺れるような音の振動が駆け抜ける。しかし、足を止めているわけには行かない。リーチが負けている以上、遠くにいるのはリスクにしかならない。


 純粋なリーチ差を覆すため、ラグロスは意を決して前進する。


「“チャージ”!!」


 起動キーとなる言葉を唱え、肉体を強化する。

 同時に感じる押さえつけられるような確かな重み。四肢を思うように動かせない大きな枷。


 未だに魔力の動きとやらは理解できない。

 この身動きのとりにくい状態が、魔力が発する圧力。魔圧とやらのせいなのは分かっていても理解は出来ていない。


 だが、経験はある。

 強制的に動かされた確かな経験が。


(こん──っ、な感じか!)


 脈打つ血流をイメージしながら、感覚だけで魔力を動かそうと試みる。

 すでに唱えているおかげで魔力は嫌でも動いている。


(──捉えたッ!!)


 体の中で蠢く魔力。その端を捉えた。

 それを説明するにはラグロスの語彙力では足りなかった。


 それでも口にするとすれば、


「筋肉みたいなもんか!」


 自分の動きが主にどのような筋肉を主体として動いているかを正確に理解するのと似ていた。

 ラグロスは地に足をつけて立っている。当然足の筋肉は使っている。


 だが、それ以外にも腰を支える尻と腹。鉄塊大剣を支える背筋から腕。

 それらがどのように動いているかを把握できているか否かで、動きの力強さは変わる。


 直感的でも出来るだろう。だが、それは無意識に一部の筋肉だけ使うような偏った使い方をしていることにも気付けない。

 探索者がスキルを使うときにそれが魔力だと気付けないように。


 イメージが固まれば動かし方もおのずと理解できる。体を支える四肢すべてを意識し、それらに魔力を行き渡すようイメージする。

 無意識よりも意識出来る方がより動かせるのはまさしく筋肉と同じだった。


 体の中に魔力が行き渡り、強化された肉体が僅かに膨張する。

 しかし、体は軽い。感覚を掴んだラグロスは己の動きを制限する魔圧の相殺に成功していた。


 彼が魔力を動かしている間にもタイタンは迫り、振り上げた棍棒が下ろされる。


「シッ!」


 全力で前へ駆ける。

 増強した機動力のままタイタンの股下を潜り抜ける。

 右足が着水したと思えば左足が波紋を起こしている。

 まるで水から縄が引き上げられたように、線状の水飛沫がタイタンの顔へとかかる。


「……アアァ?」


 その一瞬の飛沫に気を取られ、タイタンが標的を見失い困惑の声を上げた。


「こっち……だよッ!!」


 背後に回ったラグロスが跳躍。

 大剣を振りかざし、タイタンの脳天へ鉄の塊を叩きつけた。

 

 一瞬の攻防。攻撃力の高い両者の戦いは先に攻撃を当てた方に軍配が上がる。


 故に、肉がひしゃげる音と共に、タイタンが一瞬の悲鳴を漏らして地面へ倒れる。

 巨体が池へと沈み、水柱が立った。


 噴水のように上った水柱が飛沫となってラグロスに降りそそぐ。

 まるで、彼の成長を祝うかのように。


(出来た……)


「出来た……っ」


 思わず声が零れた。

 無意識に口を開いてしまうほど、確かな感覚だった。


 まだ魔力の操作という意味では目標からほど遠い。

 あくまで短時間だけ機動戦も出来るようになったというだけのこと。

 だが、溜めた力を当てることすら困っていたラグロスにとってすれば──。


 待ち望んだ──彼の新たな力だった。


「……出来たじゃないの」

「……ああ」


 セレンがタイタンの消滅した場所で微笑んでいた。

 多くは語らなかったが、彼女なりに祝福してくれたことは見て取れた。


「遅くなったけどよ……俺も、自信をもってお前に付いていけるよ」

「ええ。そうなって貰わないと私も困るもの」

「違いねぇわ」

「ラグー、速かった!」

「へへ、だろー?」


 人魂がラグロスの周囲を興奮気味に飛び回る。

 自分のことのように喜び、祝ってくれる。宿で馴染みの探索者なんかがラグロスに投げかけてくれる祝いの言葉と似ていた。

 だが、正面から受け止めるのが出来なくて、どこか後ろめたく思っていた。

 あくまで自分の成長とは思えなかったからだ。


 そんな称賛も今なら素直に喜べる。

 だから、彼は久しぶりにそれを正面から受け止め、笑った。


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