尋ね人
翌日。
無事に次の転移装置へとたどり着き、次の開始地点を更新した二人。
中層の山場を突破したこと、その次の攻略場所は雨の方が都合が良いこと、この二点のために今日は休息日としていた。
セレンと共に探索するようになってから初めての休息。
始めこそ様々な驚きや興奮で疲れを忘れて活動していたものの、やはり疲れは溜まっていたらしい。
彼が目覚めたのは太陽が頂点へ昇る頃だった。
「…………昼か」
ゆっくりと目を開け、窓から聞こえる僅かな喧騒と日の差し込み具合から時刻を判断したラグロスが呟く。
ベッドを軋ませ勢いよく立ち上がる。それから縮こまった体をうんと伸ばした。
ここ最近はセレンに起こされることも多かったため、満足いくまで眠り続けるのは久しぶりだった。
まだ完全には開いていない視界のままゆらゆらと歩き、洗面所へと歩く。
水魔石を取り付けた蛇口をひねり、ばしゃばしゃ顔を叩いて目を覚ました。
「うし」
冴えた視界。目覚め切った頭。それらに満足してから階段を降りた。
「──れ?」
「──が──」
そして耳にする話し声。
首を傾げつつ階段を駆け下りると、玄関前に見慣れた白ローブの少女と黒の全身鎧に身を包んだ誰かを見つけた。
「ラグロス、ようやく起きたのね」
「……君がラグロスか」
兜の奥からくぐもった声が聞こえた。
十分に低い声からしてどうやら男のようだ。
「んー……どういう話なんだ?」
「この人から聞いた方が早いわ」
そういってセレンが一歩下がる。
「んんっ。お初にお目にかかるラグロス君。単刀直入に言えば君達二人に合って欲しい人が居るんだ」
「……はぁ。……とりあえず名前は?」
「……黒騎士。そう呼んでくれ」
名前を言う気はないらしい。
信頼できないとラグロスが眉をひそめた。
「セレンの勧誘か何かか?」
「違うわ」
「えっ?」
否定したのは黒騎士ではなくセレン本人。
意外な人物の否定にラグロスが呆けた声を出す。
「そいつは、多分この辺りの人間じゃない。……いえ、人間かどうかも微妙ね」
「……良い感だ。が、私が誰であるかはさして重要じゃない。それに──」
「──っ!?」
「…………」
突如黒騎士から発せられた威圧感。全身が凶器のような刺々しい殺気も含まれていた。
迷宮生物、それこそ門番のような相手であれば理解できるあまりにも強い重圧だ。それを目の前の人間が発している。
まるで首筋に刃を添えられたかのような詰みの状況。
セレンも黒騎士の威圧感に思わず口をつぐんだ。
「──君たち程度なら私一人で拉致できる」
「……みたいだな」
「心配するな、悪いようにはしない。これは君たちのためでもある」
「どうする?」
どちらにせよラグロスだけでは答えが出せなかった。
助けを求め、神妙な顔つきのセレンに振り返る。
「……行くしかないわね」
「賢明な判断に感謝する」
「……脅されたってほうが正しいけどな」
「──それに関しては諦めてもらいたい。好きでやっているわけではないんだ」
苦笑交じりの黒騎士の声。
その声から目の前の人物が決して悪い者ではなさそうだとラグロスが直感する。
根拠を聞かれたら肩を竦めるしか出来ないのだが。
「そうかい。で、どこへ行くんだ?」
「……すぐに分かる」
黒騎士が手を挙げる。
何かのハンドサインのようだ。
その瞬間、黒騎士の足元を中心に円形の紋様が浮かび上がった。
それと同じものは見たことがないものの、複雑怪奇な印はラグロスにも見覚えがある。
「……ルーン?」
「いえ、魔術よ。これは……転移?」
「ご明察。──さぁ、跳ぶぞ」
紋様の入った印が光り輝き、その光が一層増したと思った瞬間。
三人はその場から姿を消した。
*
「ここは……?」
眩い光に目を閉じ、再び開くともう周囲の光景が知らないものに変わっていた。
まさに瞬く間に起きた出来事。
跳んだ先は一言で表すと無機質な部屋だった。
ラグロスが見たことのない鉛色の構成材で作られた部屋。
疑いたくなるほど平らで、画一的で、塵一つない綺麗な床。
宿の一人部屋程度の広さはあるが、家具は一つもないので余計に広く感じる。
唯一あるのは出口らしき銀縁に囲われた扉だ。
困惑するラグロスは先にセレンの姿を探す。
遮蔽物のない場所もあって、白ローブを羽織った少女はすぐに見つけられた。
「……セレン、無事か?」
「──ええ、問題ないわ。捕まったみたいで少し腹が立つけれど」
「あの黒騎士とやらもどっか行ったしな……」
二人を連れてきた黒騎士の姿はここにない。
もう部屋から出ていったのか、彼はここに来なかったのかは不明だ。
「とにかく出ましょう」
「迂闊に動くのは危なくないか?」
「知っている場所じゃないけれど、ここがどこかの当てはあるの」
「え、どこなんだここ?」
「……それを確かめに行くの。さ、行くわよ」
ラグロスに応えを教えることなく、セレンが歩き出す。
取っ手もなく、中央に割れ目らしき縦線が入った扉の前に立ち止まる。
「──すげぇ」
彼女が近づいたのを認識したかのように、扉が勝手に開いた。
人智を超えた現象にラグロスが口をぽかんと開ける。
「旧文明のものね」
「旧文明?」
「貴方達の祖先みたいなものよ」
「……俺達の祖先すげぇな」
「言っておくけれど、貴方達人間が熱心に攻略してるあの迷宮も旧文明のものよ?」
「………………まじ?」
研究者が目を剥きそうな答えがあっさりと飛び出た。
あまりにもさりげなく言われたものだから、その事実の理解に思わず黙り込み、真顔になったラグロスが是非を問う。
しかし、少女はローブを翻して答えもせず進むだけだった。
「おいって」
「それ以上は私の口から話すことはないわ」
「……そうかよ」
恐らく本当のことなのだろうとラグロスが納得を深める。
セレンが妙に詳しいのも彼女がここにいる理由なのかもしれないと密かに感じていた。
(……信じらんねぇけど、俺には関係ねぇか)
どこぞの専門家が聞けば目を輝かせる話なのだろうが、ラグロスは一介の探索者にすぎない。
考えたところで有益な答えは出ない。深くは考えずとっとと彼女の後を追った。
部屋を出ると、廊下らしき場所に出た。
ただし、その廊下も無機質な構成材で出来ていて、温かみはない。
どこかの研究施設のようにも見える。
白衣を着た人たちがここを行き来していても違和感を感じない。
そうラグロスが思った矢先だった。
「いらっしゃい。いきなりごめんね?」
声の方へ顔を向けると、まさしく白衣を身に着けた女性が立っていた。
亜麻色の髪を後ろに束ねた彼女は申し訳なさそうに眉を下げている。
「アンタは……?」
「私は…………」
「……?」
言い淀む女性。名前を言うだけなのにためらうことがあるのだろうか。
ごく自然な疑問にラグロスとセレンがそろって首を傾げた。
「……氷。そう呼んで」
「……それ、本名か?」
「ごめんね、本名はちょっと話せなくて」
「いや、事情があるならいいけどよ。ここに連れて来た理由は聞かせてもらいてぇな」
眉を八の字にして、申し訳なさそうに女性が目を伏せる。
悪意がある訳ではないと判断したラグロスは話を進めることにする。
「黒騎士から聞いてると思うけど、会って欲しい人がいるの。付いてきて」
「……はぁ」
「何してるの、行くわよ」
そういうや否や白衣を翻して、女性が奥へと進んでいく。
状況が理解できないラグロスが歩く度に左右に揺れる亜麻色の髪をぼんやりと見つめていると、後ろから勢いよく叩かれた。
「わ、わーってるよ」
「さっきの騎士もそうだけど、あの女も人間じゃないわよ」
「……人間にしか見えねぇけど」
「……ベースは人間かもね」
「俺にゃ分かんねぇよ」
セレンがラグロスの耳に小声で言った。
彼は自分の目が信じられないと、なげやりに天を仰いだ。
しかし彼の視界に空は見えず、無機質な鉛色の天井しか映らなかった。
*
それからいくつかの扉を通り過ぎ、ある扉の前で白衣の女性が立ち止まった。
「ここよ」
「誰が居るんだ?」
「うーん、入ってからのお楽しみ、かな?」
唇に手をあてて考え込んだ女性は淡く微笑んで誤魔化す。
とにかく会ってくれと言外に言われ、大人しく二人は自動で開いた扉をくぐった。
中は相も変わらず無機質な部屋。
魔石灯は違う、温かみのない光に照らされた部屋の中央。
近未来的な部屋の雰囲気に似合わない木製のロッキングチェアがぽつんと佇み。
そこにはローブを着込んだ老婆が腰かけていた。
「こいつ……!」
「──ぇ」
セレンと同じ純白のローブを見たラグロスが咄嗟に身構える。
あれを身に着けているのはセレンを追いかけている者達の仲間という認識があったからだ。
そんな彼の傍らで、セレンが小さく息を呑んでいた。
「ヒヒヒ、そう硬くならんでいいさね」
「……そいつは難しいな」
セレンと違い、しわがれた声で笑う老婆はローブについているフードを被っていない。
色素の抜けた白髪としわしわの顔。まさしく老婆と言える容貌だった。
だが、彼女の中で唯一。セレンと同じ金の瞳だけは生気に満たされて爛々と輝いている。
「あんたとは話しても仕方ないだろうけど……セレン。あんたなら分かるだろう?」
「……どうして?」
セレンが瞳と声を震わせ、老婆に尋ねかける。
信じられないと言わんばかりの動揺を見せていた。
「……」
事態を理解できないラグロスは二人の間でただ視線を彷徨わせることしか出来ない。
分かるのはセレンの方がある程度状況を知っているということ。
なら、自分が出来ることは何もないと沈黙を選んだ。
「ヘッヘッヘ、とりあえず会えたのは僥倖だね。幸先が良いこった」
「答えて。どうして貴方みたいな……」
「さぁねぇ? 自分の頭で考えな。あたしの用はここで無駄話することじゃないさね」
「用って?」
ラグロスが尋ねた。
黙っているつもりだったが、思いのほかセレンの動揺が大きく、話が進まないと判断したためだ。
「あんた達がここに来た。半分は終わったよ。もう半分は……出てきな」
「よんだかっ!?」
老婆の中から黒い炎のような何かが飛び出した。
人魂を思い浮かばせる外見だ。
その人魂らしき何かは子供のような甲高い声を上げて二人の間にふよふよと漂う。
「だ、誰だ?」
「こいつは悪魔さね」
「はぁ!? 敵じゃないか!」
セレンを追いかけていたのも姿形こそ見えないがそうと思われる存在。
思っていたものと違っていたが、まぎれもなく敵対生物だ。
「心配はいらないよ。こいつは卵、悪魔が何たるかも理解していない無垢な子供さ。生まれて数十年しか経ってない」
「お、おう?」
「ヒヒヒ」
数十年。人間からすれば立派に成人どころか中年にさしかかりかねない年月だ。
困惑しつつ、ラグロスは曖昧に頷く。
その様を見て、老婆は薄く笑う。
「で、これをどうしろって?」
「連れて行ってもらうのさ。なぁに、心配はいらないよ。勝手についてくるからね」
「ついてくぞー!」
「おわっ!?」
ふよふよと宙に浮く人魂が声を上げてラグロスの周囲を旋回する。
触れれば何かが取られそうなそれが近づき、彼は大きく仰け反った。
「ヒッヒッヒ、ガキだねぇ」
「ガキじゃねぇよ。酒も飲めらぁ」
「肉体はそうだろうよ。だが、精神が立派に子供だね」
「こどもだー!」
「こいつっ!」
老婆の声を繰り返す人魂に苛立ちを覚え、つい手を伸ばす。
しかし、人魂に伸ばした手はそれをすり抜けてしまった。
「触れない……?」
「バーカ、バーカ!」
「こんのっ!」
「馬鹿なことするんじゃないよ。悪魔も天使もあんたみたいな人間とは違う次元で生きてるんだ。魔力もなしに触れないさ」
そう窘める老婆は妙に優しい笑みを浮かべていた。
それは安堵にも似たものだった。
「そう、なのか」
「そうなのかー!」
「っち」
「……つまんないのだー」
「うるせぇ」
これ以上熱くなったところで目の前の人魂、もとい悪魔とやらに馬鹿にされるだけだと、ラグロスは何とか自分を抑える。
からかいがいのなくなった彼に悪魔は不平を唱えるが、ラグロスも適当に言葉を返すにとどめていた。
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