中層奥部:人と天使、あと悪魔

噂は移ろう

「……あーあ」


 ラグロスは感慨深く呟く。

 天の山道。中層の中で最も高い山であり、踊り子を抜けたあの日にラグロスが居た場所でもある。


「……次の転移装置はどこ?」

「ここの一番奥」

「……一度引き返す?」


 蒼の廃墟群を抜けた彼らの傍らに、光を灯す転移装置がある。

 この転移装置は中層最後の中継地点だ。ここから先に転移装置は門番が守るもの以外ない。

 今までは日帰りも出来たが、ここから先は距離的な問題でそうもいかない。


「えー。まだあかるいぞ!」

「うるさいわね。貴方は引っ付いているだけでしょう?」

「そう怒んなって。……ああ、色々用意したい物もあるし、今日は戻ろう」


 人魂が揺れ動いて抗議する。

 それに噛みつくセレンを宥めながらラグロスは転移装置を弄り始めた。



 *


 まだ日が高いシーフィル。

 大通りの喧騒がピークに達する時間帯だ。


 セレンはトレードマークにもなったフードを被り、ラグロスを盾にして人の波を進んでいる。

 セレンの話は探索者達の中で有名だ。しかし、同時にとある噂も有名である。


 ──彼女は迷宮の怒りを買っている。


 誰が広めたのかは分からない噂。

 その内容は彼女といると迷宮の怒り、すなわちトラブルや異常個体に巻き込まれやすいという話だ。


 セレンの能力自体は、一度門番との戦いを共にした探索者達から確固たるものとして広がった。

 その能力の恩恵に与るラグロスへの嫉妬も随分広まったが、今では収まりを見せている。


 当然だ。異常個体や予想外は探索者にとって最も避けたいもの。

 探索者組合が提供する情報も当てにならず、安定からかけ離れるのだ。


 むしろラグロスに対しては同情さえされていた。


 そういった事情もあり、セレンの姿が見られても以前のような勧誘はぴたりと止んだ。

 しかし、ジエルの家から基本的に出ないセレンはその噂を知らない。


 声もかけられず、遠巻きにひそひそと言われる現状に少々苛立ちを見せているぐらいだ。


「気にすんなよ」

「知ってるの?」

「お前の正体についちゃ何も言われてねぇ。不運な奴だと思われてるだけだ」


 正確な内容ではないが、間違ってもいない話でラグロスは誤魔化す。

 根が優しい彼女のことだから、下手に知られてしまえば何か事を起こしかねない。


 それはそれで彼も嬉しいのだが、止めない訳にはいかない。


「……そう」

「ああ」


 誤魔化されたと気付いたセレンもこれ以上何も言わなかった。

 そのまま二人はジエルの家にまで帰って来る。


「……出てきていいぞ」

「ほんとか! しずかにするのつらいぞ!」


 ラグロスの中から人魂が飛び出す。

 その光景を見るたび彼も取りつかれているのではと疑うが、天使や悪魔なんて話を聞いてしまえば気にするだけ無駄だと諦めている。


「そいつ、煩わしいから考えていなかったけど名前はないの?」

「ないぞ! ばあちゃんがラグロスからもらえっていってた!」

「……らしいけど?」


 どうするんだこいつとセレンが呆れた目をラグロスへ向ける。

 丸投げだった。


 センスに自信がある訳でもないラグロスは肩を竦めつつも、頭を捻る。


「えー……そうだな、フレア?」


 炎のような見た目からの安直な連想だった。


「フレアか、いいぞっ!」

「……いいの?」

「他に案があるならそいつを寄越せ」


 セレンが横でジトリとした目を向けてくる。

 考えるのも面倒なラグロスはその目に臆することなく投げやりに返した。

 またの名を思考放棄ともいう。


「別に。興味はないもの」

「そうですかい」


 本人が納得したならいいだろうと、二人はそれ以上触れないことを決めた。

 フレアは満足げに揺れた後、一人で二階へと消えていった。


「……俺は買い物があるからまた出るけど。どうする?」

「何を買うつもり?」


「おー!!」と興奮した声が響くのを他所に、ラグロスが変えた話題へセレンも乗りかかる。

 最近になってセレンも人目を気にせず歩きやすくなったので、余裕があれば外に出ておきたかった。


「風の魔石。迷宮じゃ手に入りにくいから買うのさ」

「……魔石? そんなもの一体何に……」

「そいつはまたの日の楽しみってやつだ」

「──そ。暇だし……せっかくだから付いていくわ。あの子──フレアはどうするわけ?」

「置いてく。ここなら何されても最悪大丈夫だからな」

「おーイ? 聞き捨てならねぇことが聞こえたゾ」


 部屋の奥、金槌の音が止んだ作業場から不満げなジエルの声が。


「あー、あー聞こえない聞こえない」

「……ったク。便利屋扱いも大概にしろよナ」

「別にいたずらっ子を置いていくだけだから」

「問題しかないゾ……」

「……駄目そうだけど?」


 耳に手を当てて知らないふりをするラグロスと、呆れた風に肩を竦めるジエル。

 そんな二人の間でセレンは視線を彷徨わせていた。


「ん? 問題はねぇよ。な、ジエル」

「……文句がないとは言わないけどナー」

「…………?」


 文句を言っていた割にあっさりと認められ、セレンの頭の上で疑問符が浮かび上がる。


「そういうもんだってことだよ」

「そーいうこったナ」

「…………?」

「じゃあ……フレアー! 出かけてくるからここから出るなよー!!」

「──分かったぞー!」


 ラグロスが呼びかけると遅れて返事が返って来る。

 それを確認し、セレンへ目配せすると再び家を出た。


 *


 目的地への道中。セレンはずっと顔をしかめたまま歩いていた。

 白ローブの噂は形が変われど健在で、周囲の者から遠巻きに見られていた。だが、顰めっ面を浮かべる彼女はそれすらも気にせず無言だった。


「いつまでそんな顔してるんだよ」

「…………だって」

「あんなの八百長みたいなもんだよ」

「……?」


 無言で隣を歩き続けるのはいくら仲間といえど気まずい。業を煮やしたラグロスが文句を垂れると、帰ってきたのは不満げな声。


 呆れたラグロスが鼻で笑うと、セレンが首を傾げた。人の形をした身といえど、感情までは理解が及んでいないようだ。


「ノリ」

「海苔?」

「多分なんか違うなそれ……じゃなくて、分かっててやってんだよ」

「ふぅん?」


 微妙なイントネーションの違いにラグロスが苦笑する。

 そして、少し考えたのちに一言吐き出す。


「……バーカ」

「──は?」

「冗談だからその人殺しの目をやめろ」

「貴方のせいでしょう?」

「はは……」


 藪蛇どころではないセレンの様子に、ラグロスが平謝り。やはり冗談が通じないと乾いた笑みを浮かべた。


「ま、そういうこと」

「何も分からなかったわよ。寧ろ不快になったまであるのに」

「そうかい」


 セレンがいくらか調子を取り戻したのを確認した彼は、それ以上その話題に触れず話を変える。


「……いいもんだろ?」

「何が?」

「人目を気にせず喋れるの」


 ちらりとラグロスが周囲に目配せする。

 前は出歩くにしても目的地まで急ぎ足で動いていた。

 何かと群がれるのを避けるためだ。


 しかし、今は何にも追われずのんびりと歩いている。

 簡単なことなのにしばらく出来なかったこと。


「……煩わしさは無くなったわね。気は散るけど」

「そこは有名税として諦めてもらうしかねぇな」

「そ」


 セレンが歩調を落とした。

 ラグロスもそれに合わせる。

 彼女の歩みはラグロスの歩幅からすれば遅い。


 けれど、それが彼女本来の歩く速さだったのだろう。

 ローブ越しからでもセレンの肩が張っていないのが分かる。


 セレンのことはラグロスが知らないことの方が多い。


 ただ、何かと追われる人生──天使生なのだろうと推測することは出来る。

 常に神経を張り巡らせ、ろくに警戒もしないような態度。

 下手をすれば迷宮内の方が弛緩しているように見える様子。


 ラグロスも出来ることならば何かしてやりたかった。

 噂に関してはラグロスは何も関与していない。

 正直悔しいとすら感じていた。


 とはいえ、今彼女がこうやって息抜き出来ているのならそれに勝るものはない。

 歩調を合わせ、のんびりと歩く。相対的に人が歩くのが早く見えた。


(これがセレンの見てる世界、か。……こういうのもいいもんだ)


 心惹かれる少女と共に過ごす時間を、ラグロスはゆるりと楽しんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る