野宿

 ラグロスとセレンは渓谷の細い道を歩き続ける。


 道中何度か迷宮生物に遭遇するも、大抵はセレンが蹴散らして終わった。

 そのお陰で彼らの探索速度は従来の探索者のそれと比べて非常に早い。


 だが、中層からは迷宮の規模も拡大する。

 流石に一日で次の転移装置までは辿り着けず、ラグロス達は野宿を強いられていた。


「人間って面倒ね、わざわざ危険を冒して寝るなんて」

「寝なきゃやってられねぇし、夜の渓谷なんて歩けたもんじゃないからな」


 横穴でランタンの明かりを灯したラグロスが苦笑する。

 今ばかりはセレンの体質が羨ましかった。


「……別に、俺を置いてきゃもっと早く進めるんだぜ?」

「馬鹿ね。早く達成できれば良いってものじゃないの。多少遅くなるくらいなら確実な方を選ぶわ」


 セレンが嘲笑を浮かべ、座り込んでいるラグロスを見下ろす。

 彼女からは顔を俯かせるラグロスの表情は見て取れない。

 代わりに、反応に困った彼の手が彷徨うように拳を握っては放すのを繰り返した。


(なんか、ずりぃ聞き方だよな)


 ラグロスは質問したことを内心後悔する。

 質問、と言うよりは特定の言葉を聞きたいがための誘導に近かった。


 勿論、彼女が嘘をつける類でないのも分かっている。だから、小さくとも素直な信頼につい顔を隠してしまった。


「そうか、それは何より……か?」

「天使のお供よ? 光栄に思う方が当たり前」

「へいへい」


 聞き慣れてきた傲慢なセリフにラグロスは笑みを溢す。

 決して賑やかではないが、こう言うのも悪くはないと思う自分がいた。


 上機嫌な彼が微笑を浮かばせたまま棒状の携帯食にかぶりつく。

 水気のないぱさぱさとした口触りに顔を顰め、水筒の中身を煽って喉奥へ流し込んだ。


「そこまでして食べるのね」

「食べなきゃ力出ねぇからな」

「……人間って面倒ね」


 セレンが先程言ったばかりの台詞を感慨深そうに再度繰り返す。


「けどな」

「……?」


 ラグロスが残りの携帯食を水と共に流し込み、小さく言った。

 独り言に近い声量も、人外の性能を持ったセレンの耳がしっかりと捉える。


「まずい飯だって、みんなで食いながらまずいって言う分には楽しいもんなんだ」

「……そう、なの? ──とてもそう見えないけれど」

「食うことが楽しいんじゃないぞ? まずい飯でもみんなで食って、その感想を共有するのが楽しいんだ」

「……」


 彼は踊り子に居た時の記憶を思い出しながら言う。

 決して探索に使える資金は潤沢ではなかった。

 足りない戦力、スキルの少なさを補うため様々な道具を試していたからだ。


 武具や道具、それらにお金を使えばしわ寄せは食料に跳ね返る。

 町で食べるものは頑張ったご褒美と称してそれなりの物を口にしていたが、迷宮内では違う。

 少なくとも、稼ぎが格段に増える中層探索者とは思えない最安値の物。


 今のラグロスの資産を鑑みれば彼がここで食べるものはもう少し程度の良い物に出来たが、染みついた癖や慣れのせいか変わらず同じものを口にしていた。


「群れるからこそってこと?」

「群れる、かぁ。……別に群れるのは良いことばっかじゃないな」

「ええ」


 同意を示すセレンが力強く頷く。

 一般的な探索者という枠組みから外れたラグロスではあるが、セレンも似たような境遇なのかと首を傾げた。


「……天使もそうなのか?」

「すべては我らが主のため。それが天使の行動原理だもの。悪魔とは違うわ」

「悪魔は一人?」

「すべては己のため。悪魔の行動原理よ」

「まるっきり逆なんだな」


 相性は最悪。

 何故彼女が悪魔から逃げているのかは知らないが、仲良くなれそうにないのは確かだった。


(……悪魔は群れねぇってことか。──? セレンを追いかけてた白ローブって複数いなかったか?)


 朧げな記憶を思い返す。

 しかし、ラグロスが初めてセレンと会話した時に会った他の白ローブは一人のみ。


 なぜ複数と感じたのかも思い出せず、気のせいだとかぶりを振った。

 それよりも気になることもあったからだ。


「主のためなら天使同士でも協力するんならよ。セレンを助けに来る奴はいないのか?」

「いないわ」

「そうか」


 即答の断定。

 その声に不機嫌な色合いが混じっているのを感じ、ラグロスはそれ以上聞くことを止めた。


「まぁ、俺にゃ関係ない。アンタの命令なら従うさ」

「……貴方が彼らに捕まりでもしない限り、私も相応の範囲に留めるわよ」

「はっ、そいつはありがてえな」


 不服そうなセレンの声に、ラグロスが苦笑する。

 こういうところに彼女の根がにじみ出ているからこそ、彼も心から従うと言えるのだ。

 少なくとも、彼なりに義理を尽くすまでは必ず。


「……当たり前よ、下手に使い潰しても困るのは私だもの。──とにかく、いつまで休むつもり? さすがにここじゃ暇なのだけど」

「ああ……寝ないんだったな」


 この話の始まりを思い出したラグロスが思案する。

 ちらりと横穴の出口を覗く。


 夜の闇の中、渓谷の外で流れ昇る滝が辛うじて見える。

 水音は狭い横穴の中で響き渡り、二人の耳朶じだを叩く。


 迷宮生物の息遣いも暗闇と水音に隠されてしまうのだ。

 とても人間が探索するには向いていない。


「つってもな……」


 セレンが暇になるのはよく分かる。しかし、彼女が暇を潰せるような道具などラグロスは持っていない。

 何もしないのも癪なので、諦め半分で鞄を漁ってみる。


 鉤爪ロープ、少し減った携帯食、応急処置用の軟膏なんこう、ベルトポーチに添えつけてある投げナイフの予備、地図──


「……これとかどうだ? 中層の地図の一部。どうせ行く場所だから見ておいて損はない」

「……そう、ね。貰っておこうかしら」


 鞄からあれこれと地面に並べるラグロスにセレンが僅かに後ずさる。

 しかし、暇つぶしになりそうなものを差し出されて素直に受け取った。


「じゃあちょっと寝る。何かあったら起こしてくれ」


 言うや否やラグロスが眠りにつく。


 ごつごつとした岩肌の地面。

 耳につんざく水音。

 いつ襲われるか分からない緊張感。


 とても寝るには劣悪な環境だが、それでもすぐに睡眠に入れるのは職業故か。

 セレンが寝れない為、見張りも任せられるのもあるだろう。


 すうすうと密やかな寝息を立てて眠っていた。




「……」


 そんな彼をセレンが地図片手に見下ろす。

 微動だにせず眠りに落ちたことを確認した彼女はとなりに腰を下ろす。


 そして、視線は渡された地図へと向けられた。


 手書きで丁寧に記された紙面。

 所々に注意書きが記されている。


 今彼らが休息を取っている場所も、まるっこい字で“安全!”と横に書き込まれていた。


 その他にもページを跨いでまるっこい字や綺麗な線の字、小さくまとまった字に跳ねるようなキレのある字、乱雑に書き込まれた注意書きがあった。


 どうやら注意書きをしているのは一人ではないらしい。

 セレンが見る限り、書き込んでいるのは計五人。


 彼女が持っているのと同じように彼は上層の地図も持ち込んでいた。

 察するに、彼が以前所属していた風の踊り子のメンバー達の者だろう。


(会話がなくても、賑やかに出来るのね)


 地図には小さな鉄の輪に通され、複数の紙で束にされている。

 一番上に来ているのはラグロス達の現在地が記されている場所だ。


 セレンはそれをめくり、他の紙も覗く。

 どの地図にも賑やかと思えるほど書き込みが為されている。


 なぜ同じ人でないのかは不思議だったが、まるで彼らの探索の軌跡を見ているようで不快になることはない。


 ちくりと、セレンの胸に小さな棘が刺さったような不快感を感じた。

 一瞬で不快になる矛盾に、セレン自身が理解できず首を傾げる。


(……賑やかすぎるのかしら)


 生まれ育った場所を飛び出したあの頃。

 以降、どこか賑やかな場所に苦手意識を持っていた。


 嫌いではないのだ。

 彼女自身、そういったものは好きだった。

 無意識に誰かの温もりを求めていたのがその証拠。


 今も、自分では分からないままラグロスの隣に腰を下ろしているのだから。


 自信では結論を見いだせないまま地図から目を逸らす。

 暇つぶしに丁度いいとは思っていたが、むしろ逆効果だった。


「……どうして、夜は長いのかしら」


 独り言を零す。


 暇を持て余し、指を遊ばせるようにしてセレンがルーンを描く。

 普段描く、光の槍を生み出す印とは違っていた。


 刺々しい角をいくつも持つ光芒の印を描き上げ、印から指を離す。


 描き終えたルーンが生み出したのは拳大の光球。

 計四つのそれはセレンが広げた手の平で列を成して回転している。


 彼女がそこへ息を吹きかける。


 少女の吐息に運ばれて光球は暗がりを照らしながら横穴の入り口へ。


 それぞれ角へと散らばると、四つの光球を角とした薄い光の膜を形成した。

 入り口を閉じるように展開された光壁を見届け、セレンが地べたに仰向けで寝転がる。


 しかし、背中から生える羽のせいで寝心地は悪い。

 一瞬で横を向く。


「……っ」


 そして、目の前に現れた青年の顔にたじろいだ。

 眠りについた彼の息遣いが届く距離。


 一瞬驚きこそしたものの、所詮はセレンよりも格下。

 何をたじろぐ理由があるのだと、動揺を打ち消した。


(……少しは疑わないのかしら)


 この横穴に来るまでにかなりの数の迷宮生物を倒している。

 ここをかぎつけて襲ってくる可能性は低いだろう。


 だからと言って、ここまで熟睡されては腹も立つ。

 加えて、十数日程度しか共にしていない仲である。


 死線を潜り抜けたとはいえ、そこまでの信頼を得られたと思っていないセレンが眉をひそめた。


 実際の所、ラグロスは彼女にかなりの信頼を寄せている。

 二人が種族は違えど似た境遇であることや、傲慢に映る態度の端々から見える根の良さを知っているからだ。


 そして、セレンもまたラグロスのことをそれなりに信頼していた。

 それは彼女がのに加えて、あくまで支配者側だからだ。


(……バカみたい)


 立場が違うのに何故なのか。

 彼女には分からない。


 分かったのは、今まで感じもしなかった瞼の重さだけだった。

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