水龍の渓谷

 二人は一日がかりで次の山の上まで登り切った。

 同じように配置されていた転移装置でシーフィルへ戻り、翌日。

 今度は晴れの中層に戻って来た。


「こっからが本番だぜ?」

「……みたいね」


 昨日は雨で視界が悪く、進む先が良く見えなかったが今日は違う。

 黒門の方角の先には、狭い足場がどこまでも伸びている渓谷が広がっていた。


 無論、ここは神の迷宮。ただの渓谷ではない。


 底を覗けば雨で溜まった巨大な池が見えるが、そこから滝が何本もいる。

 流れ落ちているのではない。まるで降り注いだ雨を巻き戻しているかのように滝が昇っているのだ。


 雲すら貫き登っていく流水。雨の日は降り注ぐ雨粒に隠され、晴れの日は雲一つない青空にカモフラージュされて遠くからでは見つけられない神秘。

 セレンが不可思議な光景に目を丸くした。


「水龍の渓谷。龍の如く滝水が空を登っていくからってのが由来さ」

「……真っすぐ登っていないもの不思議ね」


 龍と名のつくだけあり、滝は狭い岩場を潜り抜けるように右往左往、時には螺旋も描きながら昇っている。


「眺めるだけなら良いところなんだが……」

「迷宮だもの、仕方ないわ」


 ラグロスが目を凝らす。

 上層の宙を駆ける川を思い出させる流水には、同じように迷宮生物が生息している。


 彼の目が捉えたのはその内の一種。

 成人男性ほどの高さを備えた巨大な青色のカエル──駆水蛙ブルーホッパーが水面を蹴っては飛び上がり、時には滝を壁に見立てた三角跳びで、予想も出来ない軌道を描いて飛び回っている。


 人間とは作りが違うセレンは目を凝らさずともその様子は見えており、岩陰で身じろぎした岩羊ロックシープも逃がさない。


「警戒しながら行く。援護頼んだ」

「ええ、しっかり盾になりなさい」

「……わーってる。後、援護は俺が合図を出すまで──」


 そう言いながら、セレンがルーンをさっと描く。


「撃たずに──おい?」

「間抜けね。見つけるのが遅いわ」


 鼻で笑うセレンが光の槍を投射。

 何の変哲もない岩ごと横に潜んでいた岩羊ロックシープを貫いた。


 一瞬で殺された羊が細く甲高い悲鳴を上げて霧に還る。


「違う! それは無視でいい!」


 そして、その悲鳴は渓谷で響き渡る。

 ラグロスの制止も実らず、響いた悲鳴に応えるが如く高速で重なる羽音が二人の耳に届いた。


「……え?」

「ちッ──ここじゃ隠れらんねぇな……セレン、俺の魔力を動かしてくれ」

「──分かったわ」


 ラグロスはセレンを責めることなく、彼女に魔力の操作を頼む。

 確かにセレンがやらかしたことではあるが、先に止められなかった彼のせいでもある。


(俺の失敗だ。俺が取り返せ……!)

(……失敗しないって決めた傍から──取り返さないと)


 しかし、彼の内心をセレンは知らない。

 加えて失態を犯したことも理解してしまった。


 お互いにすれ違ったまま武器と指を構え、羽音の主を出迎える。


 現れたのは白の体に青の縦線が入った蜂の群れ、青蜂ブルーワーカー

 蜂は赤子ほどの大きさで、鋭利な尾針もそれに伴って短剣と相違ない長さだ。


 前方の視界を埋め尽くすほどの数だが、幸い渓谷地帯に足を踏み入れていないお陰で足場は広い。

 十分な回避行動も取れる。


「“貴方の魔力、使わせなさい”」

「──うぐっ」


 ラグロスの体に痺れが走る。同時に体の中で何かがかき回される。


 いずれは自分自身で出来なければならない技術。

 反動のことも考えれば乱用はしたくないが、使ってしまったならとラグロスが魔力の動きに集中する。


 彼にとっては何度も倒したことのある迷宮生物。

 ここまでの群れであれば撤退優先だが、及び腰では成りたい者に成れはしない。


「──っっら!!」


 先手必勝。

 蜂の群れに突っ込んだラグロスが蜂達が攻撃態勢を整える前に仕掛ける。


 たが、今度は違う。空気を唸らせ振り上げた大剣が蜂の群れを真っ二つに引き裂いた。

 豪速で振るわれた大剣の風圧で近くの蜂も吹き飛ばす。


 踊り子の時はこれを生かして蜂達を近寄らせない守りの戦い方だった。


「もういっ──ちょ!!」


 振り上げた大剣を頭上に回し、そのまま腰まで戻す。

 そこから流れるような薙ぎ払い。


 “チャージ”の恩恵を受けたその一連の動作は、蜂たちに反撃の時間を許さない程に鋭く、速い。


 豪風と共に、また何匹もの蜂達が吹き飛ばされる。


 青蜂ブルーワーカーの強みは生息地体が足場の悪い水流の渓谷付近であることに加え、遠くの音を感知し、消耗した相手を数の暴力で攻め立てられることだ。


 しかし、今回の場合その強みは後者しか生かせていない。

 一撃で人を殺せる針を持てども、毒や投擲物はない。


 近寄ることが出来なければ彼らはただの飛ぶ的だ。


「逃げても無駄よ」


 それを証明するように、ラグロスから逃げた個体をセレンが次々と光の槍で撃ち落とす。

 展開される光の弾幕はいつもより多い。


 彼女なりに失態を取り返そうとした結果だ。


 近寄ればラグロスに吹き飛ばされ、逃げればセレンに撃ち落とされる。

 まともに戦うことも逃げることも出来なくなった青蜂ブルーワーカーの群れが全滅するのにさして時間はかからなかった。


 *


「へへ、大量だー!」

「……」


 地面に散らばった大量の魔石をラグロスが楽しそうに拾っている。

 セレンはそんな彼に何かを言いかけようと口を開閉させるも、声は発せられない。

思わず飛ばした手を所在なさげにさまよわせ、何事もなかったかのように腕を組む。


 そのまま彼女は腕を組んだままラグロスが魔石を拾い終えるのをじっと眺めていた。


「おし、終わった。さっ、いこーぜ」

「……ええ」


 魔石を袋に詰め終えたラグロスが先導する。彼に続くセレンの足取りは少し重かった。


(やけに気にする奴だな)


 彼女の動きの鈍さはラグロスも横目で認識している。

 しかし、口には出さない。


 先程の失態をセレンが気にしていることは遅れて気付いた。

 何かと傲慢に映る彼女が妙なことを意識する理由は分からない。


(力と失敗……か)


 分からないなりに彼女の背景を想像しつつ、先を進む。

 ごつごつとした岩肌に手を添えつつ、人がすれ違えるギリギリの横幅の細道を歩く。


 すぐそばを滝が昇っているせいで周囲はひんやりとしており、風が冷やされて防具で蒸れることもない。


 足を踏みはずせば命はないこと以外、快適な空間だ。

 無論、その一点が致命的なのだが。


「……なぁセレン」

「何?」

「今、楽しいか?」


 それは何気ない質問だった。

 脈絡のない言葉にセレンが小首をかしげ、そのあと首を横に振った。


「別に、普通じゃない?」

「なら良かった」

「ちょっと? 別に良いなんていってないけど」


 好印象の意は一切ない。そう抗議するセレンにラグロスが小さく噴き出す。

 彼女が感情を示し、動作が大きくなる度に白いフードが揺れる。


 ローブに隠された彼女の手足はよく見えないが、動きに合わせたなびくフードは彼女の機微を十分に教えてくれる。


「あー……俺なりの考えだけどな?」

「……何よ」

「普通って別に悪いことじゃねぇと思うんだ」

「……まぁ、悪いと思って言ってないわね」

「だろ?」


 ラグロスが口角を上げた。

 重い大剣を振り回す彼の肉体は鍛え上げられていて、明るい印象を与える茶髪も相まって彼の微笑みは好青年に見える。


「だから、逆に考えるんだよ。……悪くはないってことはマイナスじゃないって」

「……? そのままじゃないの?」

「マイナスじゃねぇってことはゼロかプラスってことだろ? じゃあ良いじゃねぇか。まるっきりゼロなんて少ねぇしな」

「……ふぅん──ゼロじゃない」


 感慨深くセレンが頷く。

 その後、彼の言葉の一部を小声で反芻する。


 普通。

 セレンの中で意味のある言葉だった。


「そう考えたらさ、普通っていいことだと思わねぇか?」

「……ええ、否定はしないわ」

「おう、納得出来たなら良かった」


 気を良くしたラグロスが頬を緩ませる。

 踊り子ではあまり賛同を貰えなかった意見なだけに、セレンに納得してもらえたのは嬉しかったのだ。


(普通じゃ這い上がれない──ってのも、今になってみれば分かるのがなぁ……)


 現状維持で良いと言ったラグロスに対し、リーダーであるリットの否定。

 確かに、躍進を望むのであれば普通の方法では不可能だ。


 それはセレンという人からも亜人からも離れた存在と出会い、理解してしまった。


 ラグロスの言い分はマイナスでなければいつかは──というものだった。

 つまり、彼の言ったを積み重ねること。


 それでは彼の新たな道が開くことはなかった。

 結局、普通に甘んじるだけではダメだと証明された。


(腹立つなぁ……)


 緩んでいたラグロスの頬も考えが纏まるにつれ、硬くなっていた。

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