豪雨注ぐ分水嶺
翌日、支度を整えて家を出た二人がシーフィルの転移装置前に並んでいる。
平然と並ぶラグロスとは異なり、セレンはいつも違う服装に顔をしかめていた。
「……これ、本当に要るの?」
「痛みに鈍いっつってたから要らないとは思ったけど、一応な」
二人が着ているのは水を弾く迷宮生物の皮で出来た紺色の上着だ。
つるつるとした質感と淡い光沢を放つそれはまさしく
ラグロスはこれを着る前提で普段よりも身軽な防具にしているが、セレンはいつもの白ローブのままだ。
当然蒸れる上に重い。
湿気自体はあまり影響はないが、服が重いのは動きに影響が出る。
いつもより鈍重な服。セレンは煩わしそうに合羽を揺らしていた。
しかし、同じ列に並んでいる探索者はほとんど同じ様相だ。違うのは来ている合羽の種類だけ。
「そう。まだ聞けてなかったけど、どうしてこれを着る必要があるわけ?」
「着ても意味なかったりするんだけどな……。荷物もダメになるしよ」
「……そういえば貴方、ウエストポーチと魔石袋だけじゃない」
合羽越しから見えるラグロスの武装にセレンがさらに目を細めた。
バックパックもない。これでは少ない戦法を道具で補う戦い方が出来ない。
持っているのはせいぜい軽食と飲料。膨らむどころかへこんでいるポーチを見るに、地図や投擲物すらも入っていないようだ。
「舐めてるんじゃないって。これが最適なんだよ」
「……ふぅん」
ラグロスの声に淀みはなく、本気でそう言っているようだ。
しかし、彼の疑いは晴れない。セレンの瞳は彼を観察し続けていた。
早朝に出ているおかげもあって、彼らの番がすぐに回って来る。
前回は設定に時間がかかったが、昨日帰還した場所と同じなのでそれもすぐに終わった。
「いくぞー」
「……ええ」
呑気なラグロスに苛立ちを覚えながらも、セレンは光に消えていった彼を追いかけた。
光を抜ける。
途端。二人の耳に、轟音が襲い掛かった。
それは一時的ではなく、断続的に続いていた。
昨日までの晴天が嘘のように太陽を覆い隠した暗雲。
そこから降り注ぐ大量の雨粒。
そして、雨粒は岩肌に激突。はじけ飛ぶ。
起きている現象自体はただの雫の音。
しかし、塵も積もればなんとやら。
二人の耳には幾重にも重なった雨粒の音が突き刺さっていた。
「雨……」
岩肌に叩きつけられる雨粒の音と、合羽を叩く雨粒の音。
両方を耳にしながらセレンが天を見上げて呟く。
まともに飛ぶことすらままならない悪天候。
「中層が中層たる
「……そうね。……これだけ降ってるならこれも要らないんじゃない?」
「んな訳ねぇだろ。服にしろ何にしろ、濡れたら重い」
「……そう」
不満げながらも納得したらしいセレンが再び天を見上げた。
合羽のフードからも抜け出していた白のサイドテールが、水気を吸って毛先から水滴を垂らしている。
「……っと」
彼女のスタイルが隠されているにも関わらず、その絵は様になる。
つい魅入りそうになったラグロスが視線を切り、代わりに周囲へ向ける。
岩肌を叩き、穿ち続ける水は当然積もっていく。
それが溜まればどうなるか。
答えは明白だ。
「私たちが歩いてきた場所、川の跡だったのね」
「そういうこと」
川となり、流水がさらに山を削って道を作る。
それが繰り返され晴れの日にも川跡が残されていた。
二人が昨日歩いてきた場所も川が流れている。
とてもすり減った坂道だったとは思えない。
「この川は東西に伸びてる。その先にもいろいろあっけど、俺らが目指すのはその境を歩いた先の黒門だ」
「境? ……もしかして同じように山頂を次いで──?」
「ああ。分かりやすいだろ? 雨の日は視界が悪いけど、これなら地図も要らねぇからな。……あったところで濡れるし」
「……単純な話なのは同意するわ」
「同意ならさっさと進むぞー」
水が溜まり、流れ落ちる山道を二人は進む。
雨の中の山登りなどやる方がおかしいと揶揄されるものだが、探索者ならば話が変わる。
「あっと、忘れてた」
「……? 何、それ?」
「ライト。天使なら関係ないのかもしんねぇけど、俺は人間だからな」
おもむろにラグロスが何かを頭に取り付ける。
鉢金状の柔らかいバンドに付いたヘッドライトだ。
暗雲に覆われ、雨粒が降り注ぐせいで、視界は悪い。
それを緩和するためのものだった。
「そうね、確かに私には関係ない──きゃっ」
「……関係ありそうだな」
鼻で笑ったセレンが石に躓いて転ぶ。
鮮やかすぎる流れにラグロスは苦笑するほかなかった。
「……」
「……」
ラグロスも荷物をなるべく減らしていたせいで、ヘッドライトの予備はない。
しかし、放っておくのも忍びないと考えた結果、セレンがラグロスの後ろをぴったりと歩いていた。
足場が悪い場所では、セレンが彼の合羽の裾をぎゅっと掴んで支えにしている。
(天使でも視界は悪いのか……? 言われてみれば、セレンを追いかけてた奴らもポンコツだったけど)
最初は自身満々だった割に、今は黙り込んでラグロスの後を素直に付いてきている。
そのギャップは彼を噴き出させるのには十分で、一度噴き出した彼はセレンに鳩尾を殴られていた。
(……喋んなきゃ死ぬほど可愛いんだよなぁ)
それはそれとして、出るところはしっかりと出た体つきに、文句ない顔つき。見た目は完璧な彼女がラグロスの後を離れないように、ある種の弱弱しさを感じさせながら付いてきている。
男心をくすぐるその様子に彼もまた惑わされていた。
「この天気でも迷宮生物は居るの? さっきから一度もあってないけど」
「ん、そうだな。この辺りは少ねぇ。増えるのは全体で見て真ん中辺りからだ」
ラグロスがこの辺りを探索していた時の記憶を引っ張り出す。
中層は奥部に近づくにつれ迷宮生物が増える。
逆に言えば、最初の方はかなり少ない。
そして、雨の日は特定の迷宮生物以外は遭遇しない。
「……けど、ゼロでもねぇな」
気配を察知したラグロスが背中の大剣を引き抜く。
その特定の迷宮生物特有の音を耳にしていた。
「……?」
「目で探すなよ。耳で周囲と違う水音を見つけるんだ」
「……耳ね」
セレンが耳をそばだてる。しかし、すぐに諦めラグロスの背後に陣取った。
彼女自身、不慣れなことをしても出来ないことは分かり切っていた。
できそこないが故に。
「いえ、索敵は本職に任せるわ。合図したら撃つから言いなさい」
「了解だ!」
そんな彼女の内心をラグロスが知ることはない。
とても彼女の様子を気にする余裕はない。仮初の力に頼っているならなおのことだ。
まずは仕事を果たしたい彼の目は、耳で捉えた葉っぱを叩くような音へと向けられている。
そして、その視線の先にあるのは岩場の窪みに出来た水溜まりだ。
雨の日の中層であれば見慣れた光景である。
しかし、その水たまりに浮かぶ
「
「へまはしないわよ。それより、
「なしだ。あれぐらいやれなきゃ中層の探索者はやってらんねぇ──っよ!」
ラグロスが飛び出す。
彼の足が浅く積もった水をかき分け、
連続して響く水音に
蓮に溜まった水が溶けるように消える。
その前兆にラグロスが走る姿勢を落として身構える。
数拍後、ぱしゃりと水飛沫を立てて、蓮の葉が浮き上がる。
水の中から顔を出したのは青色のモグラらしき体だ。そのモグラが口をすぼめ、勢いよく何かを吐き出した。
「──!」
モグラが吐き出したのは鋭い水弾だ。
本来は周囲の水
今回は攻撃してくることをあらかじめ分かっている。
ラグロスは咄嗟に大剣の腹を盾にしながら横に逸れる。
水弾は分厚い合金に傷一つつけられず、雫へと還った。
しかし、モグラの攻撃は終わらない。
続けざまに水弾を吐き出し続ける。
「セレン!」
一瞬で展開された水の弾幕。足場が悪く万が一を考えれば詰めるのは難しい。
接近を諦め、ラグロスが合図を出す。
「はいはい」
分かっていたと言わんばかりに、セレンが指先で
完成したルーンが複数の光の槍を生み出し、ラグロスに釘付けなモグラへと一斉射出。
雨の中でも一切の衰えを見せず、光の槍は宙を駆けた。
潜伏力にリソースを割いている
背中の蓮ごと綺麗に串刺しにされたモグラは、光の槍が爆発するとともにその姿を霧へと変えた。
「……楽だな」
確かな実感と共にラグロスが笑みをこぼす。
踊り子の時は倒せはしたものの、ここまであっさりとはいかなかった。
主には雨で視界が悪く、射出物が思うように飛ばせないことが原因だったが、セレンの前では些事に過ぎないようだ。
水溜まりに沈んだ魔石を拾い上げ、セレンの元へと戻る。
「流石だな」
「この程度なら貴方でも問題ないのでしょう?」
「……そういえば、そうだったな」
啖呵を切った割にセレンを頼ってしまったことも遅れて思い出し、バツが悪そうに頬を掻く。
あの弾幕を一気に走り抜けれるようになれば話は変わりそうだが、その力はまだ自力では使えない。
「……気にする必要はないわ。貴方は私の案内人。別に戦力は求めてないもの。時間稼ぎが出来れば十分よ」
「はっ──そうかよ」
セレンが頬を震わせるまま、早口でまくしたてる。
気を使ってくれているとラグロスはすぐに理解した。
(ほんと、なんだこいつ)
過ごす時間が増えるほど理解できないセレンの性格。
しかし、理解できなくとも悪い気分でないのも事実だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます