仮初の力
何とか一日の内に次の転移装置を見つけた二人は、とうに夜が更けたシーフィルへ帰って来た。
「あぁぁ……体いてぇ」
「おじいさんみたいな声ね」
「ほっとけ。慣れちゃいるけど辛いことには変わりねぇんだよ──あいててて」
「ふふっ」
過度の疲労を痛みで訴える体に苦しみつつ、ラグロスが不満げに鼻を鳴らす。
そのあとすぐに痛みで苦しみだし、隣を歩くセレンに笑われていた。
嘲りも含まれていた気がするが、文句を言える状態でもない。諦める他なかった。
ラグロスの肉体は主に上半身が鍛えられている。
それはチャージの性質上あまり動かずに大剣を振るっているせいだ。
勿論下半身も魔圧に耐えながら動く上半身の土台として十分に鍛え上げられている。
だが、先程の戦闘のように攻撃を避けたり、接近しながら上半身を支えるのには慣れていない。
その分の負担がラグロスにのしかかっていた。
「……あーっと、そうだった。セレン、先に帰っててくれ」
「……何かあるの?」
「魔石の換金。いつもは空いてる時間にやってるけど、ジエルに部屋代払うから金が要るんだ」
「……ふぅん? 下手な騒ぎを起こさない為にね。──なら先に戻るわ。朝になって道で倒れていたら笑ってあげる」
「……そりゃどうも」
微笑むセレンの瞳がラグロスのそれを覗き込む。
しかしすぐに視線を切り、にこやかに棘のある言葉を吐いて去っていったセレンの背をラグロスは見送る。
相変わらず一言多いなと思わずにはいられなかった。
(バレてたか?)
魔石の換金自体は嘘ではない。
しかし、欲しかったのは今から組合に行く建前だ。
ジエルに払う部屋代も彼自身は要らないと言っている。
それでも払っているのはラグロスなりの義理だった。
──さらに言えば、また迷惑をかけている罪悪感を晴らすためでもあった。
裏路地へと向かう道から顔を背け、大通りを進む。
人気のない道を颯爽と歩き、二枚扉のある大きな建物へとたどり着く。
「……っと」
扉を押し開ける。
大きさは違えど、黒縁の二枚扉はラグロスに黒門を想起させた。
組合内に人はほとんどいない。片手で収まる程度だ。
夜の探索活動は余程のことが無い限り避けたいもの。
わざわざ視界の悪い場所を探索するリスクなど誰も背負いたくない。
この時間帯に探索者が居ないのも当然だ。
そして、少ないながらもここにいる探索者は恐らくラグロスと同じ目的だろう。
一日中営業している組合の受付嬢の元へラグロスが歩いて行く。
夜勤の職員は少なく、この時間帯でラグロスが何度も見ている受付嬢だ。
組合指定の赤のベストと黒のタイトスカートの制服に身を包み、一本一本が透き通るほど鮮やかな黒のロングヘア―に組紐の髪飾り──ではなく受付嬢のみが持つ青のリボンを付けていた。
その青リボンより特徴的なのは、彼女の黒髪から飛び出している同じく黒の犬耳とスカートの下から飛び出すふさふさの尻尾だ。
「いらっしゃいませ、ご用件をどうぞ」
とても受付嬢とは思えない愛想ゼロの無表情で綺麗な礼を一つ。
二年前から変わらないその振る舞いに苦笑しつつ、ラグロスが要件を述べる。
「魔石の換金を」
「承りました。換金する魔石を頂きます」
愛想こそ皆無だが、一言一句綺麗に聞き取れる彼女の声は聴いていて気持ちがいい。
無表情でも彼女が受付嬢を任されている理由でもある。
ラグロスが薄紫の大魔石と細々とした魔石の入った袋をカウンターに乗せる。
重量感のある音と、人目で大きな魔石が入っているとわかる袋の形に、受付嬢がぱちくりと瞬きを一つ。
「……確認します」
綺麗な発音に僅かな淀みを見せた彼女が硬い面持ちで袋の紐を解く。
そして、袋の大部分を占める大きな魔石に目を見開いた。
このサイズの魔石を落とす迷宮生物は限られており、なおかつ目の前のものは門番が落とす色合いではない。
「これは……どの神の悪意の物ですか?」
「
「……これは、ラグロスさんが?」
「──ああ」
素直に頷くことは出来なかった。
貢献していないとまでは言わない。確かにラグロスの手で叩き割った
だが、ラグロスの力かと聞かれれば彼が頷くことはない。
あくまでセレンのお陰で成り立っている力だからだ。
しかし、ここでそれを言う意味はない。
受付嬢の質問はラグロスが誰かから貰った、もしくは盗んでいないかという意味のものだからだ。
「そうですか……」
犬耳の彼女が下に目を落とし、魔石を優しく一撫でする。妙に情感のこもった手つきだった。
顔が持ち上げられると、いつも一文字に引き結ばれている彼女の口がほんの僅かな弧を描いていた。
「──頑張ったんですね」
二年前。迷宮生物を一匹仕留めるのにも苦労し、一日中迷宮に潜っていた頃からラグロスの苦労を知る彼女の言葉には、平坦な口調ながらも確かな重みがあった。
「ああ。……そっちもな」
その言葉を受け取ったラグロスが淡い笑みをこぼすと、顎を受付嬢に向けて顎を軽くしゃくることで答えた。
犬耳と犬の尻尾を持つ彼女──いわゆる亜人と呼ばれる者の地位は高くない。
毛嫌いする者もいるせいで今の彼女が就いている接客業の仕事は面倒事が多くなる。
「自分のような半端者を気にしない人も居ますから。……ラグロスさんのように」
「あんときは余裕がなかっただけだ」
「でしたら……今はどうです?」
ラグロスはその手のことを気にしない類であり──気に出来るほどの余裕もなかった。
彼が踊り子に入ってからようやく周りを気にする余裕が出来たが、その頃は深夜まで迷宮に潜ることも減っていた。
当然見かけることはあれど話すことはない。
故に、彼らはただの知人だ。強いて言えば仕事上の付き合い程度。
だが、お互い苦境の中で生きてきた者同士であり、それが彼らに淡い絆のようなものを作っていた。
「……知らない奴じゃないしな」
「それは嬉しい言葉ですね。──今は、どうされているのですか?」
「どう、か」
目の前の女性も組合員だ。当然ラグロスの経歴を知っている。彼女の短い問いにはパーティを抜けた彼への心配が含まれていた。
「ちょっと忙しくなりそうだけど、まぁなんとかやってるよ。これの通りになっ」
ラグロスが自慢げな顔で大魔石に手を置いた。
決して自慢など出来ぬ倒し方だったが、心配させまいと見栄を張る。
「でも、ラグロスさんのスキルが増えたわけじゃない。ですよね?」
しかし、都合上戦える彼女はチャージ一つで戦うことの辛さを知っている。
加えて、チャージ一つで神の悪意を倒すことが何を示しているかも。
「……」
「ほらやっぱり」
「無理はしてないって! ……ちょっと負担をかけてるだけだからっ」
「普通の人はそれで死ぬんですよ……」
呆れ顔で受付嬢が溜め息をつく。
チャージ一本で二年弱活動した探索者だ。
だからと言って強いわけではないが、継続していることと、時間をかけても進み続けていることは素直に称賛されていいことだ。
「今は生きてるし、今後も死ぬ気はねぇよ」
「……はぁ、分かりました。換金、済ませちゃいますね」
「おう」
魔石の詰まった袋を抱え、受付嬢が裏手へと消えていく。
それから程なくして帰ってきた彼女が魔石の代わりに硬貨が詰まった袋をカウンターに置いた。
「アンゼルテ金貨七五枚となります。ご確認ください」
ラグロスが袋の中身を覗き込む。一杯に詰まった金貨だ。
パーティで活動していた時の日給が一人頭金貨1枚に届かないことを考えれば破格の報酬である。
それは神の悪意がどれほどの強敵であるかも表していた。
「んー、ああ。確認した」
「……本当ですか?」
「アンタはそんなことする人じゃないだろうに」
「それは勿論ですけど……」
適当に袋の中身を手でかき回し、ラグロスが頷きと共に袋の口を紐で絞める。
雑な確認に受付嬢が眉をひそめるも、彼は手をひらひらとさせるだけだ。
そして、ラグロスの言葉には少なくない信頼も含まれている。
満更でもない。受付嬢が複雑そうに目を細めて横髪を弄った。
「俺も頑張るからさっ、アンタも頑張れよ」
「……。──はいっ! またっ、お待ちしております!」
袋を肩に担いだラグロスがサムズアップで受付嬢を激励する。
名前も知らなければわざわざ聞く気もないが、彼は受付嬢が出世できるよう心から祈っていた。
そして、それは彼女も同様だ。
一方的に名前を知っているだけの知人。
強いて言えば仕事上の付き合い。
けれど、境遇は似通っていて、どこか自分に重ねてしまう彼が死なないことを望んでいた。
その望みが叶うよう、彼がまた来てくれるよう、聞き心地の良い声と共に頭を下げる。
頭を上げる頃にはラグロスが二枚扉を押して出て行ってしまっていた。
晴れやかな気持ちのまま顔を上げる。
「リーナー! ちょっと見て欲しい書──え……?」
「どうかした?」
そこへ、受付嬢の同僚。主に事務作業専門の女性が声をかけようとして、受付嬢が滅多に見せない満面の笑みに固まる。
しかし、受付嬢の笑みは声に反応した瞬間に消えてしまっていた。
「……ううん、何もない。ちょっと見て欲しい書類があってね──」
気のせいだったかと女性が訝しむが、今は仕事に集中するべきだと気を取り直して口を開いた。
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