神の悪意

 昼下がり。

 彼らの下山道は終わりをつげ、次なる登山道へと移っていた。


 セレンが常人ではない視力を生かして、頂上までの距離とかかる時間を算出。

 月が登り切るころには終わるという予想に安堵の息を吐いた。


 だが、痛みを訴えるつま先や膝下の筋肉にフードの奥で顔を歪めてもいた。


「……大丈夫か?」


 痛みに苛まれ無意識に狭めていた歩幅のせいで、ラグロスとの距離も少しずつ開き始める。

 後ろから聞こえる足音の頻度と気配の距離で彼がそれを察し、立ち止まってセレンを心配する。


「──問題ないわ」

「……そうかい」


 見栄を張る彼女に深くは聞かず、先を歩く。

 でなければ背負うことも視野に入れたが、今はその余裕がない。


 ラグロスの目がそこかしこに見え始めた洞穴へ向けられる。

 人が入るには十分すぎるほど大きな穴。縦幅、横幅共に三メートルはある。


 彼が警戒しているのはその穴を出入りする迷宮生物の存在だ。


「あー、居るな……」


 穴の中へ消えていく後ろ姿。特徴的な丸太ぐらい太く長い尻尾を彼の眼が捉える。

 陽光を受け反射する紫の光に彼の顔も歪んだ。


「何が?」

「出来れば避けたい奴だな」

「……私が居るのよ?」

「アンタのことを信頼してない訳じゃない。ただ──」


 セレンの言葉は随分と頼りになる言葉ではあるが、フォレスティアの件を踏まえれば任せきりに出来ない可能性が彼の頭によぎる。


「──要らない危険を買う必要はねぇからな」

「それは否定しないわ。けど、門番でもない迷宮生物に怯える必要ある?」


 むくろの倉庫と呼ばれる横穴地帯。

 ここを潜り抜ければ転移装置までの障害は無くなる。


 今日唯一の鬼門だった。


 骸と名のつく由来は、今ラグロスが警戒している迷宮生物のせいだ。


大蠍アサシンテイラー

「神?」

「門番並、場合によっちゃそれ以上に強い迷宮生物だ。修練もクソもねぇ」

「ふぅん。だから悪意、ね」


 だからと言って、突っ立っているわけにもいかない。

 穴から這い出ては得物を求めて周囲を探す蠍に見つからぬよう、岩陰に隠れながら進み始める。


「天使サマに聞いてみたかったんだけどよ。神なんざ実在するのか?」

「……解釈によるわ」


 居ないという返答ではない。しかし、断言でもない濁した答え。


「解釈、ねぇ」

「……貴方は神をどんな存在と思っているの?」


 フードの奥の金眼がラグロスの目をじっと見据える。

 ちらりとそちらに視線を向けたラグロスは、大蠍に注意を払いながら口を開いた。


「そりゃあ……全知全能──とか?」

「本当に全知全能ならもっとマシな世界があってもいいと思うわ」

「お、おう──そいつはまぁ同感だ」


 実在が信じられず苦笑交じりに口にする。

 そんな彼の答えに、セレンが憎しみを帯びた声で言い放つものなので思わずたじろぐ。


(天の使い。そいつの親分が神さんだっていうなら、こんな奴も居ねぇもんなぁ……)


 恐らく目の前の少女が天使のあるべき姿からかけ離れている確信はあった。

 無論、ラグロスにはお堅い奴よりセレンのような天使のほうが付き合いやすいが。


「じゃあ……アンタらを生み出した奴とかか?」

「それなら居るわね──っと」


 穴を避けるため、もはや崖に近い迂回路をよじ登る。

 セレンは足が辛いとは思わせない程狭い足場を軽やかに飛び移り、地道に崖を登るラグロスよりも先に行ってしまう。一瞬だけ翼を羽ばたかせることで上手く浮遊していた。


「ずっりぃ……──居るのか……天使ってどうやって生まれんだ?」


 人間には出来ない所業をたやすく成し遂げる少女。

 ついセレンを羨んだラグロスが思わずむっとした顔つきで見上げた。


「貴方みたいな単細胞に説明しても分かるとは思えないのだけど……」

「たん──!? ……おう、じゃあざっくりで」


 余りに自然な罵倒に出っ張りを掴んでいたラグロスの手が滑りかける。慌てて出っ張りを掴みして穏便に返事をする。


 ざっくりとした説明をセレンが考える間に彼は崖を急いで登ることにした。


「貴方の言う神とやらが作るのよ。片手間でね」

「片手間も大概だけど、親に言う言葉じゃねぇな──っとぉ。っし、ついた」


 親と子は似るのかと妙な納得をしつつ、ラグロスが崖を一区切りまで登り切る。

 重厚な大剣を背負ってのクライミングは久しぶりだったが、彼の常人離れの身体能力で無理やり踏破していた。


「まだ先は長いわよ」

「うっせぇ」


 横穴地帯はようやく半分といった具合。

 加えて、ここからは歩くのが困難な急斜面。


「アンタこそ大丈夫なのかよ」

「──言ったでしょう。大丈夫よ」

「へいへい」


 見栄か事実か。恐らく前者だとラグロスは分かっていたが、最悪飛べる彼女を過度に心配する必要はない。

 これ以上は言わないようにしようと心に決め、力を入れなおした手を伸ばしてクライミングを再開。


(……やっぱ前より体が軽くなってるよな)


 靴底が柔らかいと足裏全体を使えない狭い足場で活動が困難なため、彼が履いている曲がらない靴底が生きてくる。


 しかし、それ以上の快適さを感じていた。踊り子に居た時は装備重量もあって、苦しいと思うことはなくとも楽と言い切れるほどではなかった。

 体の調子が良いだけで気のせいである可能性も拭えず、今はこの幸運に感謝するにとどめた。



 順調に登山は進み、横穴地帯の出口──安定した足場が見えてくる。


 一足先にそこへたどり着いたセレンが、足を宙へ投げ出してラグロスを見下ろしている。


「遅い。早くなさい、日が暮れるわ」

「好き勝手言いやがってよぉ……」


 踊り子に居た時はラグロスが先に上り切って仲間たちの補助に入っていたのもあり、仕方ないと分かっているこの大差に不甲斐なさを感じていた。


「──!」


 悔しさをばねにしながら彼が次の足場に手をかける。

 

 そこで、


 万が一にも落ちないように注いでいた神経が微細な揺れを感じ取った。


 揺れを感じたのは足の方から、つまり上は安全。

 一瞬で得た認識を元に、安全を捨てたラグロスが一気に崖を登る。


「ちょっと……? 何が──」

「飛びのけ! 崩れるぞ!」

「え──?」


 理解できず呆けるセレンに痺れを切らし、崖を登り切ったラグロスが彼女を腕に抱えて前方に体を投げ出す。


 一拍遅れ、崩落音が響き渡った。


「……──!」


 突然のことに目を白黒とさせつつも、さすがは天使というべきか。すぐさま彼の体から抜け出して臨戦態勢を整える。

 先程セレンが座っていた崖の縁は真下に出来上がった横穴のせいで崩れ落ちている。

 崩れた足場は崖の麓まで転がり、新たな崖を創り上げていた。


 だが、それよりも目を引くのは横穴から飛び出す長く太い紫の尾。


「あー、こっわ」

「……なるほどね。こうやって横穴が出来たわけ」

「来るぞ」


 伸ばしきっていた長い尾をしゅるりと曲げて引っ込めると、今度は後ろ向きに歩いてきた大蠍アサシンテイラーが穴から這い出て崖を登って来る。


「あら、追いかけてくるのね」

「ここの親玉みたいなもんだからな敵なしってこった」

「じゃあ、上には上がいることを躾けてあげましょう」

「……そうだな。我が物顔で歩かれるのもうぜぇ」


 魔力を指に灯し、セレンがルーンを描き始める。

 神の悪意の脅威を知るラグロスにとって、全く臆さない彼女の態度は竦んでいた彼の足を動かすには十分だった。


 遅れて背中の大剣を引き抜いた彼もセレンの横に並び、二人の探索者が大蠍と相対する。


 ラグロスよりも二倍以上大きい体から伸びる尾がゆらゆらと右往左往し、狙いを定め始める。


「セレン。門番の時の奴、頼めるか?」

「……あまり軽率に使う物じゃないのだけど」

「こいつ相手なら十分だっての」

「分かったわ──“貴方の魔力、使わせなさい”」


 電流に似た痺れがラグロスの体を駆け抜ける。

 彼の魔力がセレンに掌握された証だ。


「“チャージ”!」


 前は完全に彼女に操作を委ねたが、今回は彼も行動を起こす。

 いつまでも頼り切りというわけにはいかない。ゆくゆくはこれを自分で出来なければならない。


 だから、出来ることが少しでもあるならばやっていくべきだ。

 その決意を秘め、ラグロスが咆える。


 一度理想の動きを知ったからか、どう動かすべきかについては体が把握できていた。

 無論、いまだ魔力を動かせない彼には何の意味のない思考。


 やることは変わらず、引き上げられた身体能力を目の前の大蠍に叩きつけに行くのみ。


「おらァ!!」


 全速力の疾走から繰り出す振り上げ。

 地を削る大剣が唸り、豪と風が凪いだ。

 そして響くシンバルを思い切り叩いたような炸裂音。大蠍の頭が思い切り跳ねる。


 硬い外骨格に覆われているせいで、与えた傷はどこかにぶつけたようなへこみだけ。

 だが、衝撃はしっかりと伝わっているようで、二つのはさみに守られた口がしゅるしゅると奇怪な音をたて始めた。


「退きなさい!」

「おうよ! っと」


 そこへ、セレンの光の槍が追撃する。

 巨大な体の全身を覆いつくす鎧だけあって、躱すこともままならない大蠍は全ての槍に串刺しにされる。


 さらに追い打ちをかける爆撃に、口から響かせていた奇怪な音が風船から空気が抜けるような情けない悲鳴に変わる。

 さしも硬い鎧も光の爆撃を受けて、ところどころ柔らかい肉を晒していた。


「負けてらんねぇ!」


 剥き出しの所を狙えばラグロスの攻撃も通る。

 足場もマシではあるが、十全な回避をするには不安が残る場所だ。

 畳みかけられるなら畳みかけたい。


 二度目の疾駆。


 だが、大蠍もやられてばかりではない。

 鎧が壊され、その分だけ身軽になった大蠍が尾針で彼を迎撃する。


「──っ!」


 思わぬ速度に対応が遅れ、間一髪滑り込ませた大剣の腹が直撃を防ぐ。

 密度が売りのラグロスの大剣は先程出来た横穴のように貫かれることなく、彼を守った。


 ぎりとめり込むような嫌な音が聞こえラグロスは眉をハの字にする。

 

 だが、彼に文句を言う間もない。

 大剣を通して伝わった衝撃が、彼を後ろに滑らせる。

 立ち上る土煙。


 それを隠れ蓑に、再び襲い来る尾針の追撃。

 ラグロスが十歩かけて詰める距離を紫の尾が一息で埋める。


 大剣は前方に構えている。防ぐことはたやすい。

 しかし、衝撃は変わらない。まるで貫かれたかと疑うほどの衝撃が大剣ごしに彼を吹き飛ばし、地面を滑らせる。

 位置取りもあり、いつのまにか崖の縁に追いやられていた。


「セレン!? やっぱきついぜこれ!?」

「しゃきっとなさい! 私の援護を受けて不甲斐ないところを見せないでくれる?」

「泣き言いってすまん──よっ!」


 理不尽なのは分かっていた。

 だが、こんな所で立ち止まるようではセレンについていくなど毛頭あり得ない。

 その通りだと納得し、ラグロスが三度目の疾駆のために地を蹴飛ばす。


 彼が飛び出すのに合わせ、セレンも光の槍を生み出して援護する。

 彼女もラグロスがリーチの差で苦しんでいることは理解していた。


 故に、彼女が行うのはラグロスを彼の間合いにまで連れていくこと。

 一度目は狙いを集中させていたが、今度は回避を抑制するように槍をばら撒くように発射。


 大蠍は下手に回避をせず、骨格に守られていない頭部をはさみで守る。

 はさみ部分の鎧は他の部位よりも強固で、光の爆発を受けても傷一つ付かない。


「へぇ、悪意と呼ばれるだけのことはあるわね」


 ラグロスが横穴地帯を通る時に見せた警戒具合も、これを見れば納得できる。

 並の探索者がまともに相手をしても蹂躙されて終わるだろう。


 しかし、こと攻撃力に限って言えば二人は十分な代物を持ち合わせている。


「潰れろ!」


 光を目くらましに己の間合いにまで詰めたラグロスがはさみごと叩き割ろうと、飛び上がって大上段からの振り下ろし。


 通常の魔力強化では仕留めきれないと判断したセレンが、振り下ろしの瞬間を狙ってラグロスのチャージによる魔力供給量を増やす。


 彼の肉体が耐えきれる限界を超えているが、一時的であれば問題ないと踏んだ上での判断だ。

 事実、いきなり数倍に増した供給量にラグロスの体が悲鳴を上げても、彼は歯を食いしばるだけで耐えてみせた。


 そして、一瞬で交わされた無言のコンビネーションが大蠍のはさみへ叩きつけられる。


 愚直なまでに一極集中させた力。まともにそれを受けたはさみは一瞬で砕け、骨格の盾を失った頭部へその暴力が襲い掛かる。


 はさみよりも脆い頭部は一瞬で砕け、潰れた果実のように薄緑の液体が弾けた。

 返り血代わりの液体に体を濡らしたラグロスが、戦闘の興奮で抑えられていた痛みにその場で崩れ落ちる。


「──っすぅぅぅ……。はぁぁ……」


 病み上がりというのにこの酷使具合。

 世話になっている医者に知られてしまえば怒鳴られること間違いなしだ。


 激しく脈打つ血流に合わせてじんじん走る痛みと、はち切れそうなほど張っている筋肉の痛み。


 辛うじて繋がっている筋繊維が訴える痛みと、すでに千切れた筋繊維が訴える痛み。


 それらを深呼吸で抑え込み、震える手で大剣を杖にして立ち上がる。

 目の前に転がっている薄紫の大魔石に構う余裕はなかった。


「……やるじゃない」


 門番が落とす魔石と遜色ない大きさのそれをセレンが拾いあげる。

 同時に、ちらりと配られた目線と共に感心した声が放たれた。


「お褒めにっ、預かり……光えいっ──だな」


 彼の魔力を操作しているからこそ分かる──明らかに限界値を超えた肉体への魔力供給。

 人間基準の限界値ではない。多少なりとも常人の域に達してるラグロスの体の限界値だ。


 彼の振る舞いを見るに、このような戦い方を繰り返してきたのは想像に難くない。


 そこまでして奮闘する彼の何かに、セレンの瞳が好奇で煌めいた。

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