ただいま、中層

 一時はセレンが先導して歩いていたものの、道が分からない彼女が先を歩いたところで迷うだけだ。

 ほどなくして先頭を明け渡したセレンは、小気味よく地面を踏みしめるラグロスの足をじっと見つめていた。


「何か、良いことでもあったの?」


 上層に居た頃であればきっと口にはしなかった質問。

 ラグロスという人間に興味を抱いた証だった。


 同時に、彼に少しだけ心を許した証でもある。


 少なからずテンションが上がっていたラグロスが隠していたつもりの内心を見抜かれ、たじろぐ。


「え、なんでそう思うんだ?」

「……何故って、そんな重そうな靴を履いてる割に随分早く歩くもの」

「…………なるほど。そいつは気付かなかった。へっ、よく見てんのな」


 納得した彼が微笑み、鼻下をこすった。

 観察されていたことは少しだけむず痒いが、悪い気はしなかった。


「──っ、足音がうるさかったのよ」

「あー。そいつはすまねぇけど、我慢してくれ」


 ぎろりとフードの奥の瞳から放たれた視線の圧がラグロスを襲う。

 思っていた理由と違ったことに少しだけ落胆しつつ、苦笑した。


 流石に足音を気に掛ける余裕はラグロスにない。

 せいぜい調子に乗らないよう注意するだけだ。


「……仕方ないことなのは分かってるわ」

「すまん。──ちょっと嬉しかったんだ」

「嬉しい……? あぁ、スキルのこと?」

「それもそうだけどっ──」


 ラグロスが天を見上げる。

 ここ一年強、何度も見上げた空だった。

 果てしなく、終わりの見えない空だった。


「──ここに来るとき、いつも憂鬱だったんだ。俺らのパーティは中層で足止めを食らい続けたし、その理由の大半は俺にあったからよ」

「……貴方、特別弱い訳じゃないでしょう?」

「天使様からそういってもらえるのはありがてぇけど、“チャージ”一本だとオーバーチャージに頼ることも多くってさ、体が持たねぇのなんのって訳」

「そうね。人間がそんなことをして長い間戦えるわけないわ」


 鈍重な分攻撃に参加していたラグロスが“チャージ”を使えなくなれば探索は続けられない。

 踊り子で上層に居た頃は一日中していた探索も、中層からは半日しか持たなくなってしまった。


 稼ぎが増えても一日に進める距離は限られる。

 中層からは転移装置間の距離が延び、場合によっては野宿も必要になる。

 しかし、常に無理をしているようなラグロスの戦い方では一日以上迷宮に潜れなかったのだ。

 筋肉痛に苛まれる体を休ませ、万全を維持するにはどうしようもなかった。


「だからさ、足を引っ張らなくて済むようになったってのは俺に取っちゃ──無茶苦茶嬉しいんだ」

「……ふぅん」

「感謝してるぜ、セレンさんよ」


 満面の笑みを浮かべたラグロスが、心の底からの感謝を述べる。

 セレンは呆けたように彼の顔をしばし見つめると、フードを深く被り首を横に振った。


「──対価は貰ってるもの。貴方に感謝される筋合いはないわ」

「感謝ってのはしたくてするもんなんだよ」

「そ。なら、好きなだけすればいいわ」

「ああ、そのつもりだよ」


 フードの上端を指でつまんだまま、セレンが肩を竦める。

 フードの闇に隠された彼女の表情はラグロスからは見えないものの、満更でもなさそうなのは彼にも分かった。


「……それより、今日はどこまで行くつもりなの? ずっと歩いてるけど」

「そりゃ勿論あれだな」

「……本当に?」


 ラグロスが指さしたのは第二の山の頂点。

 彼らが居るのはまだ転移装置があった山の中腹に過ぎないので、時間に換算すれば今日中に間に合うかどうかという距離だ。


「飯は持ってきた」

「そ」


 にやりと笑い、背嚢を叩くラグロス。

 負担が大きいのは人間であるラグロスの方なので、セレンは淡白な答えを返すに留めた。


 中腹と言えど、標高千メートルは超えている。

 撫でるどころか彼らに叩きつけるが如く吹く風は、障害物もないため彼らの、特にラグロスの体を冷やしていた。


 無論、彼も分かっていたことだ。

 普段と変わらぬ防具の下に、風邪を通さないよう保温性の高い薄手の服も着込んでいる。

 加えて、山登りのための登山靴も一年前から愛用していた物を引っ張り出している。


 どちらも通気性は最悪だが、どんどん悪化していく足場の悪さと外気に対応するためには必要な装備だ。


(あー、動きづれぇ)


 登山靴の重さと靴底の曲がらない硬さ。

 久しぶりの感覚にラグロスは内心毒づく。


 だが、岩や石がごろごろとしているここでは確実に歩きやすい。

 そこで彼は靴と呼べるかどうか怪しいものを履いている少女のことを思い出した。


「なぁ。何だかんだ太陽も登ったけど……その靴、疲れねぇのか?」

「何が?」

「なんもねぇなら良いけど。それ、明らかに山で使える靴じゃねぇだろ」


 少女ことセレンの足元を見やる。

 ローブから覗かせる白の細足を半分ほど晒している白のミュール。


 足の甲はほとんどむき出しで、石ころが当たるだけでも痛いだろう。

 せいぜい平らな地面を歩くことしか想定されてないであろう靴底の柔らかさも含め、ヒールのせいでつま先にかかる負担も計り知れない。


「気にすることじゃないわ。私を誰だと思ってるの?」

「……」


 天使であれば問題ないだろうとラグロスも思っていた。

 だが、フォレスティアによって切り刻まれたセレンの体を見てしまっては楽観も出来ない。


 確かに常人からは遥かに離れている。

 しかし、死なない訳ではない。傷も負えば痛みも感じる。


「分かった。けど、辛いなら言えよ」

「……ええ」


 気にならないと言えば嘘になる。


 納得は出来ないラグロスが未練がましく少女のミュールを見下ろし、やがて視線を前へと向ける。

 帰ったら彼女の新しい靴を用意することを決心して今はそれ以上言うのは止めた。




 *



 彼らの登山、下山道は異変も起こらず淡々としたものだった。

 迷宮生物が出なければ険しいハイキングに収まるのだから当然だ。


 ラグロスがセレンの目的を最優先にしているためでもある。


「あそこの人間達、何をしているの?」

「あれか。この辺だったら、山嶺苔さんれいごけ集めてるじゃねーか? 緑ばっかだし」

「……山嶺苔」


 セレンが小声で反芻はんすうする。

 探索者があのような採取業に勤しむこともあるのは知っていたが、上層では採取目的の探索者が避けるルートばかり通っていたため、目にするのは初めてだった。


「軟膏の材料。効き目良いんだぜ? 多分セレンも使ってる」

「私?」

「フォレスティアの時の傷、応急処置はされたんだろ? 止血には便利だから俺も含めて探索者は大抵持ってる」

「へぇ」


 セレンの荷物は皆無に近い。

 ゼロではさすがに怪しまれるからとラグロスが持たせているベルトポーチだけである。


 その中身もラグロスが入れたままだった山嶺苔の軟膏とナイフだけ。


「私も何かしら持っておくべきかしら?」

「お、興味持ったか? いくらでもあるぜ?」

「──やっぱり却下よ。荷物持ちは貴方で十分だわ」

「……へーい」


 重い登山靴を履いているので、少し持ってくれるだけでも助かる。

 ラグロスが目を輝かせるも、手を突き出して拒絶を示すセレンにあっさりと否定され、肩を落とした。


「……貴方は採らなくていいわけ?」


 再び先を行くラグロスの背に、セレンが間を開けて尋ねた。

 彼女の声は小さく、迷いにも似た感情が含まれていた。


 セレンの目からは見えない彼の口が弧を描く。


「踊り子に居た時は寄り道してでも集めてたよ。いくらでも売れるからな。けど──」

「……」


 ラグロスがくるりと反転する。セレンの視界に柔らかく笑うラグロスの顔が映った。


「今は仕事だからな。心配ご無用ってこった」

「心配なんてしてないけど……。そう、ならさっさと進んで頂戴」

「そりゃ勿論」


 前を向いたラグロスは背中に突き刺さる鋭い視線の気配に苦笑する。

 フードのせいで表情はよく見えないが、分かりやすい奴だと改めて思っていた。

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