中層:岩山の晴雨

退院

「これからどうなんだろ」


 病院のベッドでラグロスが呟く。

 カーテンを開けて、窓の視界を確保すれば海が見えた。


 晴れでもなく雨でもない暗雲の下。遠くに映る大海原の広さの如く、道標がない彼のこれからは未定だ。


 当初の目的であった上層の攻略は終わった。

 セレンの目的は達成できていないが、中層からはラグロスも活躍できるか微妙である。


 今後の話についてはまだ出来ていない。

 門番を倒してすぐに動けなくなり、避難していた探索者の手で病院に直行。

 セレンと話をする機会はなかった。そして、入院中も彼女と顔を合わせていない。


 せめてフォレスティアを倒す時に使ったあの力をものに出来れば。

 その思いが彼の中で渦巻いているが、ベッドで寝たきり。練習など出来やしない。


「ラグロスさーん、おはようございまーす!」


 少しだけ開けられていたカーテンが全開に。

 同時に飛び込んできた声を聞いて、ラグロスが煩わしそうに顔を上げた。


 室内と同じ白を基調としたナース服の金髪看護師が、右手を斜め上に伸ばして仁王立ちをしていた。

 右手が伸びているのはカーテンを開けたためだ。


 兎人とじんである彼女は、頭の上にある団子にした髪を特徴的な兎耳で挟んでいる。

 それをぴょこぴょこと動かしながら、満面の笑みを浮かべていた。


「……おはようございます、ラミィさん。でも、カーテンは開けなくていいと思うんです。あと、周り」

「大丈夫です! 探索者さんは丈夫ですから、多少眠れなくてもモーマンタイです!」

「ここ、丈夫な探索者が丈夫でいるための場所では?」

「ラグロスさんは特別丈夫ですから!」

「……そっすね」


 ラグロスはまともに会話するの諦めた。

 否、かなり前から諦めている。今の抗議はダメ元に過ぎない。


 ラグロスが居るのは四人部屋。他三つのベッドに居る探索者もすでにラミィについては諦めていた。誰も声を上げないのがその証拠だ。


「それよりっ! おめでとうございます! 今日で退院ですよ!」

「聞いてます、聞いてるんで。だから静かにしてくだ──」

「元気な患者さんにベッドは要りません! 即刻、退院をお願いします!」

「アフターサービスはどこだよ」


 布団を剥がされ、さあと言わんばかりに部屋の出口へ腕を伸ばすラミィ。

 何度かお世話になっているので、よく知る対応。

 だからどうしたと言わんばかりの勢いにため息を吐きつつも、ラグロスは素直に従った。


「あ、荷物」

「それも大丈夫です! 昨日お連れさんに頼みました!」

「お連れさん……あ、ルーツェ?」

「いえ! セレンさんとおっしゃる方でしたよ!」

「……セレンが?」


 先を急ぐ彼女のことだ。とっくに中層の攻略に乗り出していると思っていた。

 加えて、お連れさんとラミィが口にしているということは一度ここに来ているということ。

 しかし、ラグロスはセレンと会話した記憶はない。


「──セレンは何か言ってました?」

「あ、そう言えば伝言を預かってました!」

「……」


 忘れていたのか。その突っ込みをラグロスは紳士として口にしなかった。

 口にしても、おそらくセレンには鼻で笑われるだろうが。


「えーと、“憩い場で待ってるからすぐに来なさい”だそうです!」


 ポケットからメモ用紙を取り出したラミィが、そこに書かれている一文を読み上げる。

 ラミィの、元をたどればセレンの言葉を聞いたラグロスは顔がにやけてしまうのを隠しきれなかった。


「気持ちわるー」

「……」


 若干トーンの下がった素直な嫌悪を耳にし、彼のにやけ顔は一瞬で引っ込んだ。

 そして、ラミィの頭に拳骨を一つ。


 絵面はただの拳骨だが、探索者の強化された能力が落とす拳骨は洒落にならない威力をしている。

 直撃を受けたラミィは途端に頭を押さえて屈みこんだ。


「いっったぁ! ちょ、ちょっと! お団子が潰れちゃいますよ!?」

「んなもん潰れとけ」


 敬語を使うことすらやめたラグロスは痛がる彼女を置いて部屋を出ていった。



 *


「遅いわね……」


 まだ“準備中”の看板が掛けられている北国の憩い場。

 その店内でセレンがすっかりお気に入りになったミラクルサワーをちびちびと飲んでいる。


 グラスの縁に添えつけられている白い実はまだ食べられていない。つまり、酸味が強すぎる液体をそのまま飲んでいるのだ。


 口に含む度酸っぱさにきゅっと頬をすぼめるが、何故か飲み続けている。


 ただの酸っぱい液体の何が気に入ったのかは提供側のアリエルは知らない。

 しかし、数日程暇つぶしにここを訪れ、半分近くをこうやって飲んでいる彼女を見るのは飽きなかった。


「そー? まだ朝日が昇ったばかりよ。店も開いてないし」


 開店の準備を進めながらアリエルが、セレンの呟きを拾う。

 まだ店が開いていないのにセレンが入り浸っているのはアリエルの意向だ。

 どうせ、午前に人が来ることはほとんどない。数少ない常連が来るのは午後以降だ。


 なら、暇を持て余しているローブの少女と付き合うのは悪くない。

 アリエルの娘よりは幼いが、あまり娘と会話できる機会がなかった彼女にとって楽しい時間だった。


「病院の人が言ってたわ。すぐに布団を剥がして追い出しておくって」

「……それ、一応患者さんのラグロス君に悪いんじゃない?」

「問題ないわ。ただ体を酷使して力尽きただけだから」

「……そう、かしら?」


 アリエルが思うより、ズレた思考をしているセレン。

 流石に反応に困り、曖昧に頷くアリエルの口からはたどたどしい声しかでない。


「ええ。ちゃんと報酬も出してるし、文句を言われる筋合いはないもの」

「そっかぁ……」


 確かに、お金の都合がと店に来ることが少なかったラグロスがセレンの分も奢った上で来店している。

 その意味をアリエルは理解している。


 また、セレンはお金の概念をよく分かっていない。

 彼女の支払いはそれを察したアリエルがラグロスのツケにしていた。


 謎に包まれたローブの少女についてアリエルが踏み入ることはない。

 客である以上、一定のマナーが守られている以上、彼女はどんな人であれ対応するつもりだった。


(さって、そろそろ開けようかしら)


 粗方の準備を終えたアリエルが扉前にかけた“準備中”の看板を外すため、ドアノブに手をかけた。

 扉の上に添えつけられたベルを鳴らしながら、外に出る。


「あら」

「わっ、──おはようございます。アリエルさん」

「おはようラグロス君。体はもう大丈夫?」


 すると、丁度ドアノブに手を伸ばそうとしていたラグロスの姿が。

 驚きつつも丁寧にあいさつをするラグロスにアリエルも応え、見かけ上は問題なさそうな彼の体調を案じた。


「……まだちょっと痛みますけど、探索に支障はないです」

「強くは言わないけど、無理しちゃだめよ? まだ若いんだから」

「大丈夫ですよ。セレンも居ますから」


 上層最奥で起きた異変。その途中の異変も含め、セレンと居る時に限って何かが起きていることにラグロスは勘づいている。

 それを踏まえてもセレンの力量は圧倒的で、ラグロスが“チャージ”をにするためにも彼女についていくのが最適解だ。


「……そこが心配なんだけどね? ──よしっと、セレンちゃんも待ってるから入ってきてね」

「…………?」


 先程の会話からもラグロスをセレンに任せてもいいか不安なアリエルはほんのりと眉をひそめて苦笑した。

 彼女の小さな呟きを聞き取れず、店に戻っていくのをラグロスは頭を捻りつつも追いかける。


「おっす」

「……遅いわ」

「──まだ本調子じゃないからな」


 これでも急いだほうだ。そう言いたいのを飲み込む。


 ラグロスのこれからは目の前の少女にかかっている。彼自身は力をつけるためにも同行するつもりだが、彼の意思は関係ない。

 下手にへそを曲げられて困るのはラグロスの方だ。


 しかし、この調子であれば問題ないとも思っていた。

 仮に、彼を置いて先へ行くならばここで待っているとは思えない。


「ふぅん。悪いけど、まだ貴方には働いてもらうから」

「あぁ、探索に支障は出さねぇよ」


 ぶっきらぼうな言い方ではあったが、まだ途絶えていなかった希望に、病院の時と同じくにやけた顔を抑えきれなかった。

 言動と表情が一致していないラグロスを見て、セレンが怪訝な表情を浮かべる。


「何よ、気持ち悪いわね」

「……ほっとけ」


 一度言われているのもあって多少自覚があるラグロスは否定せず、顔を背けるにとどめた。

 ふいと横を向いているラグロスの横顔をセレンがじっと見つめる。


 妙な視線を感じた彼が顔を動かさず、目だけを前に持ってくると頬杖をついたまま観察してくる少女の姿を捉えた。


(……な、何してんだ?)


 セレンの考えを読み取れず、ラグロスは彼女の奇妙な行動から顔を背け続けた。

 今は感謝の方が大きいが、また面倒な命令を下されてはたまったものではない。


「本題に入るわ。アリエルに中層に行くことを伝えたらあそこは大変って言われたの」

「……」


 ラグロスがセレンに入れ知恵した主を見やる。

 憩い場の店主はにこにこと二人を眺めていた。


 よく分からないが、彼女が一人で行かなかった理由に貢献しているのは事実らしい。

 内心で感謝しつつラグロスが頷いた。


「ああ、嫌でも時間がかかるからな」

「嫌でも?」

「説明が難しいんだけどよ。一日で行ける範囲が決まってんだ」

「時間的な話ではなくて?」

「……寝なくてもいいアンタは問題ないかも知らねぇけど、……俺らはなるべく野宿は避けてる」


 ラグロスが一部を小声で話す。

 アリエルがばらすなどとは彼も思っていないが、彼女を追っている者もいるため余計なことを知らせる必要もない。


「貴方も一日寝ないだけでゾンビみたいだったものね」

「ゾンビは言いすぎだろ……まぁともかく、夜には帰ってきて休むってのがルーティンな訳」

「それで?」

「んで、中層はその寝ている時間ぐらいにがらっと変わるわけだ」

「…………?」


 ラグロスの説明では理解できずセレンが首を傾げる。

 説明した彼もこれでは分かりにくいと話し方に頭を悩ませた。


「今日はだし、一度行ってみたらいいんじゃない? 中層の最初はその方が楽だもの」

「アリエルさん、詳しいんですね」

「これでも主人は探索者だったもの。私もそれなりに通なのよ?」

「へぇ」


 今は祖国にいるらしいアリエルの旦那が探索者に関する仕事をしていたことはラグロスも知っていた。

 しかし、その彼が過去に探索者だったことは聞いたことがなかった。


「晴れ?」


 セレンが窓の外を見やる。

 天気は雨こそ降っていないが、確実に晴れでないと言い切れるほど空を覆い隠す曇り空。


「そっちの天気じゃねえよ」

「じゃあどこの……ああ。そういうこと?」


 そっちではない。彼の言葉で勘づいたセレンが目を開いて淡く微笑んだ。

 普通ならばあり得ないが、こと神の迷宮においてはありうる。


 理解を得られたラグロスも微笑み返す。


「ご想像におまかせってことで。もう行くか?」

「そうね。暇だったしさっさと行きましょう」

「おうよ。──アリエルさん、支払いはこれで。多分ご迷惑おかけしたので釣りは良いです」

「はい、ありがとね。二人とも、頑張ってらっしゃい!」


 ラグロスのがカウンターに滑らせた銀貨三枚を受け取り、アリエルは二人に手を振って見送る。

 ツケの分も合わせれば大した釣りが出ないことは口にしなかった。



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