閑話・見舞い

 早朝。

 風の踊り子が利用している宿、潮の風見鶏のエントランス。


 店主が好きだからと、窓辺に吊るされた風鈴がちりんちりんと澄んだ音を響かせている。

 同じくその音が好きな踊り子のリーダー、リットは窓辺の傍にある休憩椅子で朝刊を読んでいた。


(門番の異常個体……原因は不明、か)


 異常個体。

 従来の個体と違う特殊な能力、もしくは純粋に強化された能力を持つ迷宮生物の呼称だ。


 迷宮内でもまれに出くわすことはあり、可能であれば戦闘を避けた方がいいと言われる類のもの。

 倒すことが出来れば珍しい魔石を落とすこともあるので、それらを積極的に狩る探索者も存在していた。


(確率的にはありえなくもないか、門番の個体数は普通の迷宮生物より多いし)


 避けるにしても戦うにしても選択肢がある分には問題ない。

 しかし、奥に進む上で倒さなければならない門番となると話が変わる。


 普段以上のリスク、情報とは違う能力。まともに戦うメリットがデメリットよりもはるかに小さい。


(それと……たまたま居合わせた中層探索者により撃破。もしかしてルーツェは──)


「リットくーん! おはよー!」

「ん……チリー。おはよう」


 繋がりそうだった線は上から降って来た元気な声に遮られる。

 声の主ことチリーが対になった桃色のおさげを揺らして、階段を駆け下りてくる。


「何読んでるのー?」

「朝刊」

「知ってる……でも、難しい顔してたよ?」

「ほんと?」


 チリーを心配させないよう、異常個体に関する記事をさりげなく隠してリットがとぼける。

 しかし、彼らの付き合いは幼いころからの長いもの。

 さりげなく後ろ手に回した朝刊を彼女がさっとつかみ取る。

 鮮やかな拝借ぶりだった。


「ちょっと」

「何見てたのかなーっと……」


 シーフィルの新聞は主に探索者向けの情報が多い。

 大きく書かれた見出しとその内容をさらりと読んだチリーは、頬を膨らませてリットに新聞を突き返した。


「もうっ、心配しすぎだよ! 門番だったらすぐにおかしいことは分かるでしょ!」

「ちゃんと読んで。今回は複製体の数が尋常じゃなかったってやつ」

「だから?」

「これが分かるときなんて、もう囲まれてしまった時でしょ。場合によっては手遅れになりかねないよ」

「そっか……」

「早いですね、お二人とも」


 何度か頷いて納得するチリーの後ろからドーレルがやってくる。

 踊り子で唯一家庭を持っている彼はもう中年で、若くはないが、経験の点では一番秀でている。


「おはよ! ドーさん!」

「おはようドーさん」

「ええ、おはようございます。何か珍しいことでも書かれてましたか?」

「読んでみて!」


 チリーから突き出された朝刊を受け取り、一通り目に通す。

 二人の話題がこの異常個体であることをドーレルがすぐに理解した。


(上層を探索していた中層到達者。時期的にも一致していますが……)


 さらに、最後にさらりと書かれている中層探索者の文面も見かけ、リットと同じ予想に行きついていた。


「なるほど、私たちも多少は気を使う必要がありそうですね」

「えー。ドーさんもそう思うの?」

「警戒するに越したことはありません。今までなかった事例とはいえ、理論上は起こりえることですから」

「そっかー……」

「それより、今日はですよね。探索の方はどうしましょうか?」


 ドーレルがリットに尋ねた。

 しかし、宿の窓から覗く空は雲一つない快晴だ。とても雨が降る天気には見えない。


「あぁ、ごめんよドーさん。今日は休みにする予定なんだ」

「はい?」

「え? 一昨日休んだばっかだよね? どうして?」


 ドーレル、チリーの二人はその件については知らなかった。

 予定を変更したリットも朝刊を読む前までは探索活動のつもりだった。


「今日はルーツェの都合が悪くてね、だからお休み」

「……そうですか。ちなみに、病気などではないですよね?」


 にこ、とはにかんだリットが細やかな灰髪を揺らす。

 中性的な顔たちも相まって、美少年と呼ぶにふさわしい。


 奥へ進むことも重要だが、それ以上に稼ぎを得ることも必要なドーレルが尋ねる。

 リットの笑みで毒気こそ抜けたが、ドーレルは家庭を持っている。連日となれば無視できない。


「ううん。違うよ、友人のお見舞い」


 リットが意味ありげに微笑んだ後、ドーレルが持つ新聞に視線を向けた。


(人見知りなルーツェさんの友人と中層の探索者……)


 二つを結ぶ。

 察しの良いドーレルはその意味を理解して頷いた。


「……なるほど。──それなら仕方ありません」

「ちょっと、どういう意味なの?」

「ん? 内緒。暇になったし、組合に行こうかな。チリーも来るよね?」

「えー……あ、行く!」


 チリーだけは彼らの会話に含まれた意味を理解できず、曇った顔をしていた。

 しかし、リットに煙にまかれて彼女の頭からその悩みはすぐに吹っ飛んだ。



 *


 シーフィルの大通りが伸びる東街、探索者絡みの物で栄える場所に建てられた探索者専門の病院。

 窓から吹く潮風がラグロスも居る四人部屋に流れ込む。

 クリーム色のカーテンが潮風に揺らされ、ラグロスの隣で丸椅子に腰かけるルーツェに触れた。


「あたし達と居た時でも入院することなんて、年に一度ぐらいだったよね?」

「……そうだったけか」

「そうだった」


 無表情のまま嫌に迫力のある物言いでルーツェが尋ねる。

 普段は口数の少ない彼女が饒舌で、ラグロスも戸惑っていた。

 しかし、彼女の断言ぶりに口をつぐむことしか出来ない。


 基本的に怪我ばかりする彼も病院の世話になることは少ない。彼女が正しいことも知っていたが、肯定もし辛く、言葉を濁した。


 フォレスティアの異常個体。従来の物と違い、偶発的でないもの。

 その討伐で至ったラグロスの新たなステージ。


 自分ではまだ微塵も出来ないが、可能性を実感するには十分な能力だ。

 無論、肉体に負荷をかけという荒業を自分で行えない代償もあった。


 それがラグロスの入院に繋がっている。


 筋繊維が千切れる。いわゆる筋肉痛を全身にかつ、一日では到底治らない規模で引き起こしていた。

 一部ならまだしも、身じろぎするだけで痛みが走っては流石に探索も出来ない。


 そもそも歩くことすら出来ない。三日程病院の世話になる予定だった。


「……聞いてくれ、ちょっと無理しただけのつもりだったんだよ」

「つもり、ね」

「別にルーツェには迷惑をかけてねぇだろ? 踊り子の時に怒られたのは分かるけど」

「でも──セレン、さん? その人には迷惑かかってる」

「──あれだけ敵視しておいてよく言うぜ」


 ラグロス自身ルーツェを冷たく突き放したつもりだったので、わざわざ看病に来てよく分からない文句を言う彼女の気持ちを全く理解できない。

 しかし、意趣返しのようなものと考えれば納得もいった。


「それは……」

「あー、俺が悪いんだから気にしなくていい」


 つい口にした失言を謝罪する。

 勝手に抜けたのはラグロスだ。それによってルーツェとのを反故にしたのも分かっている。


「……セレンさんの手伝い──大変?」

「はは、確かに大変だぜ?」

「なんで笑うの? 大変なのに」

「……そりゃ勿論──」

「……?」


 金払いがいいからと雑に流そうとしたラグロスの言葉が止まった。

 止まる寸前まで落ちなかった勢いがなくなり、ルーツェが首をかしげる。


(放っておけなかったから、可愛かったから、俺が強くなれそうだから……。思ったより色々あるな)


 考えてみれば一つ一つは小さくても、絡み合えばそれなりの理由にはなっていた。

 あの時、セレンに身を委ねて暴れられたのはこの絡み合ったモノのお陰だと今更ながらに気付く。


「……金払いがいいからだよ」

「そう、なんだ」


 彼が言った言葉も嘘じゃないのも事実らしいが、何かを隠していたのはルーツェにも分かった。

 けれど、ここで問い詰めようとも思えなかった。


 複雑そうな何かを抱えているのに、久しく見なかった心の底からの微笑みを見てしまった。

 嫉妬はあれど、彼が楽し気に笑っているのを見れるのはルーツェにとってもいいことだ。

 いつからか楽し気に笑うことが減った彼が変わったのだから。


「ああ、後さ」

「なに?」

「踊り子、新しい奴は来たか?」

「ううん、誰も」

「じゃあ、ちょうどいいや。その枠空けといてくれよ」


 都合の良い頼みであることラグロスも承知している。

 けれど、この力をものにすればきっと──その実感を得た今、彼が失っていた自信を完全に取り戻せた。


「……戻って来るの?」

「あぁ、今の──セレンの仕事を片付けてからだけど」

「……どうして急に?」

「見つけたんだ──いって……」


 ラグロスが拳を握る。

 その行動だけで彼の全身に激痛が走る。その痛みさえも今は嬉しかった。


 今の情けない姿も、彼の目標である魔圧に耐えられる体へ繋がっている。

 とっくに達してしまったラグロスという探索者の天井。その先があることを知れた。


「……何を?」

「新しい力的な奴」

「スキル!?」

「いーや、俺のスキルはチャージ一本だよ。多分、変わんねぇだろうな」

「じゃあ、何?」


 にっとラグロスが口端を吊り上げて笑う。

 新しいスキルを得た探索者の気持ちが分かった気になれた。


「内緒だ。戻るときに教えてやるよ。まぁ、今こうやって体を痛めつけてんのもその一環みたいなもん」

「……ラグロスってそういう──」

「違う!」

「……大丈夫。そんなラグロスがセレンさんに見放されてもあたしは──」

「だから違うって!」


 外傷は少ないが、体を痛めつけているとにこやかに言われ、ルーツェが誤解を深めた。

 なまじ真剣に心配してくれるせいで誤解はより加速してしまう。

 それから彼女の誤解を解き、納得してくれるまでラグロスの抗議は続くのだった。




*************


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