諸刃の剣と剣の担い手

 セレンたちが黒門の奥に消えていったのを見送ったラグロスは、未だその場に残っていた。

 彼女が失敗する未来は見えない。


 心配するのもおこがましい。

 なのに。


 拭いきれない違和感が、

 抑えきれない不安が、

 彼の足を縫い留めていた。


 時が経ち、黒門が開かれたことで彼の懸念が現実へと変わる。

 この門が内部から開くのは撤退するときのみ。何かしらの異常があったことを示している。


 時間をかけて黒門を開けた短剣使いとラグロスが鉢合わせる。


「アンタ……」

「……すまないっす。フォレスティアの複製体が……」


 四人でここまで来ている時点で彼らの実力を彼は疑っていない。

 ラグロスが黒門の外から広間を覗き込むと、動けなくなったリーダーと大盾使いを引きずる魔法使いが最初に目に入る。

 ずいぶんとボロボロな彼らの様子に驚くも、すぐさま目に入った大量の複製体に彼は目を疑った。


「はぁ? なんだあの数」

「おかしいっすよね!? 多くて十体って聞いてたのに、その何倍もあるじゃないっすか!?」

「……どうなってる?」


 それだけの数を謎の光剣を生み出し、余裕で相手取るセレンも大概だったが、明らかな異常だ。

 彼らが傷を負ったのも数の暴力にやられたせいに違いない。


「とりあえず、セレンの方は余裕がある。あいつらを引いて来い」

「言われなくても!」

「……俺は入っていない、よな?」


 助けたいのはやまやまだが、五人健在な以上ラグロスが中に入る訳には行かない。

 そこまで考えてラグロスが首を傾げた。


 この異常は大広間に六人以上で入った時と酷似している。

 数こそ、その異常をさらに超えているものの、状況は同じだ。


 つまり、迷宮が探索者にズルをするなと言外に伝える時のある意味正常な異常。


 ラグロスは門の外で待っていただけ、ズルなど彼らもしていないように見えた。


(じゃあ、どうして……──)


 蒼のアーチのキラーフィッシュ。石飛びの大河のサーフェイスランナー。

 あの時も感じた違和感。

 既視感が点と点を結びつけ、ラグロスの中で線となって答えが浮かんだ。


(セレンのせい……?)


 迷宮がセレンを天使と気付いているのかもしれない。

 あの力を迷宮が看過するとは考えにくい。ただの妄想に過ぎないが、セレンと居る時に限って遭遇した異常を鑑みれば十分にあり得る仮説だ。


 もしそうであれば、もう人数の問題を気にする必要はあるのか?

 自問するも、答えなどでない。それは迷宮のみぞ知ることだ。

 事情はともあれ、このままいけば全員撤退できる。


 セレンと組んだ探索者達には不幸だったと言う他ないが、とりかえしのつかない事態は避けられた。


 セレン以外がなんとか撤退しているのを視界に収めつつ、遠くからでもよく見える巨大魚とセレンの戦いを見逃さぬよう睨む。


 丁度巨大魚が咆え、突進を仕掛けるところだった。


「……セレン!?」


 薙ぎ払われた巨剣がフォレスティアに効かなかったのも謎だったが、それ以上に、セレンが攫われたことへ焦りを募らせる。


 いくらセレンといえど、フォレスティアに捕まっては打つ手がない。

 あれは、内部からではどうにもならないのだから。


「──どけ!」

「わっ、何するっすか!?──それに今入っちゃ──!」

「うっせぇ!」


 大広間の制限などを無視したラグロスが地を蹴り、疾駆する。

 彼と入れ違いで大広間から出ていく探索者たちから制止の声が聞こえた気がしたが、無視してスキルを唱える。


「“チャージ”!」


 それに伴い、鞄をまさぐって用意していた雷魔石を手に収めた。


 血に染まった巨大魚の体を睨みつける。

 時間はないと焦りながら腕を振りかぶる。


 魔圧が体に負荷を与えてくるのを実感しながら、強化された筋力を生かして投擲。


 常人ではとても届かない距離から投げ放たれた雷魔石が宙を流れる小川さえも貫き、一条の雷となって空を駆けた。


 朱に染まった水に発光する雷の素が入水。

 一瞬で伝播した電流がフォレスティアの操作を僅かに妨害する。


 巨大魚の姿が崩れることはなかったが、水の性質変化を留めることには成功する。


「──!」


 その隙をついたセレンが血濡れながらも巨大魚から抜け出した。


「セレン!」

「──貴方、どうして……!?」

「話はあとだ! 逃げ──っち!」


 セレンの元に駆け寄ったラグロスが反転すると、逃げ道を塞ぐように複製体の群れが立ちはだかっていた。


 ラグロスに傷だらけでお荷物に等しいセレンを庇って逃げる余裕はない。

 ひびの入った翡翠の宝石を見るに、強行突破も不可能ではない。


 態勢を立て直したフォレスティアと複製体の群れの包囲網がじわじわと狭まるなか、必死に考えを巡らせる。


(フォレスティアは瀕死。あと一撃叩き込めればやれるはずだ。けど、セレンの攻撃は効いてない。もし、天使を許さないってなら俺がやればいけるか? ……いや、この数を凌ぎながらは──)


「──ラグロス」

「……」


 悩むラグロスの思考をセレンの澄んだ声が中断させた。

 血濡れかつ局部は隠れているが、切り刻まれた服はほとんど裸に近く、見ていて痛々しい。


 だからこそ──傷に塗れてなお、力強い声と瞳に見据えられたラグロスが声を失う。

 微動だにしない金の瞳がラグロスの呆けた顔を映しだす。


 そして、ラグロスの黒瞳に映る気高き少女はゆっくりと口を開いた。


「私に……命、預けられる?」

「何言ってんだよこんな時に」

「こんな時だからよ」

「……手短にな」


 悠長にしている暇はないのに、傷だらけの少女はラグロスの目を掴んで離さない。

 しかし、それを堪能する余裕もない。

 彼女の口から紡がれる提案に耳を傾ける。


「ちょっと指をやられてルーンがかけないの。──だから、私の武器になってくれないかしら?」

「おう、ずいぶん上からだな」

「当たり前でしょう? 貴方は私の奴隷だもの」

「……」


 死にかけのセレンが何故か楽し気に淡く笑みを浮かべる。

 奴隷であれば躊躇なく命令すればいいだろ。そう言いかけた言葉をラグロスが飲み込む。

 相変わらずちぐはぐな行動をとるセレンが彼には分からなかった。


 だが、命を預けること自体はやぶさかではない。

 彼女を見捨て、この場を脱するのはここまで来てしまった今では不可能。


 それに、そんなことをしてのうのうと生きていられる自信もなかった。


 恐怖はあるが、探索者を続けられないなら貧困に窮する家族を助けることも出来ない。

 セレンに対する恩だって何も果たせていない。


 自分とどこか似ているように見えた彼女を見捨てられなかった。


 ──もっと単純に言うならば、惚れた女が儚く笑っているのを見捨てられなかった。


 それ以外など、建前に過ぎなかった。


 じりじりと、死刑宣告が如く包囲網を狭める迷宮生物達。

 覚悟を決める。どうせ、やることはさほど変わらない。なら、あのいけ好かない魚をぶっ飛ばすぐらいはしたいだろう。


 ──そんな楽観的な考えを胸に、不安と恐怖を吹き飛ばしたラグロスがにっと口端を吊り上げる。


「──そうだったな。じゃあ、存分にやってくれ」

「……いいの?」

「聞いておいて何言ってんだよ。時間がねぇんだから早くしろ」

「……。──ええ、勿論よ」


 儚い笑みに活力を取り戻したセレンが小さく息を吸う。


「“貴方の魔力、使わせなさい”」


 息が吐き出されると共に、淡白な命令が下される。

 ラグロスの体を痺れが駆け巡り、強烈な違和感にも襲われた。


 自分の体が自分の意思以外で動く感覚だ。

 しかし、彼の体は動かない。動いているのは彼の魔力だ。


 更に、その魔力の動きには呆れるほど見た既視感があった。

 彼が何度も使い、飽きなど通り越すほどに使いまわしたルーティン──


 “チャージ”の動きそのものだ。


「悪いけど、体が壊れるのは諦めて。あと──かなり痛いわよ」

「……あぁ、わーってるよ!」


 魔力の動きとセレンの言葉で彼女が何をしようとしているかをラグロスがようやく理解する。

 彼が未だ微塵も出来ない“チャージ”の理想形。それを無理やり行っているのだ。


 彼の体の中で一人でに魔力が流動する。


「ブレーキは私がかけてあげる。体果てるまで、あの宝石を砕くまで──好きなだけ暴れなさい」


 セレンがラグロスの魔力を操作し、全身を強化する。


 だが、まだ彼の体は高負荷には耐えられない。

 それでも、十全に動ける最低限度の負荷を維持させる。


 ラグロスが天使の御言葉のままに飛び出す。

 地面にへこみを作り、文字通り地面を蹴飛ばした。


 驀進ばくしん──一閃。


 鉄の塊である大剣を地に擦らせ、そんな重りを持っているとは思えない速度ですぐ近くの水虎へ振り上げる。

 反応できない速度でラグロスに接近された水虎は、呆けた顔のまま両断どころか、水の体を四散させた。


 ばしゃん。

 ──と、返り血代わりに飛び散った水がラグロスを濡らす。


 そして、チャージの攻撃で消費した魔力をセレンが即座に補充する。

 “チャージ”による攻撃をするたびに襲ってくる異様な脱力感がない。


 思う通り以上に体が動く高揚感のままラグロスが楽し気に笑った。


「……はっ! こいつは良いな!」


 一度起動すれば一定量溜め続けるしかない“チャージ”。

 ラグロスは規定量を無視して溜めることでオーバーチャージを引き起こしていた。

 一撃必殺の力は引き出せても高負荷の魔圧で動けなくなる上、体にも反動が凄まじい諸刃の剣。


「おらよっ!」


 その諸刃の剣が、セレンという持ち手を得ることで正しく振るわれる。

 体中に魔力を満たしたラグロスは周囲の複製体から一斉に狙われるが、大剣を棒きれのように容易く振り回して迎撃する。


 嵐のような乱舞が次々と複製体を爆散させていく。

 豪、豪と唸る大剣に複製体たちは成すすべがない。


 宙へと逃げる大バッタビックホッパーをそれ以上の速度で切り裂き、

 足元から蛇行して迫る毒蛇ポイズンスケイルを地面ごと叩き割って陥没させ、

 頭上から襲い掛かって来た怪鳥フォレストウィングを振り上げた大剣で消し飛ばす。


 滑るように宙を駆けて彼へ迫る水黽サーフェイスランナーにはすれ違いざまに大剣をぶつけるだけで水飛沫に還し、

 多方向から襲い掛かって来た水虎アクエリアは回転しながら繰り出す薙ぎ払いで爆散させた。


 一見簡単のように見える彼の所業は並の人間が行えばすぐに肉体が破壊され、倒れ伏すだろう。

 オーバーチャージによって酷使され、鍛えられた体はその負荷にも辛うじて耐え続ける。


 無論、耐えているだけで彼の肉体は痛みを訴え続けている。


 十全に動ける最低限度。

 それはあくまで痛覚の鈍いセレンの基準だ。人間基準ではない。


(慣れっこだけどな!)


 大剣を振るい、巨大魚への道を切り開く。


 帰って来る痛みなど何度も経験している。下手をすれば柄を手放しかねないが、新たなステージへ一時的に至れた高揚感と比べれば安い話だった。


「復活する前に仕留めて!」

「おうよ!」


 本来の鈍重なラグロスのスタイルとは真逆の機動戦。

 ──否、両方の良さを強引に混ぜた先手必勝、一撃必殺を体現した戦闘。


(少なめとは言え、これに耐えられるのは人間じゃないわよ……。まるで悪魔みたいな戦い方ね)


 その戦闘の裏にある障害はすべてセレンが補っている。

 無論、人間にはあまりにも重い対価を払わせたうえで、だ。

 ラグロスの話から耐えられる瀬戸際を確認していたとはいえ、人間が耐えられる魔圧の許容量を遥かに超えている。


 地面に腰を下ろしたまま彼の戦いを見守る彼女は苦笑を浮かべた。


 ちらりと背後を見ると、他の探索者たちはなんとか黒門の外まで逃げていた。

 そして、開いたままの黒門の外から、彼らがラグロスの戦いぶりに何かを口々に言っている。


「──噂じゃ──」

「──人間なんすか?」


 痛みのせいか、詳しい内容は聞き取れない。

 しかし、唖然としているさまを見てセレンが上機嫌に笑みを深める。


 何故、自分もいい気分になったのか。彼女自身も分かっていなかった。


 視線をラグロスへ戻す。

 彼は強化された身体能力で跳躍し、宙を泳ぐフォレスティアに突撃していた。


(あとは消化試合かしら)


 ラグロスの攻撃を貰っては危険と判断した巨大魚が背を見せて逃走。

 矮小な人間から必死で逃げる様は何とも滑稽だ。セレンがこらえきれずにくつくつと笑う。


 恐らく、逃げながら復活させた複製体をぶつける魂胆なのだろうが、今のラグロスの機動力の前には無力すぎる。

 巨大魚の宙を泳ぐ速度も遅い。


 僅かながら間に割り込んだ迷宮生物達は一瞬で切り捨てられ、あっと言う間にラグロスが追い付いた。


 宙へと飛び上がり、巨大魚の真上から大上段の一撃──兜割。


 単純かつ強力な大打撃。


 水を叩き割りながら、翡翠の宝石へと迫り──命中。


 ひび割れていた宝石はラグロスの攻撃に抵抗する間もなくあっさりと砕け散る。

 巨大魚だったものが噴水の如く周囲にまき散らされ、中央に翡翠色の宝石──その破片が転がった。


 同時に、周囲で復活し始めている複製体もただの水へと還る。


 もがくように震える翡翠の破片。

 しかし、力尽きたのか動きが止まり、それぞれ魔力の霧へと還っていった。


 門番と言うだけあって光を通さぬ大量の濃霧が晴れるのは、数秒の時間を要した。

 そして、霧の中から現れたのは両手で持てるほど大きな翡翠色の魔石。


「……ふぅ。──おわっ」


 見たことのあるひときわ大きな魔石を見てラグロスが安堵の息を吐く。

 同時に、目的を達したとセレンからの魔力操作が途切れ、普段以上の脱力感に彼が地面へ崩れ落ちる。


 体中に走るジンジンとした痛み。

 慣れ親しんだ痛みだ。流石に大剣を振るう体力は無くなっていたが、この程度なら動けなくもない。


 震える体に鞭を打ち、ローブ──否。切り刻まれ、辛うじて羽を隠しているだけのマントを着ている少女の元へと歩く。


「──終わったぞ。お疲れ」

「ええ。……その手は?」


 担い手セレンの元へと戻って来た諸刃の剣ラグロスが屈みこみ、彼女の前で手を挙げる。

 俗にいうハイタッチの構えを彼女が不思議そうに見つめた。


「知らないのか?」

「……人間の文化には詳しくないの」

「つまり知らないと」


 知らないと素直に言うことが癪に障ったセレンは、不満げに言い訳をしながら顔を背ける。


「悪い?」

「いーや。──こうすんだよ」


 ラグロスが血に塗れた細腕を掴み、彼女の手を押し広げる。

 そのまま手の平同士を弱々しくぶつけてすれ違わせた。


 打ち鳴らされた音が二人の間で微かに響く。

 ぶつけられた手の平をセレンが怪訝そうに見つめていた。


「──何?」

「ハイタッチ。こう、上手いこと言った時には仲間同士でやるのさ」

「……仲間? 貴方は私の奴隷よ。そんな義務はないわよ」

「別に仲間同士じゃなくてもいいんだよ。……あぁ、強いて言えば俺がやりたいから」


 相変わらず素直じゃない彼女の口振りにラグロスが苦笑する。

 流石に何度も経験した流れを彼が誤解することはない。


 彼女はこういった触れ合いに飢えている。

 何故かはともかく、そこだけは確信していた。


「ふぅん。まぁ、それなりに頑張ったみたいだし、褒美としてならいいわ」

「お、じゃあ──ばっちこーい」


 ラグロスが満面の笑みでセレンへ手の平を向ける。

 鉄の鉛を振るい続けるその手は豆だらけで、とても綺麗とは言えなかった。


 だからといって拒む理由など、彼女には微塵もなかった。


 初めての行動。迷いに揺れる瞳は差し出られた手を捉えて離さない。


 あくまで頼まれたから仕方ないと、あくまで彼への褒美だからと。

 誰に向けたかも分からない言い訳を内心で垂れ流す。


 そして、意を決したセレンが戸惑いつつも、確かに迷いなく伸ばした腕を振るい──


「……ん」


 ぱちん、と小気味良い音を森に響かせた。

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