緑蒼の王

「広いと聞いていたからもっと時間かかると思っていたけど、案外あっさりだったわね」

「上層はマシな方だ。中層からはもっと面倒だからな」

「知らないわ。面倒だったら最悪飛ぶし」

「……何のためのローブだよ」


 セレンのこの先が少々心配ではあったが、ラグロスが問題なく仕事できる領分はもうすぐたどり着く黒門。

 その先の大広間で待つフォレスティアまでだ。


 短かくともそれなりに充実していた期間が終わることに彼はどことなく寂しさを感じていた。

 けれど、セレンと出会う前よりも道は明るい。


(とりあえず、この仕事を終わらせて、“チャージ”をの物にする。話はそれからだよな)


 もしかすると、胸を張って踊り子に戻れるかもしれない。

 そんな期待が胸の中で踊っていた。


「それで、魔力の操作は出来たの?」

「──全然だめだな」

「そう……貴方の魔力はずいぶんとサボり魔なのかしら」


 柔らかな微笑を浮かべるセレン。

 言い方はいつも通りの少し棘を感じるような物言いだったが、表情が違った。

 フードに隠れているせいで覗き込むことは出来ないが、下に見たり、馬鹿にするようなそういった侮蔑ではなく、純粋に楽し気な──


 そこまで考えが及んでから、あることに気付いたラグロスが同じように微笑を浮かべる。


「──はっ、俺の魔力は頑張り屋だぞ? 今まで付かず離れずでやって来たからな」


 セレンが冗談のようなことを言うのは初めてだった。

 つい言葉を失ったが、せっかく見せてくれたある種の油断を見逃すわけにはいかない。

 すかさずノったラグロスの言葉を聞いて、フードの奥のセレンが笑みを深める。


「そう? 貴方の戦い方を見るに、酷使しすぎて嫌われたんじゃない?」

「酷使してるのは俺の体だからいいんだよ」

「ふふふっ、そのうち体にも嫌われそうね」


 彼女があり得そうなラインをついてくるせいで、上手い返しを思いつかなかったラグロスは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「魔力は手足とは違うから分からなくもねぇけど、体はないだろ?」



 妙に楽し気なセレンとの会話にラグロスが付き合いつつ、二人はいよいよ門の前へとたどり着いた。


「……先着か」

「これ、どうなるの?」

「まぁ、待つしかないわな」


 大きな黒門の前に探索者のパーティの思われる四人の一団が武具の確認をしていた。


 基本的に門番との戦いが許されるのは五人まで、それ以上で攻撃をしかけるとろくなことが起きないのが通説だ。

 フォレスティアであれば生み出される水の複製体の数が数倍に増える。


 つまるところ、ズルはするなということだ。


 無論気持ちは分からなくもない、一度大広間に入れば黒門は閉じられる。

 開けることは可能だが、かなりの重さがあるため、一人で開けるのは時間がかかる。


 ギリギリになっての撤退では間に合わないこともある。

 命を考えれば安全を取りたいのは探索者の皆が同じだろう。


「……お、踊り子の大剣使いじゃねーか」

「ほんとだ。噂のローブの子もいるじゃん!」


 ラグロス達に気付いた探索者たちが近づいてくる。

 随分と追いかけまわされた身であるセレンは体を固くして身構えた。


「門番に挑むんじゃないのか?」

「お前にゃ用ねぇよ」

「そうかい」


 パーティのリーダーと思しき槍使いの男性に声をかけたラグロスが一蹴される。

 しばらく他の探索者と接する機会もなかったので、こういった反応は久しぶりだった。

 だが、珍しい物でもない。


 ラグロスを押しのけ、槍使いは彼の横でぶるりと体を震わせたように見えるローブの少女へ声をかける。


「なぁ、そこのローブちゃん。そいつより俺らと門番に挑まねぇか? そっちの方が確実だぜ?」


 彼らがラグロスに抱いている認識を覆せない自分に、ラグロスが内心で強く舌打ちするも、波風立てぬようセレンの意思に委ねた。


(俺はあくまで奴隷だからなぁ。……そんなつもり全くねぇけどよ)


 いいなりにされているという自覚はないが、セレンがやろうと思えばどうとだってされる。

 つまるところ主導権は彼女にある。


 加えて、セレンが中層に行きたいだけなら一時的に彼らのパーティに入る手もある。

 ラグロスは中層の転移装置を使えるのだから、必ずしもラグロスと一緒に行く必要などない。


「そうなの?」

「まぁ、否定はしねぇな。別に俺はフォレスティアを倒す必要もないし、臨時で入るのもありだろ」


 五人に収まるなら問題はない。

 彼がそう促してみる。


 何かたくらみが無いと言えば嘘だった。

 条件で言えば、彼らの方が優位だろう。

 その上で自分を選んでくれないかと、独占欲のような何かを抱いていた。


「……確かに、わざわざ貴方を必要のない危険にさらすこともないわね」

「お、来てくれるのか?」

「ええ、今回だけね。いいでしょう?」

「勿論! これで百人力だな! おーい!」


 セレンの承諾を得るや否やリーダーの槍使いがパーティの元へと走っていき、嬉しそうに話をしていた。


「これで、いいのよね?」

「ん? ……あぁ。そっちのほうが確実じゃねぇか? 今の俺はまだなんも進歩してねぇからな」


 念を押すように尋ねてくるセレン。ラグロスの眼を覗き込む金の瞳と彼女の声は不安を帯びていた。

 そんな彼女を励ますようにラグロスがセレンの肩を叩く。


 思うところがないわけではなかった。けれど、情けないところを晒したいわけでもない。

 ましてや、独占欲がどうなどの話をするわけにもいかない。


 見栄を張り、気にしてない風を装って苦笑を浮かべた。


「……そう。──じゃあ、行ってくるわ」

「おう。頑張ってこいよ」


 重々しく頷くとくるりと身をひるがえし、セレンは探索者たちの元へと歩いて行く。

 ただ歩いているだけの彼女の背にラグロスはどこか哀愁を感じた。



 *



「ローブちゃんも来たな。じゃ、いこーぜ!」


 リーダーの声に従い、探索者の一団──“海の旅人”が頷きや、声を返す。

 セレンも慣れない雰囲気に戸惑いつつ辛うじて小さな頷きを返した。


「あはは、ごめんねー。あいつ空気読まないからさ、ローブちゃんはどういう攻撃が出来るの?」

「……魔術みたいなものよ──光の槍、かしらね」

「へぇー。いいなー。あたしもそういうスキル欲しかったぁ」


 リーダーの男性ともう一人が黒門に手をかけ、ゆっくりと押し開ける中、セレンは杖を持った女性に声をかけられた。


「あたし、炎系の魔法スキルしか持ってないから汎用性ないのよねぇ」

「代わりに威力は十分じゃない」

「でもさ、もっとこう──おしとやかな感じのが欲しくないっ?」

「知らないわ。それで十分でしょうに」


 大盾とメイスを持った重装備の女性が女魔法使いと会話を交わしている。

 妙な居心地の悪さを感じながら、セレンは扉が開くのをじっと待っていた。


「うーー、らっ!!」

「開いたぁ!」


 そして、さほど待たぬ間に男性陣が門を開け終える。

 セレンたち三人が彼らの元へと歩み寄った。


「おっそーい!」

「お疲れ様、さ、行きましょーか」

「旦那ー、女性陣怖くないです?」

「これが男のサガだよ」

「そんなカッコつけて言われても困りますよ」


 仲よさげに歩く彼らの後ろを追う。

 パーティ。セレンとは無縁と無視していたものが、まさかこのような形で関わるとは彼女も思ってはいなかった。


 ラグロスが気にしていたのもいまなら頷ける。

 確かにこの雰囲気は悪くない。セレンには居心地の悪いものだが、それはあくまで部外者故。

 軽口を交わし合い、未知を追う。その響きは彼女にも好ましかった。


 大広間は今まで歩いてきた森と変わらぬ場所だった。

 少し太めの川で仕切られた広間の仲には小さな池がいくつもあり、宙には今まで見て来たような小川が同じくいくつも流れている。

 川のせせらぎは嫌によく聞こえて、彼らの緊張を煽っていた。


 奥には今遠った黒門と同じものが一つ。

 恐らくあれが中層へつながる道を塞いでいる。


 そして、門の前には滑らかな翡翠の宝石が転がっていた。


 人二人で持たなければ運ぶの難しい大きさ、一際存在を放つそれがフォレスティアの本体だろう。

 注意点についてはラグロスから聞いていたが、現在は一人で対処を迫られない。


(楽になったはずなのに、どうして──妙な気持ちになるのかしら)


 この気持ちが何か、セレンには分からない。

 だが、原因は分かる。気持ちが乱れたのは、あっさりとラグロスが彼らと共に戦うことを提案してからだ。


(奴隷のくせに生意気なのよ)


 今共に並ぶ者達とラグロスとの違いは自分の支配下にあるか否か。

 それだけのはずだ。だが、それ以上の何かがある。

 その何かがセレンの感情を乱していた。


 しかし、セレンがそのことについて考える暇はなく、フォレスティアの本体と思しき翡翠の宝石がぶるぶると震えだし、宙へと浮かぶ。

 それに伴い、周囲の池、川から水が集められ、フォレスティアを覆っていく。


 やがて、大量の水は巨大魚の形を成し、大口を開けて咆哮した。

 水の体を震わせ、音の衝撃が森の広間を駆け抜ける。


 宙にかける川を震わせ、池の水面を波打たせる。

 やがて、咆哮は探索者たちの元へと伝播した。

 どこにも音を発する器官はないはずなのに、間違いなく目の前の巨大魚から聞こえる咆哮を探索者たちが耳にする。


「来るぞ!」


 探索者たちが初めて戦う大物。

 今まで戦ってきた迷宮生物より何倍も大きい体躯。

 声に僅かな恐怖を混ぜながらも、リーダーの男性は声を奮い立たせて皆を叱咤した。


 巨大魚が宙を泳ぎ、探索者たちへと突っ込んでくる。

 しかし、その動きは緩慢で、見てからでも十分に避けられる。


(茶番かしら)


 これならまだ石飛びの大河に居たサーフェイスランナーの方が厄介だった。と、セレンが少し気落ちしながらルーンを描く。


 念のため、他の四人に見られぬよう後ろ手に隠して描いた。

 描かれたルーンが力を発揮し、光の槍をいくつも生み出すと次々と発射する。


 突進を避けられ、ゆっくりと旋回する巨大魚の元へ光の槍が殺到。

 風を切る速度で宙を駆けた槍は巨大魚の水の体を削り、本体にまで及んだ。


 翡翠の宝石にいくつも走った衝撃。

 巨大魚が体を崩しながら身じろぎする。


 しかし、それだけには終わらない。


 本体に突き刺さった光の槍が今度は立て続けに爆発する。

 槍から解き放たれた光の奔流に水の体が次々とまき散らされる。


 柔らかな草地が一気に湿る。

 一瞬で巨大魚の姿は見る影もなくなり、翡翠の宝石が地べたへ落ちた。


「すっげ……」

「あたしのよりも何倍も速くて強い……!?」


 四人が言葉を失う。

 あの威力を連続で放てるローブの少女へ戦慄する。


「旦那! 早くアイツを!」

「分かってるよ!」


 しかし、門番もこの程度ではやられない。

 すかさず追撃に来た探索者たちへ近くの川から借りた水で刃を放つ。


「危ない!」


 フォレスティアの鋭い一撃は大盾の女性が受け止める。

 しかし、そこで足が一瞬止まってしまう。

 その間にフォレスティアが態勢を立て直し、再び水を纏いながら宙へと浮かんでいく。


(仕方ないか。さっさと終わらせてしまいましょう)


 宙に浮く巨大魚は近接攻撃しか持たぬ探索者では、突進してくるタイミングでしか攻撃を仕掛けるタイミングがない。そのため今の隙は絶好のチャンスであったが、それを取り逃してしまった。


 あまりセレンの力だけで倒してしまえば噂が面倒になる。

 出来れば一人で倒してしまう状況は避けたかったが、ついでに過ぎない。

 

 小さくため息を吐いたセレンがルーンを描いて、光の槍を生み出す。


 一方、再び水を纏う翡翠の宝石、フォレスティア。

 追撃は出来なかったが、宝石にはいくつものひびが走っている。

 確かな傷を負わせたことは間違いない。


 一瞬で追い込まれたフォレスティアもそれを自覚している。

 危険を感じた門番が探索者達へ新たな試練を与えにかかった。


 ──オオオオオォォォォ!!


 巨大魚が再び咆える。


「──えっ」


 すると、セレンの光の槍が一斉に消え失せた。

 この場にラグロスが居ればその違和感に警戒をしていたに違いない。


 フォレスティアの咆哮に魔力を消す能力はないのだから。


 一度目は威嚇に過ぎなかったが、二度目は違う。

 かの宝石が支配する水への命令だ。


 大広間にある池や川から水流がひとりでに飛び出し、地面へ飛び出ると様々な形を織りなしていく。


 大バッタ──ビックホッパー。

 毒牙の蛇──ポイズンスケイル。

 怪鳥──フォレストウィング。


 擬態木人──トレント

 水虎──アクエリア

 水黽アメンボ──サーフェイスランナー


 上層に出現する様々な迷宮生物達が水によって再現されていく。

 フォレスティアのこの行動は門番が追い詰められた証だ。


 大した損失なく一瞬でここまで詰めたことに、リーダーの男性が口端を吊り上げる。

 だが、その口端はすぐに下ろされることにもなる。


「だ、旦那……」


 短剣使いがその表情を歪ませていく。


「……どうしてこんなに多い?」


 フォレスティアの行動自体におかしなものはない。

 だが、生み出された再現体の数が違った。


 多くても十体と言われた再現体の数が二十を超えても増え続けている。

 明らかに異常だ。


 辺り一帯を埋め尽くす水の分身。

 それらの数が増えるに伴って、探索者たちの顔がみるみる歪んでいく。


 やがて、池や川の水が動かなくなったと思った頃には数十もの再現体に囲まれていた。

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