拭いきれぬ不安
その女性は探索者組合で探索者をサポートする職員の一人。
事務能力を求められながら、いざとなれば迷宮生物とも戦うことも求められる職員のハードルは高い。
それを満たした一人である彼女──ヤイナは今日も探索者たちの攻略を助けるサポート課で働いていた。
「雷魔石を置くだけでいいんですか!?」
「ええ、迷宮生物の知能。特に上層のものはあまり高くないですから。地面に転がした雷魔石を踏ませれば十分に動きを止められます」
組合指定の赤のベストと黒のタイトスカートの制服に身を包み、茶色のボブカットに組紐の髪飾りをつけた彼女が頷く。
彼女が今対応している探索者は水虎の対策を求めている者だ。
水虎に雷が効くと言う情報は広く浸透している情報である。
しかしながら、雷系統はスキル以外で用意するとなると、手に入るのが中層以降で比較的高価な雷魔石を必要とする。
しかも、魔石を使った道具はさらに高価かつ消耗品が多い。
魔石が買えたとて、とても上層の探索者には手が出せない。
そんな彼らに金銭や物資の支援をせず、情報による支援を行うのが探索者組合のサポート課だ。
組合がもつ情報も運営費としてある程度徴収するが、上層の探索者は攻略を進めて欲しいと言う組合の意向から全て無料で行っている。
「それなら、魔石だけで済む。皆で出せば一つ、いや二つは買える!」
「ですが、水虎以外の迷宮生物に効果は薄いですし、それ以外だと踏みつけられた場合は効果もなく砕けてしまいますのでご注意を」
「分かりました! ありがとうございます!」
「あ、ちょっとっ!」
彼女の忠告を聞いたかどうかも定かでないまま、相談主の探索者が立ち上がり、組合から駆け足で出て行ってしまう。
彼のパーティは遠距離攻撃のスキル所持者が居らず、ずっと水虎に苦戦していていた。
この反応も理解はできるが、その短絡さも今の状況の原因ではと思わずには居られない。
「下手したら私の実績に響くのよねぇ……臨時だとこれがあるから嫌だわ」
頬杖をつき、上手くいかない仕事に嘆く。
サポート課の組合員には専属、臨時と呼ばれる二種類の形態があった。
専属は文字通りあるパーティのみにサポートを重視する形態。
臨時は時々サポート課に訪れる探索者へのみ対応する形態だ。
人手の兼ね合いで、専属パーティを持つ組合員も臨時の対応を行う場合もある。
どちらにせよ、サポートを行った探索者がどのような結果を出したかで組合員の記録に残る。
勿論、探索者も千差万別。
ある程度の情状酌量もあるが、勝手な行動であろうと、説得しきれなかったという記録は残ってしまう。
「……専属の方も
そして、ヤイアは専属のパーティを一つ持っている。
専属を持つということはそれなりの能力があることの証明でもある。
しかし、専属パーティは両者の合意に、主に組合員側が持ち掛けることで契約するもの。
いわゆるサービスの提供を持ち掛けているので、そのパーティが失敗した際は組合員の実績にも傷がつく。
「どっかでミスったかなぁ私」
ヤイアが専属契約したパーティは風の踊り子。ラグロスが居たパーティだった。
リーダーであるリットの堅実さと、それでいながら虎視眈々と深部を狙う意思を垣間見せる姿に彼女は強くひかれた。
このパーティなら大きな成功はなくとも大きな失敗はないと。
そう踏んだ彼女は契約を交わした。
その結果が芳しくないのは彼女の悩みだった。
「ヤイアー」
「何ー?」
同僚の女性から声をかけられ、投げやりな返事を返す。
風の踊り子に入ろうとする物好きは少ない。
随分と尖ったパーティではあったが、三年続けられていたのだから多少の見込みはあった。
どうして今頃抜けたんだと頭の中でラグロスに苛立ちをぶつけていた。
「ラグロス君が来てるけど」
「え?」
*
ローラーのついたパーテイションで雑に仕切られた空間の中。
ラグロスとヤイアが小さなテーブルをはさんで座っていた。
「で、急にどうしたの?」
「別にヤイアさんに用があったわけじゃないんですけど」
「ええ、それは分かってるわ。でも、書類上君は脱退したことになってないから」
「なるほど。じゃあ、別の人に頼みます」
「ちょっとちょっと!?」
あっさり立ち上がろうとしたラグロスをヤイアが慌てて呼び止める。
いくらなんでもその判断はおかしいと彼女の眼が訴えていた。
「今の話の流れでどうしてそうなるのよ」
「だって、ヤイアさんは風の踊り子の専属じゃないですか」
「……そうだけど、別に話くらいは聞くわよ」
「打算あるの見え見えです、噂知らない人の方が楽ですよ」
「──ちっ」
「ほらー」
ラグロスが来たこと自体はヤイアに話が通っている。
しかし、書類上ではともかく、ラグロスが風の踊り子を抜けたことは一部の組合員にも伝わっていた。
ヤイアが対応するかどうかはある程度の彼女に自由があったのだ。
だが、ラグロスと白ローブの少女の噂はもう町中に知られている。
怒涛の勢いで上層の難関。水虎の生息地帯についてしまったせいで、声をかけられる探索者が減ってしまい、噂こそ落ち着きを見せている。それでも知名度は十分だった。
そんなラグロスに話を通した。
彼から見れば打算があるのは分かり切っているのだ。
「……でも、知人なんだからとかあるでしょう?」
「でもとか言ってる時点でもうダメでしょ。それにヤイアさん義理硬い人じゃないし」
「……話を聞こうかしら」
「別に大した話じゃないし、誰でもいいんですよねー」
明らかにどうでもよさそうなラグロスの態度に、カチンときたヤイアが肩を震わせるも、理性で堪える。
ラグロスの力量はさておき、彼と居る謎の白ローブとはなんとか縁を繋ぎたかった。
「…………」
「上層の門番の写し、貰えますか?」
「──へぇ、もうそこまで。貴方も居るし要らないと思うけど」
「一応。ちょっと嫌な予感もするので」
「ふーん……まぁいいわ。少し待ってて、すぐに持ってくるから」
白ローブの実力を具体的には知らないが、ラグロスの戦い方と能力を知っているヤイアからすれば実質一人で上層を攻略できるほどだと推察してた。
実際、それは正しい。
そして、一人での攻略が可能なら、上層の門番など十分に相手取れるとヤイアは思っている。
組合の資料室から上層の迷宮生物について記された図鑑を手に取り、該当するページを開き、紙にすらすらと書き写す。
せっかくの点の稼ぎどころだ。楽だとは思っていても手を抜くわけにはいかない。
もとより彼女は器用だ。とくに模倣にかけては。
図鑑に描かれた絵を瓜二つだと疑うほどの出来で仕上げる。
ゆっくり描けば並みのものでも出来るだろうが、速度がまるで違う。
迷いのない筆さばきは彼女が専属パーティを持てる組合員であること示していた。
あっという間に写し終え、ヤイアはラグロスの元へと戻って来る。
ラグロスがここに来ることは少なく、対応してもらったことがあるのは臨時の組合員のみだ。
その経験と比べて圧倒的に早い時間で戻って来た彼女に驚きの表情を浮かべている。
「あら、驚いた?」
「分かってて言ってますよね?」
「そりゃもちろん」
くすりと笑うヤイア。まがりなりにも世話になっている組合員なので敬語を使っていたが、それをやめようかなとラグロスはつい思ってしまった。
彼女は席について、彼の前に写しの紙を滑らせた。
「知ってると思うけど、説明するわね?」
「はい」
「上層の門番、フォレスティア。貴方の知っての通り、魔石を内包する本体を核に水を纏っているだけの個体」
紙には巨大魚のような姿の迷宮生物が白黒で描かれている。
まさか二度も戦うことになるとは思わなかった相手を確認して、ラグロスが頷く。
「はい」
「確認するけど、フォレスティアと戦うときに重要なのは?」
「水の体を削ずって、補給をさせないこと。もしくは本体に傷を入れる」
「よろしい」
見た目こそただの大きな魚だ。ラグロスが中層で相手したことのある突剣のような尖った頭を持つ
代わりに、その魚の体はほとんどが水で出来ている。
この水は上層の至る所に流れる川の水と同じで、フォレスティアの本体がその水を纏うことで魚体になる。
あくまで武器は水。操られた水をどうにかするか、本体に攻撃を与えればその分相手の攻撃も緩む。
「それを徹底すれば最初は問題ないわ。問題はある程度追い詰めてからね」
「水の複製体、だろ?」
「ここに来る必要あった?」
「確認だよ」
フォレスティアの能力は単に水を纏うだけでなく、迷宮内の水を操れるところにある。
門番が立ちはだかる場所は広い大部屋のような場所であり、フォレスティアはその大部屋の水を操り、自身の体、あるいは上層の迷宮生物の複製体を作る。
「数が厄介だけど、それだけよ。雷魔石はあるんでしょ?」
「二つだけね」
水の複製体は非常に厄介で、攻撃すればその部分の水が崩れるものの、しばらくすれば周囲の水を集めて再生する。しかし、フォレスティアと違って完全に水で出来ているため、微量の電気を放出している雷魔石を放り込めば話は一転。
一瞬で電気が伝播し、フォレスティアの操作を妨害する。
作れる水の複製体に限りはあり、その上限を削ることが出来るため雷魔石はあればあるだけいい。
上層の広さは中層、下層に比べれば控えめだが、それでも探索者が半年程度かかるのは雷魔石のための資金繰りが主な原因だった。
ラグロスもセレンのお陰で増えた稼ぎを使い、二つは確保している。
しかし、逆に言えば二つしか確保できていない。
安全ラインはおよそ五つと言われている。
これはフォレスティアが作る水の複製体の中で水虎のような厄介な個体がおよそ五体程度だからだ。
セレンの殲滅力を考えれば余裕。
だが、セレンと居る時の迷宮生物の数がやけに多い気がしていた。
理由は分からないが、迷宮生物の魔力に寄りつく習性を考えれば納得できなくもない。
理由はともあれ、警戒するに越したことはなかった。
彼女よりも劣るラグロスならばなおのこと。
「なんだつまんないわね。もう帰れば?」
「仕事しろよ」
つい敬語も忘れて本心を吐き出す。
しかし、その放棄はこれ以上彼女が言うことはないという意味。
十分分かっているのに、彼は拭いきれない不安を覚えていた。
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