重ねる修練、変わらぬ実力

「オ、今日もカ?」

「やっと──やっと見つけたんだ。じっとしてらんねぇよ」


 寝巻から着替えたラグロスが夜な夜な出ていこうとするのを見つけ、ジエルが意外そうな声を上げる。

 ラグロスがセレンからスキルについて教えてもらって三日が経っていた。


 迷宮探索は順調だ。

 止まることなく最短距離で突き進み、上層はもう残り三分の一を切っている。


 ラグロスがずいぶんと楽し気な、活気に満ちた返答を返す。

 彼の口端は堪えきれないように吊り上がっていた。


「そーカ。なんにせヨ、やる気があるのは良いことだナ」

「だろ?」

「お前の楽しそうな顔モ、久しぶりに見タ」

「うそだろ。俺は笑う方だと思うけどな」


 そのまま出ていこうとしていた彼が思わぬ言葉につい振り返る。

 発言を訂正する気のないジエルはにやにやと笑うのみ。


 表情こそからかいに溢れていたが、喜ばしいと思っているのは本当だ。

 ジエルが知る中で、ラグロスがあれほど楽し気にしていたのは風の踊り子を組み始めたころだけなのだから。


「いーヤ、最近のお前さんは本心で笑わねーヨ」

「そうかなー」

「オレが言うんダ。疑うのカ?」

「ジエルが言うならほんとかもしんねぇけどなぁ……」


 ラグロスは全く気付いていなかった。

 意識的に世話を焼くことが多かった彼が、お節介を好むと言いながら本心から笑っていないことに。


 彼が世話焼きになったのはジエルの影響で、彼はもとより冒険にあこがれるただの男だ。


 後付けの、義務的な好みが与えていたのは仮初めの満足感でしかなかった。

 勿論、一定量の幸福は与えている。


 しかし、こらえきれないような自然な笑みをジエルが見たのは本当に久しぶりだった。


「茶々入れて悪いナ。お前が良いならいいサ。頑張ってこいヨ」

「んー……。──あぁ、行ってくる」


 頭を悩ませ始めたラグロスを追い出すため、ジエルが話を閉めくくる。

 うやむやにされ、もやもやを抱えたラグロスは少しだけしこりを残して扉の先、夜のシーフィルへ姿を消した。


 ラグロスの行先はなんの変哲もない裏路地の開けた場所。

 人気も少なく、何かやらかして困るものもない。


「……“チャージ”」


 三日間の修練で分かったことは、いきなりゼロから魔力を動かすのはやめた方がいいということ。

 そもそもどうにも出来ないのだ。


 自分の中に魔力らしきものがあることは分かっていても、それがどうすれば動くかなど分からない。

 血流の脈が血の存在を教えてくれても、体の中の血を自由に動かせないのと似ていた。


 そのため、まずはスキルが作り出す魔力の動きと別の動きをさせることからだろう、とセレンから言われた。


 スキルを唱えると体内で魔力が渦巻く。

 全身に行き渡るのを感じながらラグロスが集中する。

 鋭敏になった神経が、痛覚が、魔圧の負荷を捉え始める。


 夜風が彼の肌を撫でるのを感じながら神経をとがらせていく。


「………………」


 全身が淡く重くなる。まるで頭から布団を被ったようだ。

 利き手である右の掌を広げ、じっと見つめる。指の先にまでじんわりと魔圧の負荷がかかるのを感じていた。

が、そこにある魔力を動かす方法は分からないまま。


 見えているのに触れない。感じているのに動かせない。


 スタートラインに立つことは出てきても彼の進歩はない。

 ほんの、ほんの少しでもいい。これが正解だと感じられる進歩さえあればいい。


 しかし、現実は残酷で、彼が求めるたった少しの進歩さえもない。


 無駄なのでは疑いたくなる時間が過ぎていく。

 少なくとも、中層に着くまでには何かしらを身に着けたい。

 そうでなければセレンとの協力関係は終わってしまう。


 その焦りが彼の集中を妨げる。


(本当にスキルは俺に植え付けられたものなのか?)


 やがて、不必要な焦りが不必要な疑心を招く。

 セレンの理路整然とした説明を疑ってしまう。


「あー、あー! 始めたばかりなのに何考えてんだ俺」


 かぶりを振る。

 セレンが嘘をつくような、器用な人物でないのは既に分かっている。

 自分が無力なだけだ。才能がないだけだ。


 けれど、才能がないなりに“チャージ”を使い続けたからこそ、新たなスタートラインに立てた。

 それがあまりにも大きすぎる進歩で、今の牛歩の歩みが霞んで見えるだけだ。


 そう自身を叱りつけて、

 慰めて、

 再び集中する。


 雑念を振り払う。冷静を保てば体内の魔力を知覚するのは難しくない。


 彼が平静を取り戻すのに合わせて彼の体内で広がり、波打っていた魔力も凪いでいく。

 穏やかな海と似た魔力の波を捉え──。


(くっそ……)


 捉えるだけだ。

 見ているだけだ。


 目の前で餌を吊り下げられ、ただただ追いかける動物の気持ちになった気分だった。



 *



 彼の進まない訓練とはうって変わり、上層攻略は順調だ。

 迷宮生物を倒した証である魔石が、ラグロスの持つ袋の中にたんまりと詰まっていた。


「退屈ね」

「そりゃ、アンタのを受けて耐えれる奴なんて上層に居ないからな」


 上層の中では強敵に分類される水虎。

 文字通りの水の体を持ち、川に潜伏して襲い掛かって来る。


 しかし、川から離れれば時間は稼げる。

 両方向から襲い掛かって来た水虎を一瞬で串刺しにしてみせたセレンに、ラグロスは呆れることしか出来ない。


 場所によってはラグロスが大剣で攻撃を受け止めるぐらいで、囮でしか貢献していない。

 それだけで、水虎が落とす上層では手に入りにくい青色の属性魔石──水魔石がもらえるのだから、これほど簡単な仕事はないだろう。


「その魔石、色が違うけれど何かに使うの?」

「簡単に言えばコスパがいいんだよ。水回りにしか使えねぇけど、そっちで使うなら変換効率がいいってやつだ」

「ふぅん。人間も試行錯誤するのね」

「色んな物好きが居るってこったな」


 そんな会話を所々交わしながら二人が森を歩く。

 歩きながらラグロスは“チャージ”を使って訓練をしているが、成果は見られない。


「やっぱり人間には難しいのかしら。そうじゃなきゃ、スキルに頼らないものね」

「……不可能じゃないならやる価値はあるさ」

「短い人生をかけてでも?」

「俺の命はまだまだ長いさ」


 天使と人間では時間の感覚に違いがあることを二人が実感する。

 抱えているものが似ているとお互いに直感しているものの、相成れぬ壁が確かにあった。


(見た目は羽が生えてるか生えてないかぐらいなのにな)


「……そういや、人間のことを下等生物って言ってたけど、天使と人間って何がどう違うんだ?」

「そんなことも分からないの?」

「分かんねぇから聞いてんだよ……」


 即答で返された煽りに尋ねかけたラグロスが一瞬拳を握る。

 ナチュラルに人を煽るような口調をするあたり、下等生物と思っているのは本当のようだ。


「それは勿論、存在の格が違うの」

「羽が生えてて、魔力の使い方が上手いだけじゃねぇのか?」

「そんなわけないでしょう。馬鹿なの?」

「……おうおう、じゃあどう違うんだよ」


 そこまで言うなら説明して見せろと彼がセレンへと詰め寄った。

 協力してもらってる身だ。本気で怒ることはあり得ないが、それはそれとして腹は立つのだから。


「権能よ」

「……けんのう?」

「私が使ってるこの光の槍とかは──」


 セレンがルーンを描き、光の槍を生み出して撃ち放つ。

 遠くで潜伏していた水虎が撃ち抜かれていた。


「こうやって、ルーンを描く技。理論上は誰でもできるわ。事実、劣化しているけど魔術っていう再現物があるもの」

「ああ、変な印を描くやつか。でも、ルーンの方が複雑だよな?」


 セレンがいつも描いているルーンを思い返しながら言う。


 手の平に収まるほどでありながら、幾重もの魔力の線が折り重なっている紋様。

 彼女がそれを描いているところは何度も目撃しているが、ラグロスが再現することは出来ない程複雑だ。




「当たり前よ。人間のそれとは格が違うの」

「分かった分かった。自慢はいいからとっとと話してくれよ」

「……権能は天使と悪魔で出来ることが違うわけ。悪魔のほうはよく知らないけど、天使には浄化の権能がある」


 浄化。その言葉を聞いてラグロスが思いついたのは掃除に便利そうだということ。

 彼が想像に耽る顔をみて、自身が言っている権能との乖離を感じたセレンはぺちんと指を弾いて彼を現実に引き戻す。


「いって! 何すんだよ」

「浄化って言われてるけど、そんな生易しい物じゃないわ」

「……どういうことだ?」

「使ったら私の場所がバレるから使えないけど、私よりも存在の格が小さいなら問答無用で消しさる力よ」

「消し去る。転移させるみたいな?」


 ラグロスが転移装置の光を連想する。

 しかし、セレンは鼻で笑いながら首を横に振った。


「違うわ、そのままよ。例えば、貴方に使えば貴方という存在が今、この世から消えるの。魂さえ残らずね」

「……まじ?」


 つまり、人間程度であればセレンはいともたやすく殺せると言っているのと同じだった。


「だから言ってるじゃない。貴方のような下等生物なんて私の意思一つで消せるの」

「……なるほどなぁ」


 傲慢と言っていい彼女の態度もこれを聞けば納得がいく。

 彼女が下等生物として認識している。実際にそれほどの力の差がある相手なら意思一つで消せてしまう。

 実に天使らしい力だった。


 それ即ち、今彼女が戦闘に使っているルーンよりも強い力を持っていたということ。

 過剰戦力だと思っていた力に上があったことに、ラグロスはどこか遠い目で彼女を見つめた。


「……何よ」

「いーや。本当に天使なんだなぁって」

「……信じてなかったの?」

「信じてないことはないけど、今初めて実感した」

「そう。なら私を敬うことね」

「いや、それはない」


 今度はラグロスが即答する番だった。

 あっさりとした否定にセレンの鋭い視線が彼へと突き刺さる。

 話を聞いていたのか馬鹿野郎と責めるような目だった。


「あー、違うぞ。馬鹿にしてんじゃねーから」

「それは馬鹿にしてるのとの同じよ」

「そうじゃねーよ。……少なくとも俺はな」


 まさしく上位存在にふさわしい力を持ちながら力と居場所を求めている。

 それだけで彼女の苦悩の一端が垣間見えた。


 立場が、能力が、種族が違えど今の自分と重ねられるセレンにより親近感を感じた。


 ただ、それを正直に話すつもりも今のラグロスにはなかった。



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