スキルの本質
翌日の昼。
北国の憩い場の個室でラグロスが丸テーブルに突っ伏して熟睡している。
眠りこけている彼にかけられた毛布は、アリエルがセレンに渡したものだ。
「気持ちよさそうに寝てるわねぇ」
「徹夜は辛いものなの?」
「あら、セレンちゃんはないのかしら。健康なのは良いことよ。……そうね、徹夜はその日は良くても次の日がとてもつらくなるわねぇ」
睡眠を必要としないセレンには徹夜の辛さが分からない。
一日ぐらい寝て居なくても問題ないだろうと彼女は思っていたが、探索を始めても死にそうなラグロスを見て引き上げていた。
「でも、ラグロス君は徹夜なんてしない子のはずだけど……。何かやってたの?」
「ちょっと、勉強をしてました」
「ふぅん? セレンちゃんもあんまり無理しちゃだめよ?」
「──大丈夫です」
心配されることに慣れていないセレンが戸惑いながら小さく頷く。
揺れ動く金の瞳を隠すように、瞬きの回数が増える。
閉じたはずの口は少しだけ開けられていた。
ここではフードを脱いでいるため、少女の機微は十分読み取れる。
人付き合いに慣れていない彼女の振る舞いに、アリエルは微笑んでいた。
それから一時間後、ラグロスが目を覚ます。
「……んん」
「ようやくお目覚め?」
「…………セレンか。……いいだろ、徹夜なんて慣れてねぇんだ。せめて仮眠くらい取らせてくれよ」
「……仕方ないわね。人間が睡眠をここまで必要とするなんて、私も思っていなかったし」
けっこうな物言いだが、ラグロスは何も言わない。眉間にしわを寄せることすらもなかった。
それ以上に、彼の彼女に対する感謝が大きかったからだ。
(スキルに使われるな。スキルを使え。ね)
彼女から口にされた情報は彼の耳を疑うものだった。
同時にこれが広まれば環境が変わると言っても過言ではない。
一朝一夕で出来ることでもないが、スキルが揃っていなければならない常識は
ゆっくり眠気から脳を起こしたラグロスはポケットに突っ込んだメモ帳を取り出す。
安さを重視した粗悪な紙面。眠気に負けそうな中、必死に書き取った情報の羅列が残っている。
その中で一際目を引く、目を引くようにラグロスが大きく書いた一文。
【スキルは迷宮に植え付けられた魔力の操作技術】
これだけでひっくり返るほどの驚いたことを彼は今も覚えている。
スキルがどのような存在であるかは今まで誰も深く研究していなかった。
便利だから使う。それだけだった。
よく分からない石を嵌めれば動く、魔石製の道具が普及し始めた頃と同じ考えだ。
特に、探索者は便利なら使うという考えが浸透しているのもある。
加えて、スキルは神の修練場が出来たころから切っても切れない関係性──探索者の生命線だ。
危険だから使うなと言われたところで不可能な話だろう。
この情報が示しているのは単なる事実だけではない。
スキルを習得することは、迷宮からそのスキルのお手本のみを頭に叩き込まれるということを示している。
そして、スキルを発動するのに必要な魔力の操作は体だけが覚えている。
だから、スキルを応用して撃つことは出来ない。
ラグロスのオーバーチャージもスイッチのオンオフを壊した程度に過ぎず、溜める速度も溜め方も変えることは出来ない。
魔力の操作方法を理解できていないのだから当然だ。
特に攻撃系のスキルは唱えれば体が勝手に動く。その流れに沿った攻撃しか出来ない。
鋭い斬撃を放つ“スラッシュ”であれば、
魔力を持っている武器に沿わせる。武器を振るうときのみ身体能力も魔力でブーストする。
この二工程が自動かつ無意識に行われている。
「……“チャージ”」
ラグロスが唱えた“チャージ”もそうだ。
体内に魔力を行き渡らせ、全身の能力を飛躍的に強化する。
本来の身体能力では魔力による負荷──魔圧に耐えられないので、ある程度相殺する魔力も自動で、無意識で用意する。
スキルを使えば魔力が減る。
周知の事実でありながら、その本質を知られていない常識。
当たり前だ。どれも魔力を使って行使しているのだから。
スキルは唱えるだけで発動できる。
迷宮に植え付けられた一連の動きを行う始動キーだから。
そんなことは当然知られていない。
「分かるけど──分かんねぇな」
「それが出来たならここの人間はスキルに《《依存》》しないわ」
「……そうだな」
“チャージ”が用意する相殺分以上に無理やり強化するオーバーチャージ。
それを使っていたラグロスは他の人よりも魔力に対する知覚能力が高い。
無意識だけでなく、肉体が訴える痛みを感じながら魔力を扱っていた故のものだ。
だが、それだけでしかない。
『“チャージ”で使う魔力の操作方法を覚えて、唱えなくても使えるようになりなさい』
セレンに言われた第一の改善法。
スキルを唱えるのは自分では魔力が上手く操作できないから。
逆に言えば、魔力を操作できればスキルと同じことが出来る。
だが、魔力の知覚に慣れていても、魔力を自分から動かすことは慣れていない。
そればかりはラグロスもスキルに依存していた。
『“チャージ”で体に蓄積する魔力量を一定になさい』
第二の改善法。
スキルに依存した形では溜め続けることしか出来ない。
それでは継続性も皆無だ。事実、ラグロスはそれに悩まされている。
だから、一定量溜めた後はその量を維持し、“チャージ”状態のまま戦闘することを目標とした。
『魔圧に耐えられる体を作りなさい』
最後の改善法。
いくら溜めた状態を保てても、“チャージ”には体内の魔圧を抑えるため、空気を入れすぎた風船が破裂するのを防ぐように外からも魔圧をかけるという欠点がある。
これのせいで機動力はゼロに等しい。
こればかりは魔力云々の話ではない。
人間という種族の貧弱さのせいだ。
ならば話は簡単だ。人間から可能な限り離れれば良い。
三年間の迷宮探索でラグロスという存在自体に蓄積した魔力。
彼が三年弱使い続けた“チャージ”による魔圧を受け続けた体。
彼の魔圧に対する耐性はそこらの探索者よりもはるかに大きいのだ。
『過剰な“チャージ”。並の人間がこれをすれば体が破裂するわよ。こんな状況で武器を振るえるなら可能性はあるわ』
目の前で腕を組み、退屈そうに足をぶらつかせている天使が放った言葉。
夜通しの間彼女の指示を受けて教えてもらった特訓法。
もしかすれば新しいスキルが得られるかもしれないという夢物語にかけるよりはるかに妥当な目標だ。
たかが一度の徹夜、それだけで可能性を提示してくれたセレンを怒る理由など彼にはない。
むしろ、彼の力が追い付く限り彼女の手伝いをしようと思っているほどだ。
「悪いけど、貴方の事情に合わせている暇はないわ。特訓なら迷宮でしてもらうから」
「ああ、十分だ」
魔力に対する知識を多く持つセレンとのマンツーマン。
断る理由などどこにあろうか。
歓迎とばかりにラグロスが吊り上がる口端を抑えずに答える。
冷たく言ったはずが、むしろ喜んでいる彼に動揺したセレンの瞳が大きく揺らいだ。
*
蒼のアーチを抜け、石飛びの大河を渡り、道なき森を進み、各地の転移装置を中継地点にする彼らの上層攻略は順調だ。
今は森の水牢と呼ばれる場所を攻略している。
その名の通り、宙をもかける小川で織りなされた水の牢屋。
蒼のアーチと違って水の中にキラーフィッシュは居ない。上層攻略において森の水牢を通らなければならない故かどうかは誰にも分からない。
代わりに、水の牢屋を作り出す小川の水が少々変わっている。
「……ここの水、ずいぶんと黄色いわね」
「アンタならいけるかも知らねぇけど触んなよ。普通の人間が触ったら皮膚が溶けるんだ」
「ふぅん。ずいぶんと物騒ね」
「代わりに迷宮生物は少ないから歩くだけで済むぜ。まともに採取も出来ねぇけどな」
探索者において重要なのは、奥に進みやすいことと、採取物が手に入りやすい場所を見つけることだ。
森の水牢は迷宮生物をも溶かす酸のお陰で安全だが、行動ルートを大きく制限される上、酸の水が周囲の植物を枯らすせいでまともな採取物が手に入らない。
水牢を避ければ森にふさわしい採取品が手に入るが、酸に追いやられた迷宮生物であふれかえっている。
ここに寄る探索者は基本的に先へ進みたい者しか居ない。
それ以外ならば、ろくな採取物が手に入らず、それでも金を求める者が危険を背負って植物の群生地を目指す場合だろう。
「丁度いいわ。今のうちに魔力の流し方を覚えなさい」
「……言われなくても分かってるよ。でも、自分で動かすってのがなぁ」
ラグロスの理想が一朝一夕で叶うものでないのは重々承知している。
しかし、最初の一歩が遠い。
魔力が体の中で流れているのは分かっても、それをどう動かせというのか。
動かし方の知らない筋肉を意図的に動かせと言われても出来ないのと同じだ。
そして、求められているのはスキル以外の魔力操作。
下手に魔力が知覚出来る分、微動だにしない自分の魔力に苛立ちを募らせるほかなかった。
勿論、ないと思っていた道を見つけれただけ十分マシだ。やる気はある。
「ふんっ! ──はぁ……。……おーい、笑うな―」
「くふふふ、笑うなという方が難しい話よ? それ」
変に体を力ませては諦めたように息を吐く。
傍から見ればずいぶんと馬鹿らしいみてくれにセレンがくつくつと笑う。
「うーん。コツとかねぇのか?」
「そうね……分からないわ」
「今の、考えたか?」
一瞬の間こそあったが、迷いのない断言にラグロスが目を細めてセレンを疑う。
そんな彼の非難を無視した彼女は、聞く耳を持たず彼の数歩先を歩き出した。
(まぁ、いくら天使でも知らないことはあるか)
恐らく、彼女の場合当たり前すぎて説明できないのだろう。
未知のもの扱い方が分からないラグロスと、既知すぎて扱い方を感覚的なものにしたセレン。
彼女から十分な情報を貰った以上、ここからラグロスの番だ。
迷宮生物に遭遇しないのだからと、ラグロスは魔力操作感を掴む練習を当てもなく繰り返した。
練習を再開したラグロスの前、セレンは彼に表情を見られぬよう思案している。
(どうして肩入れしてるのかしらね)
自嘲するようにセレンが微笑を浮かべる。
喜怒哀楽のどれにも属さない複雑な感情だった。
入り乱れる感情とは裏腹に、肩入れの理由は明白だ。
──力不足を嘆く彼に以前の自分を重ねた。
それだけだ。ただの同情に過ぎないのだ。
加えて、ラグロスはそれを理由に仲間の元から抜けている。
彼女がわざわざ迷宮の不思議を教えてでも肩入れしたくなる要素を詰め込んだ彼の状況。
とても、無視できなかった。
今もなお、ラグロスがどうすれば魔力を扱えるようになるか思案する自分がいる。
セレンはその事実により自嘲に満ちた笑みを浮かべた。
考える余裕が出来ても、彼女は自由からほど遠い。
彼女がこの任務についてからが初めての自由と言っても過言ではない。
セレン以外の白ローブの者から逃げ隠れるという制約を課した上での自由。
比べることのできない状況が多いことはさておき、今までに比べれば軽いものだ。
矛盾を感じてセレンはため息を吐いた。
改めて周囲を見渡す。触れば溶ける川の檻。まるで誘導しているかのように通り道だけは残っている。
彼女の状況とよく似ていた。
手足を拘束されるほど不自由ではないが、通る道は定められていて、多少寄り道をしようと収束する道からは逃れられない。
(不必要を間引く天使にはお似合いね)
これで十分な自由と思える自分にセレンは苦笑する他なかった。
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